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柿喰う客「悩殺ハムレット」戯曲を生かして役者を見せる

2011年9月16日ソワレにて、柿喰う客「悩殺ハムレット」を観ました。

魅了されつつ
中屋敷作劇のさらなるベクトルの広がりをしっかりと感じることができました。

(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください)

原作: W.シェークスピア
脚色・演出 :中屋敷法仁

まずは、圧倒されました。
良い歳して今更ながらなのですが、
シェークスピアって面白いとおもった。

作品のもつ面白さが
あらかじめ用意されているということで
作り手は物語の骨格を組み上げる手番に力を削がれることなく
戯曲を読み解き咀嚼し意訳し、
個々のシーンが担うニュアンスの表現を
ぞくっとくるような感性で作り上げていく。

品格に包まれて置かれるのではなく
直感的に伝わってくる台詞の意図、
抜き身のような今様の言葉は
あけすけに観る側の感覚にそのニュアンスを伝えていきます。
個々のキャラクターたちが背負うロールの色や想いが
言葉や台詞回し(極めて現代風)にとどまらず、身体の表現(歌なども含めて)や
刹那の表情の誇張から
舞台全体に作られる空気として切っ先を持って現れる。
時には原典の優美さを生かしつつも、
一方で今の表層を切り取り
物語のアウトラインを染めていく。

その中で、
もちろん、物語の構成としてのロールの軽重はあるのですが、
場面を創るということに関して
軽いロールを振られた役者がみあたらないのが凄い。
戯曲に描かれた役柄の大きさや色に縛られることなく、
ひとつずつのキャラクターの刹那が
観る側にがっつりと入り込んでくる。

兵頭祐香が禍々しいだけではない、父の亡霊が纏う華を作りだす。
コロが演じるクローディアヌスには、ステレオタイプな敵役としての存在感に
揺らぐ(褒め言葉)内心の奥行きが細微に描かれて。
右手愛美はガートルードにエロいという言葉を背負わせつつ、
その弱さをもしたたかに観る側に置く。
深谷由梨香は演じるハムレットに
豊かな具象やデフォルメとともに悩みの深度をクリアに描き込む。
物語の流れの中に同じ所作のなかにも気持ちの落差が細かく作られていく。
リアリティを持った苦悩の質感が舞台を支配する。

清純なだけはなく、ちゃらいだけでもない、色香と無邪気さだけでもない、
絶妙な思慮の真摯さと女性としてのまっとうな感覚を感じさせる
新良エツ子のオフェーリア。歌唱が表現するものにも心を奪われて。
葛西幸菜が演じた、どこかに青臭さをしっかりと残しつつ、
その年代の青年の風情を豊かに膨らませたレアティーズ。
安定感をもって、
宮廷内の企みの匂いを編み上げた高島玲のボローニアス。

それらの戯曲上のメインキャストとまったく遜色なく、
むしろ、時には競い合うように
葛木英が演じるローゼンクランツや大杉亜依里が演じるギルデンスターンが
それぞれの人物像で舞台を染めていく。
彼女たちの演技の秀逸に、役者の地に持つ美しさが
舞台のしなやかな切れとなって重なって・・・。。
岡田あがさ が演じるマーセラスとか墓掘りから滲み出してくるにび色の印象は
震えが来るほどの役者の秀逸な表現力と舞台への献身に裏打ちされていて。
熊川ふみ のバナードーが組み上げる冒頭のトーンの確かさは
舞台の密度と安定を育み
渡邉安理オズリックの作りだすトーンが、
終盤の坩堝のような思惑の先に定まった惨劇を
ぞくっとくるほどしなやかにPOPな高揚や運命を受容する感覚へと押し込める。
葉丸あすか が演じるフォルティマンドやイングランド使節が
一瞬で悲劇の外側の質感の軽さを醸し物語の枠組みとして機能させ
萩野友里が演じるホレイシオが作りだす実直さが物語の流れにとどまらず
ラストでの悲劇の現場の疲弊感をしっかりと浮かび上がらせる。
                              
そして、終盤フォーティンブラスとして物語の受け取る
七味まゆ味が作り出す空気に是非もなく取り込まれる。
言葉にならないような色と力をもったテイストとともに浮かび上がる
鼻持ちならない感覚が
がっつりと編み上げられ物語を受け取る。

たくさんのロールが死を賜るなかで
演じる役者たちがもれなく生きるハムレット。
でも、それは、学芸会で全員に見せ場を作るなどというのとは全く違って、
シェークスピアが描いた戯曲の世界のキャラクターが
ひたすら実直に描かれただけ。

戯曲に編みこまれた、
登場人物たちの肌触りが
古典の枠組みに縛られない、
戯曲の意訳とニュアンスの描写力の果実として
役者たちの秀逸な演技から溢れだしてくるとき、
役者それぞれの解き放たれた演技の広がりの先に
不滅の名作の骨組みと舞台を満たす役柄分の感覚の実存感が
一つに重なる。
ソファーひとつのシンプルな舞台に物語が生まれ、
登場人物たちはそれぞれに歩み、あるいは苦悩し、
やがては運命に身をゆだね・・・、
その先には静謐と新しい時間が訪れる。
戯曲の構造はそのままに観る側を引き込み、、
でも一方でそれは、
作り手がきっともくろんでいるがごとくに、
役者を見せる舞台として
観る側を圧倒していくのです。

ここ何作かの中屋敷作品を観ていると
彼の作劇のポリシーというか、舞台上の役者を見せるということに対してのだわり方が
しっかりと定まった感があるのですが、
その定まりが縛りとなって作品たちを一つの形に集約させていくのではなく、
逆に作り手や演じ手にさらに様々な創作の広がりを生みだしていく力になっているように思えて。

これだけの実績を重ねた劇団であるにもかかわらず、
その真価が発揮されるのが、
まさにここからなのではないかと思わせる、
そんな可能性や凄さをも感じた舞台でありました。

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