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ガレキの太鼓のぞき見公演#2「秘密裏にどうぞ」距離を生かす作りこみのバリエーション

2011年9月10日にガレキの太鼓のぞき見公演#2「秘密裏にどうぞ」を観ました。

場所は都内某所の一軒家。
3階建てのかなり広いお宅で、元は社長邸宅だったとのこと。

そこに暮らす住民たちを覗き見るという設定で、3つのパターンののぞき見が
上演されていきます。
一階に待合室があって、別の公演の時間を待つことができるのも親切。

のぞき見るわけですから、
観る方にゆったりとした座席が与えられるわけではないことは
前回ののぞき見公演の経験もあって十分承知しているわけで、
腰が痛くならないように
十分すぎるほどのゆとりを持ったスケジュールを立てて通し券を購入。

それぞれの公演の余韻が混じり合うことなく、3本を覗き、加えて巻き込まれ型といわれる公演を別途体験することができました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。)

作・演出 : 舘そらみ

まずは、メールで案内をいただいた会場のちかくの指定場所でスタッフの方と待ち合わせます。
商店街を曲がるとごく普通の住宅街でちょっと不安になったのですが、
すぐに目印を発見。

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会場につくと、1Fがゆったりとした待合室のようになっていて、
部屋に案内されるのを待ちます。

(のぞき見については私が観劇した順番に・・・)

・男女同窓会物語編

出演:海老根理 神谷大輔 小瀧万梨子 吉田紗和子 伊藤毅 舘そらみ 中山有子

案内された場所は、キッチンとリビングと和室が繋がったとても広いスペース。
彼らの動線の外側に
バスルームの洗い椅子(クッションがのせられてお尻がいたくならないように配慮されている)が
並べられていて、
そこに座って彼らの会話に耳を傾けます。

場所が広いこともあり、
最初はリビングやダイニングキッチンで交わされる会話を
声のするほうを見て、聴いているだけなのですが、
台本がしたたかで、
次第にキャラクター同士の関係性や、
その家がどのように利用されているかが自然と観る側に伝わってきます。
高校の時の同級生や大学時代の友人たちがその場所に集っていることや、
何人かはその家をシェアしている住人らしいことも
見えてくる。

さらにはもうすぐ結婚する二人がいたり、
携帯を子供の写真で満たしていたりと
キャラクターたちのプロフィールに加えて
その場を形どる年代というか世代が実感できて。
すでに亡くなった高校時代の友人のことや、
故郷のことや親のこと、
結婚や仕事のこと。
それぞれが年齢的に必然的に抱えるものが
柔らかくその場の空気に織り込まれていきます。
自らの今への想いや将来への選択が
場の空気となって
覗き見る側をやわらかく染めていく。

舞台と客席が一体化したような空間だから、
その空気が観る側が感じるものに直結していきます。
気が付けば、彼らの時間をその場で共有したような心持になり、
その刹那に編み込まれたキャラクターたちの心風景を、
自らもその場を構成するかのごとくに感じている。
気づかないうちに
キャラクターたちが過ごす日々に
彼らの感覚で揺さぶられているのです。
自分とは世代もまったくちがうキャラクターたちなのに
そこにはどこか同じ時間を共有するものとしての実感が育まれていて。

案内の人が来て、その場から連れ出されても、
すらっときれいには彼らの時間から抜け出すことはできなくて・・・。
待合室にもどっても
暫くは漫然と、彼らの今とこの先過ごす時間から
思いが離れませんでした。

・あやういカップル編

出演:末吉康一郎 南波早

今度はかなり狭い部屋。
ちょっと雑然としていて、男がポータブルプレーヤーで
DVDを見ている。
そして気が付けば奥のベットには女性が寝ている。

やがて、女性が起き出して、
でもぼーっとしてどこか寝ぼけている。
で、少しずつ彼女の目覚めてくるなかで、
前夜のことや、二人の関係が覗き見る側にも断片的に伝わってきます。

どうやら、二人は前からプラトニック&近しい関係で、
なおかつ、女性は男の親友と付き合っているらしい。
でも、二人は昨夜一線を超えてしまったらしい。

女性の寝ぼけ顔が次第に思慮をもった表情に変わっていきます。
その変化に愕然。
そして、それぞれの理性が確実に蘇っていく。
本来あってはいけない関係を結んだことがふたりの共通認識としてあって
でも、それをどこか凌駕するような感情が
二人の間に横たわっていて。

互いに距離を守ろうとする建前とは裏腹の
一夜を過ごした男女の感覚が
ボーダをさまよい始める。
酔って、箍が外れて踏み越えた部分は確かにあって、
でも単に劣情に支配されただけのことでないことは
互いに理解していて。

むしろ、付き合っている恋人同士では話しえないような
ふたりのベットでの記憶があからさまに話されたり、
モラルというか、
プラトニックな親友の関係を戻そうとするための提案がなされたり。
でも、
潮が満ちるように訪れる、それぞれが抱いているものが
二人の刹那を収束させない・・・。

女性の揺らぎが、表情からしなやかにこぼれ出す。
その表現の豊かさに息を呑みます。
従前の関係を続けたい気持ちや自らを律するモラルと
心の底にあるどこか抗しがたい想いのせめぎ合い。
ボーダーラインを行き来するデリケートな心情の満ち引きがシームレスに変化して、
女性の想いの色のうつろいが、観る側を幾重にも染めていく。
想いを言葉が伝えるのではなく、
醸し出された互いの想いをふくらみを
言葉が理性の内に押し込めるような・・・・。
男がさらに進もうとするなかでの箍の軋みも
女性のすっと醒めるような感覚も、
言葉より、それぞれからこぼれ出る空気で
観る側にやってくる。

ジャンケンをしたり
ゲーム感覚にゆだねるように口づけを交わしたり。
戯れにゆだねるなかで
互いに距離感を探り合う・・・。

そこには、ステレオタイプに描きえない
男女の機微があって。
それはきっと、
通常の舞台の大きさに置かれた瞬間に
見落とされてしまうような繊細なもの。
男女がその場の相手が見るがごとくの距離だからこそ
観る側に伝わってくる内心に息を呑む。

脚本も上手いのですよ。
互いの前夜の記憶のつぎはぎ作業から
二人のベットの時間を生々しく現わしてみたり
そこから互いに抜けられないなかで、
食事に行くというアイデアを「暫定一位」と表現してみたり・・・。、

女性は以前にトーキョープレイヤーズコレクションに出演したのを観ていて、
とても良い役者さんだと知ってはいたのですが、
それでも、この豊かでデリケートな演技には驚愕。
男性にも場の空気の緻密さを支える
演技の実直さのようなものを感じて。

役者たちの表現の秀逸と
「のぞき見」という表現形態が持つ力をがっつりと感じつつ、
なにか、男女のにび色のときめきのようなものと
なんともいえない切なさに
いっぱいにまで心が満ちてしまったことでした。

余談ですが、女性が着替えるときに晒された、
美しく鮮やかなグリーンのブラに目を奪われて。
ドキっとしつつ、男に会う前の女性の心の深層をふと垣間見た気がした。
後述するガールズパジャマパーティにも着替えのシーンがあって
その衣裳との比較ではっとしたのですが・・・。
あくまでも愚かな男性の下世話な連想で、
実は深い意味はないのかなと思いつつ、
でも、衣裳の選択に込められた作り手の意図があるのかなぁとも感じたり。
まあ、そのあたりのことは、元々
男にはどこか計り知れぬ世界ではあるのですが・・・。

・ガールスパジャマパーティー

出演:菅谷和美 舘そらみ 小瀧万梨子

パジャマパーティ編は のぞき見公演の1回目にもありましたが、
今回は確実にパワーアップ。
1回目とは設定自体も違うのですが、
仕掛けというかテイストも
本音の部分にいたるまでのキャラクターたちの包み隠しを薄めにして、
あけすけに語られる彼女たちの今から
さらに先への歩みに対する
想いや逡巡を
しっかりと作りこんだ感じがあって。

冒頭に「だめんずうぉーかー」を道具立てにして
場のトーンを作り上げる。
三人の関係には気取りも面倒くさい隠しだても遠慮もなく
ランダムに旬な時事ネタなども交えて、
個々の性格を醸し出し、会話自体を盛り上がっていく。

それぞれの抱えていることも
会話の中からあからさまに浮き彫りにされて・・・。
結婚して子供が出来た後のセックスレスの話、
どうしても男に頼らせてしまうこと、
さらには彼氏ができないこと・・・。
男性には実感としてぴんとはこないこととはいえ
女性の周期の回数で人生の長さを図れてしまうような感覚には
目から鱗が落ちるような想いがしたり、
その人生の長さの中での自らの立ち位置を見定める姿からやってくる
生々しいリアリティにぞくっとしたり。

次第に酔いが回っていく中で、
それぞれの満たされていることの危うさや
満たされていないことへの想いが
真正直に現わされて
見る側を取り込んでいきます。
笑えるようなエピソードや比喩はそれなりに節操なく展開していくのですが
でもどこか底深い実直さや凡庸さが裏打ちされていて。
北朝鮮から帰ってきたジェンキンスさんを理想だとすら言う。
一方で、孤独死の話が織り込まれたり、
一人で生きていくことの孤独におびえたり・・・。

下世話な話やあからさまな話などもてんこ盛りで、
男女の劣情の周期の話や
下痢や生理やオリモノの話などやりたい放題。
いろんな意味で突き抜けは可笑しさはあるのですが、
でも、それらがにぎやかしとして見る側を包み込む中でも
三十路前後の女性のその時間を生きる感覚の生々しさが
くっきりと浮かび見る側を捉える。
その感覚は、単純に満たされていないとかいう平板なものではなく
女性たちが刹那を過ごすなかでの
今を変えることができないことや
今をそのままにしての将来を描くことができないことへの漠然とした閉塞のようなものを、
観る側に伝えていきます。
彼氏のいない女性は結婚して子供が欲しいと言い、
結婚して子供を持つ女性は、女性として愛されたいと願い
結婚はしないという女性は、「ドナドナ」を唄う・・・。
その「ドナドナ」が場の空気にがっつりとはまることは、
役者のしたたかな演技の積み重ねの賜物なのですが、
役者たちの力はそれだけでは留まらず、
そこに、酔っ払いの態で
さらに酒で塗りつぶす今までが醸し出していく。
その勢いに観る側も押されて、
観る側までが彼女たちの刹那の諦観に浸されて。

スタッフが現れてのぞき見の終了を告げるところでは
演劇の枠組みを超えて
そのスタッフにまで突っ込みがはいったりして、
妙に面白かったりもするのですが、
でも階段を下りて待合室に戻るころには
その年代の女性が抱く心情の肌触りや重さ、
さらには行き場のない軽さが
観る側にしっかりと置かれていたことでした。

・家族になりたいー巻き込まれ型ー

出演:佐々木拓也(女性観客の場合) 成澤優子(男性観客の場合)

大森信幸 菅谷和美 /末吉康一郎 南波早 / 海老根理 吉田紗和子
(この三組のうちのひと組)

Plus 観客自身

こちらは同窓会編とカップル編の間に体験。

トータル15分くらいの上演時間なのですが、
これが私のような演劇関係者などではないただの観客にとっては、
単におもしろいだけでなく、
なかなか得難い貴重な体験になりました。

入口で簡単な注意書きを渡されて。
指定された時間に専用の小さな待合室に通されると
そこにも同じ段取りや注意書きが貼ってあって・・・。
巻き込まれ型ということで
自分も指示された台詞を言う場面があるのだなということは
事前に知らされていました。

でも、よしんばひとりであっても立場としては一応観客だし、
基本的には凄く近い場所で
役者の演技を観ることができるという企画だろうなと思っていたら・・・
とんでもない。

役者の方が現れると
待合室は待ち合わせ場所という設定にすり替わり
その女優さんはすでにお芝居の中の婚約者の態。
部屋に案内される段階で
すでに観客の立場などどこかに吹っ飛んでいて、
一気に演じる側の世界に巻き込まれてしまいます。

案内された部屋の前で婚約者を演じる女優さんと一緒にふすまをノックして。
部屋にはいると、そこには結婚の許しを請いにいくカップルと
それを迎え撃つ婚約者の兄たちという空気ががっつりと作りだされている。
のぞき見ですら観客の空間が用意されているのに、
そこには演じる場所しかない。

とりあえず座るように促され
座卓のむこうのふたりに挨拶をする。
と、その後ろには演出助手(?)の方がいて・・・。
で、スケッチブックでプロンプトのように
台詞を示してくれる。

その台詞も想像していた(相槌がふたつみっつ・・)より
はるかに多くて、時には長かったりもして、
最初はとにかく読むだけで精一杯。
でも、読んだ台詞をその場の3人の役者が取り込んで
演技に組み込んでくれると
あっという間に
観客として舞台を観るのとは全く違った感覚に引き込まれる。

よしんば自分が台詞を読まない部分であっても
客席でみるのとは明らかに違った質感の空気や間の中にいることを実感する。
そりゃ、ちゃんと演じることなどは到底できないのですが(当たり前)、
それでも、
ただ台詞を読むということにとどまらない
自分に与えられたロールのニュアンスとか間が
自然に自分の中に置かれる。
気が付けば、
その役柄に自分のどこかが置き換わっているのです。

だから、物語が進んで結婚の許しをもらえた時には
なんだか本当にうれしかったし、
兄役の役者さんに手を握られたときには
隣に座っている女優さんというか、女優さんが演じているその女性を
マジで幸せにしなければとか思ってしまう。

もちろん、部屋を出て待合室の場所に戻って
お芝居が終われば、
置き換わった部分もすっと元にもどるのですが
でも、それとは別に、
部屋の中で感じた幸せな気持ちは
ちゃんと残っていて。

で、なんだろ、上手くいえないのですが
舞台上に作られ、重ねられ、育っていく空気の
醸成のメカニズムの片鱗を垣間見たような気分。

役者の方がこれを体験しても
面白くもなんともないのかもしれませんが
小学校の学芸会で「農民2」とかしかやったことのない人間にとっては
とんでもなく新鮮で得るものも多い体験でありました。
冷静に考えてみると観客ひとりに役者が3人がかりですから
とても贅沢なやり方なのでしょうが、
観客にある種の空気を伝えるという意味では
実に秀逸なフォーマットであり試みであったと思う。

そして、なにより、観客というより参加者として
始まる前のどきどき感から
終わりでの満たされ感まで含めて
本当に楽しかったです。

*** *** ***

3本+1本を観終わって、
その充実感ったらありませんでした。

3本ののぞき見は、フォーマットこそ重なっていますが、
個々の描くものの奥行きとか距離感、さらには時間の密度のようなものが
ステレオタイプにならず
それぞれのモチーフに合わせて実にしたたかにコントロールされていて、
作り手の作劇のセンスを感じる。
その一方で、3本通しでみると、ルーズな作品間のつながりが
個々の作品の世界観を広げる力にもなっておりました。

場所の選び方や、タイムテーブルの組み方、
さらには運営の仕方にも
観る側に負荷をかけないスムーズさを感じて・・・。
だからこそ、ますます、観る側にとって
その充実感がとても上質なものに思える。

一回目の月島での「のぞき見」もとても衝撃的でしたが
今回そこからさらに劇的に進化をしていて驚愕。
作り手のフォーマットの磨き上げ方に舌を巻いて・・・。

来年春にもまた、
のぞき見の企画があるようで、
それがとても楽しみになりました

 

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