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studio salt「ヨコハマアパートメント」その場所までの道程を含めた世界

すこし遅くなりましたが、2011年10月8日ソワレにて
studio salt「ヨコハマアパートメント」を観ました。

場所に惹かれ、そこで解けていく人々の姿に惹かれ・・・。

いろんなものに染められた観劇となりました。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

脚本・演出:椎名泉水

出演:麻生0児 高野ユウジ 東享司 山ノ井史 鷲尾良太郎 岩井晶子 大倉みなみ 恩田和恵(劇団appleApple)


昼間、野毛山動物園でイベントを見て、
地図の上ではそんなに距離がなかったので
気軽に歩き始めたら、物凄いアップダウンでびっくり。
で、少々バテながら会場につくと、
とてもよいスープの匂いにまずは心を惹かれます。

ちょっと小洒落ていて
風変わりデザイナーマンションの共用部分、
ギャラリーとしても使われたりしているそうで
高い天井も各部屋に通じる階段も、
シンプルでありながら不思議な雰囲気をかもし出していて。

開演を待つ間、二人の女性たちの会話がBGMのように流れて
聞くともなく聞いているその場の空気に観る側が浸されていく。
だから、開演後のその場の物語も
観る側の感覚との垣根を持たずに伝わってくるのです。

役者たちからすっと浮かぶ素の表情が、
その場に馴染む。
立ち位置やそれぞれの動線、せりふが生まれるまでの
空気の網目を詰めないような距離のとり方・・・。
デフォルメされているのですが、
だからこそ、しなやかにつたわってくるナチュラルさがあって、
役者達の演技、特に間の作り方に惹かれる。

シチュエーションの設定もしたたかだと思うのですよ。
通常の距離感より少し近い隣人度どおしの関係は、
観る側に刹那の空気の重なりやずれのようなものを与え、
それが、束ねられたりすっと乖離していくなかで
全くの他人どおしであれば霧散するものを
そのままある種のエッジをもった感情として
場に残していく。
気が付けば、場の空気は
彼らの日常の時間に解けて
それぞれのキャラクターが抱き、かかえるものが、
いろんな大きさや速度で
観る側に晒されていく。
ニュアンスたちの現れ方のバリエーションが
それぞれが抱えているとなりエッジを持ってみる側に
浮かび上がってくる。

その賃貸マンションや近隣に住み
パーティなどもすることや、
たとえば夫婦、ご近所の男どおしや女どおし、大家と店子・・・
いろんなベースがひとつの時間の中に編みこまれることで醸される空気、
でも、刹那の時間の流れは
単に集団の関係の肌触りにとどまらず
もっと個人の思いとしてみる側に置かれていくのです。

終盤、とても長い間があって、
時間が巻き戻され、
観客はその場をさらに俯瞰する位置にまでつれてこられる。
前半のエピソードに連なる時間が
刹那の描写を
それぞれの生きていくシーンの重なりに昇華させて。

骨格は創意が埋もれることのないシンプルな物語なのですが、
その骨格から解けてくるものには
確実で繊細な踏み込みがあって。

想いの重なりは
ちょっとしたダンスのシークエンスや、
アカペラが作り出す時間も楽しく、
一方でそのアパートで過ごしつづける時間の感覚も
しっかりと伝わってきました。

終演時には
出来事の描写の先に描かれる
生きていく日々の質感のようなものに
強く浸潤されたことでした。

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