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TOKYO PLAYERS COLLECTION「In Her Twenties」秀逸なフォーマットに浮かびあがる女性の時間

2011年5月31日ソワレにて、TOKYO PLAYERS COLLECTION 「In Her Twenties」を観ました。
会場は王子小劇場。

それほど長い上演時間でもないにもかかわらず、
舞台上に描かれる女性の時間には、
豊かな質量があって
作り手の表現の斬新さに目を瞠り
その世界に、どっぷりとはまりこんでしまいました。

(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください)

冒頭、役者たちの会話やちょっとした遊びがあって
場が立ち上がっていく感じがかなり楽しい。
やがて、両端に二十歳と間もなく三十歳を演じる役者が現れると
女性たちが興じていたフルーツバスケットの時間が解けて
記憶に時系列が生まれるがごとく
20代の1年ずつを背負う8人の女優がその年代順に半円形に並びます。

ひとりの女性を描くそのフォーメーションというか仕掛けの意図は、
すぐに観る側に明らかになる。
作り手は、カードをオープンにして
そこから一人の女性の10年間を組み上げていきます。

20代という言葉に括られていても
その1年ずつが役者達の異なる個性や色に
とても瑞々しく染められていて・・・。
一方で、
1年に留まらないいろんな尺のさまざまなエピソード、
音楽の勉強のことだったり、
仕事のことだったり、
友人との関係だったり
両親のことだったり愛犬のことだったり・・・。
それらが彼女の歩みの足跡を幾重にも束ねて
しなやかに繋がれていく。
時間の流れに織り込まれていくいろんな速度や
変化の度合いや深さが
それぞれの伸びやかな演技とともに
いくつもの質感を浮かび上がらせていくのです。
さらには両端におかれた
20代の始まりと終わりの二つの時点での視座が
時間達がもつ未来としての表情と過ぎ去ったものへの感慨を
いくつもの陰影や膨らみとともに立体感をもった時間へと
まとめあげていく。

ひとり一人の役者たちが
十年に埋もれることなく
1年ずつの時間を自らの色でつたえているのが凄くよい。
20代の入り口と最後の時間、
インタビューに答える態で語られる2人のお芝居も
それぞれの年齢がもつ視野や想いの実存感に満たされていて
とても秀逸。
お世辞でも誇張でもなく
毎日、1年、10年間と
それぞれの時間をビビッドに溢れさせるだけの
豊かな表現の広がりに魔法のように捉えられて。

時間の均一でない流れがあって、
それぞれの時点で振り返る過去と
次の時間の質感を感じる10年。
積み重なっていくことが重さにならず
深さや奥行きになっていくような感覚があって
がっつりと浸潤されてしまいました。

役者のこと、、
20歳を演じた榊奈津美はインタビューに答えるときの歪みのなさが印象的、流れる時間の原点をくっきりと創り出すくっきりとした表現力があって。
21歳を演じた八幡みゆきは希望と憂いの表現のバランスがとてもよく、小さな挫折の印象も細微に拾い上げていきます。また刹那にあらわれる透明感があって、観る側を彼女が綴る時間に惹きつけてしまう。
22歳を演じた井上千裕は劇場への出演が今回初めてとのことでしたが、そんな風情はおくびにも出さず、少女を脱してひとりの女性へと歩み出すきざしや変化を、ナチュラルで安定感を持った演技で舞台に縫い込んでいく。
23歳を演じた中村梨那には陰陽をすっと一つにまとめるような力があって、キャラクターの中に積もっていくものがしっかりと見えるお芝居でした。この人には現わすものへの独特の解像力があって観る側を着実に捉えていく。
24歳を演じた梅舟惟永は20代の転換期ともなる行き詰まりや苦悩を奥行きを細微な感情の表現とともに舞台に演じ上げて。またコメディエンヌ的な演技にもあざとさがなく舞台全体にアクセントを創り出していました。
25歳を演じた南波早は目鼻立ちのはっきりとしたお芝居で、音楽を諦めて新しい道を歩み始めた大人の女性の快活さを観る側に伝えてくれました。
26歳を演じた吉川莉早からは、大人の女性としての広がりや生活のリズムがしなやかにやってきました。ほんの少しだけお芝居の質感が他の役者よりやわらかで、そのことで年齢の重なりがきちんと表現できているようにも思えて。
27歳を演じた甘粕阿紗子には次第に生活や仕事にのめり込んでいく働き盛りの女性の姿を、実感とともに観る側に伝えていく力があって。生活のテンパっていく感じを一色に染めず、その中にある毎日の質感を丁寧に描き出して見せました。
28歳の病気療養中の女性を演じた小鶴璃奈には、それまでの日々から女性が得た広い視野のようなものを感じることができました。友人の結婚式のスピーチには彼女が過ごしてきた時間たちが豊かに織り込まれていて。女性が年齢を重ねることで得たものがすっと浮かび上がる。
そして、29歳の最後の日にインタビューを受ける冬月ちきには、その10年を気負わずに一つのものとして背負って見せるお芝居の奥行きがあって。インタビューの受け応えには並んだ9人の役者たちが組み上げたものをそのまま内包する力がありました。

役者たちの力量に加えて、個々の役者を選び出し一番よい持ち球を見出してきっちりと使い分ける上野作劇のしたたかさにも舌を巻く。

***

見終わって、とても強くもう一度観たいと思いまして・・・。
初日に加えて、楽日のマチネ(というか11時公演)を再び観劇。

初日とは、
時間のつながりの感じがどこか絶妙に違っていて・・。
楽日の舞台では、
一年ごとのつながりのバラツキがやや薄れ、
十年の中にあるうねりのようなものが
より豊かに感じられるようになっていました。
そこには、旨く言えないのですが、
初日と同じおなじ肌触りと絶妙に異なる雰囲気が共存していて
この舞台、生き物のようだと思う。
その回ごとの揺らぎは、
なにか、この女性が自らに抱く感覚の移ろいのようにも思えて。

単に一人の女性の過ごしてきた時間を物語るのではなく、
彼女自身の心に浮かぶ
未来や記憶の感覚で
その時間を満たしていく。
作り手が舞台上に広げた
新しいフォーマットから紡がれていく世界に、
素直に心を奪われてしまいました。

それにしても、終演後に降りてきた、
10人もの役者たち全員の次の舞台をもれなく観たくなるような感覚、
ほんと困ったもので(褒め言葉)・・・。
この舞台、二度見るとその感覚はますます強くなる。
上野作劇が役者達の魅力をひとりも無駄にしたり置き去りにしていないことに
改めて瞠目。
今回の作品のメソッドが
万人に受け入れられるかどうかは
わからないのですが
これまでの彼の作品からさらに一歩を踏み出したものであることは
間違いなく、
私にとっては新鮮で強く心に残る作品でありました。

この舞台、秀作だと思います。
舞台を作り上げていくうえでの
作り手の間口の広さや独創性を改めて実感した舞台でもありました。

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