コロブチカ「2」さらっと入れて奥が深い3作品
2011年6月26日ソワレにてコロブチカ「2」を観ました。
会場は新宿三丁目のSPACE雑遊。
短篇集ということでどこか気軽な気持ちで訪問したのですが
3つの二人芝居、それぞれにエッジが立っていて
真剣勝負で楽しむことができました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
オーソドックスな客席に色目の派手な長椅子がひとつ。
シンプルな舞台美術のなかにで3つの物語が紡がれていきます。
・sweet motion
出演者:右手愛美・大杉亜依里
作・演出:コロ
ちょっと不思議な質感を持った舞台。
シーンごとに生まれてくるイメージやニュアンスが
伸び切る前に短く カットされていくような感覚があって。
鏡との対話のイメージ。崩れていくもの。
恣意的にシーンの繋がりが切り落とされて、
その一方で、
舞台に刻まれる波紋の中心には
主人公の、祖母に自らの存在を認知されなかった衝撃が
解けることなく浮かび上がって来る。
噛み合わないものや、
たどり着けなかったり抜け落ちたような感覚が
二人の会話の表現のなかに縫い込まれていて、
ルーズなシークエンスが醸し出す
そのつかみどころのないテイストに縛られて、
舞台に見入ってしまう。
ただ、そのテイストを内側に閉じ込める
おばあさんから認識されなかったという客観的な事実の枠組みが
同じトーンで描かれていることもあり、
シーンごとに現れたり滅失していく感覚と
しっくりと重なり合わない部分があるのが残念。
そのために刈り込まれたり消えたりしたものの座標が
観る側にクリアに伝わってこない部分があって。
作り手の感性にはぞくっとくる部分があって
役者もまっすぐなお芝居で世界を作ってはいるのですが、
喪失したものの曖昧さに塗りこめられた世界からの抜け方に
積み上げきれていないような唐突さがあって
ちょっとぎこちない感じが残りました。
・グッドフェローズ
演出・出演:浅見紘至・伊与勢我無(ナイロン100℃)
作:竹内佑(デス発電所)
物理的な痛みがまっすぐに伝わってくるよな舞台でもあり
ちょっと心臓にくるようなテイストを内包した短編でもありました。
妻の日記から友人に寝とられたことを知った夫、
ユーモラスというか浮気をされた側のこっけいさが
残酷さを舞台になじませる前半・・・。
その復讐劇にはちょいとハードボイルドというか
容赦のなさがあって、
ブラックでスパイシーでタフな
ウィットもふんだんに盛り込まれていて
でも、前半のシーンの血生臭さの強烈な印象も
作品にとっては踏み台に過ぎず
作り手の本当のたくらみはさらに奥にある。
というか前半のシーンたちががっつりとボディブローの役割をはたして。
ラストのワンショットに圧倒的な重さが生まれ
そのインパクトに見事に嵌ってしまいました。
余韻を残したまま、客電がついて5分間の休息。
そうせざるを得ないだろうなぁと思う。
もちろん、その刹那だけの作品ではないのでしょうけれど<
それにしても強烈なインパクトでありました。
・来週は桶狭間の合戦
出演者:コロ・堀越涼(花組芝居)
作・演出:中屋敷法仁(柿喰う客)
役者の二人を観ているだけで眼福。
冒頭の絵面は男女であっても
舞台が始まるとその中間のトーンでしなやかに物語が展開していきます。
なんだろ、物語の組み上げ方というか
役者達の物語に対する足の置き方が抜群に良い舞台で
物語がコアに持っているエグさが、
それぞれの演じる力をしたたかに引き出していく。
一つ間違えばどろっと濁ってしまうような物語なのですが
観る側にひっかかりスラ生まれないナチュラルなモラルハザード感や
どこかはみ出したきわどい部分を
澱みを作ることなく切れ味とともに
編み上げていく力が二人の役者にあって。
立ち止まることのない舞台の流れが
翌週の修羅場と女子高生の今、
さらにはそれを演じる素を見せるような演劇上の掟破りまで
とりこんで舞台にグルーブ感を醸していきます。
物語の前提すらも
四次元的にずらしたり重ねたりする荒業も
普通に取り込んでいく奥行きが場に生まれて
観る側をさらなる笑いに引き込んでいく。
女性の色香を作ることができる男優も
男側に突き抜けた骨太さを女性として演じる男優も
それなりにはいるのだろうけれど、
突き抜けないボーダーぎりぎりの蓮っ葉さを作り出すことが出来る男優って
そんなにはいないはず。
また、同じトーンを貫く中に、揺らがない骨太さと
透明な繊細さを同居させることができる女優も
またしかり。
物語自体も、絶妙に面白いのですが
それを演じるふたりの役者を見つづけているだけで
時間を忘れてしまうような魅力があって。
そのなかでキャラクターたちは
いくつものトーンを奏でていく。
最後に女優によって歌われる「カントリー・ローズ」、
物語に対して十分な声量があるというか
安定感があって不思議に心地よく
物語をすっとひとところに着地せてしまう。
上質な漫才のような舞台なのですが
気が付けば、その歌に観る側を委ねさせるほどに
それぞれのキャラクターが抱えるものが
二人の時間には織り込まれていて。
もっと観続けたいと思わせる魅力ががっつりと舞台あって、
でも終わってみれば
塗り込められた可笑しさよりも
むしろ、二人の殺伐とした心風景に心を奪われている。
作品に編みこまれた仕掛けの秀逸と、
それを具現化し
薄っぺらくみ背ながら
和音のような厚みとともにキャラクターを演じていく役者たちの力量に
ひたすら心を奪われておりました。
*** *** ***
先週の「確率論」とあわせて、6月の雑遊での二人芝居4本、
実はどれも、オーソドックスな感じのする二人芝居ではなかったのですが・・・、
いろんな味わいに触れることができて。
セット券が出たりルーズに連携のある2本の公演、
なにか劇場のこの時期の恒例行事のようになれば素敵だなと思ったことでした。
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