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東京ネジ「東京ねじれ」ねじれる痛みともどる質感が与えてくれるもの

2011年2月27日ソワレにて東京ネジ「東京ねじれ」を観ました。
場所は京王線八幡山駅からほど近いワーサルシアター。

再演ということですが、
そのテーマには3.11以降の今と強くオーバラップする部分があって。
一方でその今が作品の普遍性を証明しているような気もして・・・。

いずれにしても
舞台からやってくるものたちに
強く心を動かされました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

東京ネジの旗揚げ作品の再演なのだそうです。
3.11の前に、すでに公演が決まっていたとのこと。

冒頭のシーンから暫くの間、
舞台上の事情が呑み込めるまでには、
すこし時間がかかります。
作り手は、無理をせず、実直に、
その時点での登場人物たちにとってありのままにあるものを描いていく。

どこかデフォルメされていても、
キャラクターたちの今がすっとあらわれてきます。
首都圏で大地震があったこと。
姉はその時に足が不自由になったこと。
その家には大家の姉妹と間借り人がいること。
表面に明るさはあってもどこか閉塞した空気、
なにかが滞ったような雰囲気。
そして、時報とともに表現される突然やってくる時間・・・。

挿入されるシーンが、つながりのないままに
その場におかれ積もる。
それぞれが抱えているものも詳しく語られることなく
緑の水の寓意も心持ち唐突に差入れられて。
でも、女性ばかりのその家に、一人の男性が同居を始めると、
物語は輪郭を現わしはじめ、
なにかがすこしだけほどけていきます。

曖昧さが、ひとりずつが抱える事情に実存感を醸し出していて、
時間のコラージュにも、蘇る記憶のような実感がある。
いろんな色の想いが少しずつ現れるに従って、
突然のことにねじれて、変質し、息を止めてしまうものたちの姿が
理性ではなく感覚のように観る側に入り込んでくる。
思いを残したもの、なにかに縛られたもの、
失ったものに捉われ動くことがかなわなくなり、
理性の向こう側でなにかをせずにはいられなくなり・・・。
さまざまなのものが何かの欠片のように、
折り重なり絡まり合って、
舞台の時間にやわらかくおかれていくのです。

そこには淡々と動きがとれない時間があって、
絡まりあった感覚に行き場を失ったものがある。
でも、時は止まることなく、さらなる時間が流れて。
たとえば同居人が増えたことで
物語のなかに観る側が感じた絡まりがすこしだけ解け、
解けたものはさらにほどけ
やがて結び目が一本の糸に戻っていく。
そこには解けるまでの時間も、痛みも、
帰れないこともあるけれど、
痛みはその時のままではありえず、傷はやがて癒え、
血はかさぶたとなって剥がれ落ちる。
よしんば痕ができていても、形はもはや昔のままではなかったとしても
人はいつしか踏みだすし、捩れは戻るのです。

くしくも、3.11のことがあり、
現実が設定に塗り重ねられてしまったために
地震の印象がとても強く感じられたのは事実。
でも、本来この作品においての地震は、
人が突然まかないきれないなにかを背負うことの寓意なのだろうし、
それは震災から4ヶ月での上演であってもぶれてはいなかったと思う。
物語は、負わされたものがなんであるかにかかわらず
立ちすくむばかりでなく、
荷を解いてふたたび歩み出すことの必然を
実直な表現で観る側に伝えていく。
背負うものが地震のごとく避け得ぬ事であるならば
崩れたものに再生の時が満ちることことにも
人がその荷を踏み台にして先に進む姿にも必然があることを
作り手は真摯に語りかけてくれるのです。


作・出演 :佐々木なふみ 演出・出演:佐々木香与子

出演:佐々木富貴子、小玉久仁子(ホチキス)、吉田真琴、田中正伸

劇団員の3人(佐々木×3)のそれぞれの持ち味が、
舞台の時間にしっかり生かされていたことは言うまでもないのですが、
他の役者達も絶妙なキャスティングだと思う。

客演の小玉久仁子の、すっとエネルギーを抜かれたような風情には、
細かく創られた感情の鈍さ(ほめことば)と繊細さがとても丁寧に織り込まれていて。
けれん味の強い演技をあてがわれることも多い役者さんですが、
むしろ、外面を支える内面の表現に優れた役者さんであることを実感。
吉田真琴も舞台にリズムを作りつつ、キャラクターがコアに抱える思いを
絶妙な味加減と強さの表し方で舞台に差し込んでいく。
田中正伸には存在感の膨らませ方と出し入れがとてもしなやかで
そのタッチが、物語を着実にあざとさなしに前へと進めてくれる。

観終わって、べたな言い方ですが、
なにかがすっと腑に落ちたというか、
大震災からいまだにず滞っていた自分の中の空気の色も
すこしだけ変わったようにも思えて。

どこかコミカルな側面もあるこの舞台ですが、
タフな部分はぶれることなく                                                         しっかりと描き込まれていて、
描かれたある種の普遍性が、
忘れ得ぬ感覚としてしっかりと観る側に刻まれたことでした。

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