文月堂「ちょぼくれ花咲男」時代の風情のしたたかな取り込み
ちょっと遅くなりましたが、
2011年9月17日ソワレにて文月堂「ちょぼくれ花咲男」を観ました。
会場は新宿御苑前のサンモールスタジオ。
エンターティメント性を保ちつつ
心に残るものがしっかりと担保された秀作でした。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
作・演出 : 三谷智子
出演 : 前田こうしん 川本裕之 凪沢渋次 佐藤滋 植木まなぶ
霧島ロック 高宮尚貴 平田耕太郎 牧野耕治 青木岳美
石川美帆 辻沢綾香 大森照子 石川佳那枝 田中玲
藤原よしこ 神馬ゆかり 原田香織
劇場に入ると、定式幕が引かれていて、
すでに歌舞伎というか時代劇の雰囲気がいっぱい。
でも、始まってみると
たとえばハイリンドが「牡丹灯籠」で見せたような、
時代考証の緻密な、ガチな時代劇とはちょっと違う。
設定や道具立ては明らかに時代劇なのですが、
心地よい軽質さがあって、
ことさらに時代劇であることを意識しないで
舞台に入り込んでいける・・・。
時代劇にしたことで
以前観た劇団の作品と比べて
個々の登場人物のキャラクター設定がくっきりと見える。
で、キャラクターが観る側にしっかりと観る側に置かれることで
物語に語られる以上の膨らみがやってくる。
小説でも、連作の時代物の短編などを読んでいると
あたかもその世界に住んでいるような気分になるようなことがあって、
(最近出版されたものでは高田郁氏の「みをつくし料理帳」や
畠中恵氏の「しゃばげ」の世界。
ちょっと古いと都筑道夫氏の「砂絵シリーズ」みたいな・・・)
現実から一歩離れた感覚があるから
現代の舞台では描きえない
いろんなことが見えたり受け入れられたりするような・・・。
それと同じような物語の設定の自由さが作品にあって、
観る側も舞台の設定にすっとなじむことができる。
時代劇の小難しさがうまく排されて、
下世話さやちょっとした奇抜さ、
さらには市井の生活感なども
すいっと切り取られて描かれていく。
屁の芸にしても、
心を病んだ態のやりたい放題のお姫様にしても、
刹那の笑いにとどまらず、物語の枠組みとしてしっかりと馴染む。
天の岩戸の御開帳からろくろ首、
一人相撲といった芸人たちが集う
見世物小屋のプロフェッショナルの楽屋裏にしても
紙屑ひろいにしても
大名屋敷の雰囲気や武士の風情にしても
観る側がすっと取り込んでその中に入って行ける
シンプルさがあって・・・。
そして、その中に織り込まれた、
人の想いの機微も
ピュアな感じで観る側に入ってくる。
物語の展開に取り込まれているうちに
気が付けば人のいろんな想いの揺らぎが
観る側に置かれている。
そりゃ、小劇場の中でも所作とか時代考証とか
難しい部分ではもっとすぐれた作品もあるし
時代劇の凛とした部分には若干欠けているのも事実。
でも、作り手の見せたいのは、
もっと別なところにあるように思えて。
役者も時代劇の態をつくることへのクオリティに加えて
現代劇の如くキャラクターたちの心情を実直に作り上げていく。
安定感があるし、個性もしたたかにつくられていて
観る側がゆだねられるのがよい。
舞台の展開には今様なリズムがしたたかに織り込まれて
テンポがよくて、観ていて飽きない。
その中に「おもろうてやがて悲しき」的な作劇から
さらに踏み込んだ
物語の味わいや膨らみがあって・・・。、
気が付けば2時間ほどの舞台をまるっと観てしまっておりました。、
まあ、この劇団が時代劇というのを聞いたときには
ちょっと想像ができなかったのですが、
観劇後は、劇団の一つの引き出しである旨の認識がしっかりと出来ていて。
作り手の作劇の間口の広さに感心するとともに、
この劇団なら、きっと楽しめるから観に行きたいというような信頼感が
しかと芽生えたことでした。
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