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日本語を読む その4 Cプログラム「夜の子供」、なんてくっきり伝わってくるのだろう

2011年5月6日ソワレにて「日本語を読む その4 Cプログラム 『夜の子供』」を観ました。

会場は三軒茶屋シアタートラム。

世田谷パブリックシアターのこの企画は去年も観ていて、強く心惹かれるものがあって。

私は、実を言うと、リーディングというものの定義をいまひとつきちんと理解できていないのですが、この公演を観ていわゆるリーディングという形態での表現の力を再認識することができました。

今回は時間の都合等ありCプログラムしか観ることができなかったのですが、それがとても残念に思えたことでした。

(ここからネタばれがあります。ご留意ください。)

作   : 生田萬 
演出: 吉田小夏

出演:粕谷吉洋・久世星佳・佐戸井けん太・ともさと衣・羽場裕一・明星真由美・吉見一豊

1986年に書かれた戯曲だそうです。

演出家がアフタートークで触れていたように
とても豊かで美しいト書きがあって
その言葉たちが、観る側に舞台の世界を紡いでいきます。

始まった時には
そのト書きを読み上げるテンポが少しだけ早いように感じましたが
やがて、その速さがシーンをもたつきなく進めていく力になっていく。

ト書きにとどまらず
台詞たちも、遊び心にあふれてとても豊か。
戯曲が作られた当時に観客の主流だった年代の
子供のころの記憶を借景にしているので
記憶があいまいだったり
元ネタがわからないフレーズの借用なども
あったのですが
(若い世代には聞いたこともないフレーズかと・・・)
それでも、言葉の響きなどのおもしろさは
しっかりと伝わってきて・・・。

未来を今に据えて、現代を過去に置いて、
二つの時代を行きかう物語を
舞台の前方と後方に切り分ける。
音楽は時にセピアがかった高揚や慰安を観る側に注ぎ込み
照明は記憶と妄想の深度と実存を舞台に表していきます。

死んだ母親、
いなくなった父親、
生まれなかった兄妹たちと・・・。
時間を逆回しにするごとに
どこか甘さを持った、
でもビターで切ない記憶や嘘が解けていく。
繰り返されるやり直し。
時間の枠組みを踏み出した
お祭りのような夜の時間のクリアなイメージと
希望や想いのテイストが
語り綴られるシーンたちからしなやかに伝わってきて。

この作品、
リーディングという形式ではなく
ふつうの演劇として上演すれば
さぞや、観客の目を惹くものになったと思います。
ブリキの自発団の公演などは観ていないのですが、
もし、ト書きに込められたイメージがこの舞台に
リーディングということでなく具現化され、
それぞれのシーンを埋め尽くせば
世界は彩られ膨らみ、
観る側はきっと舞台上に浮かび上がる幻に
深く取り込まれていたと思う。

でも、その一方で、
こうして、
役者たちがリーディングという枠の中で
一行ごとの台詞を丁寧に積み上げて
作り上げた世界でなければ伝わってこないものも
間違いなくあるように思う。
ト書きやお芝居に付随するイメージが
言葉に閉じ込められ
役者たちの豊かな表現力を持った朗読によって
観る側に置かれると、
物語の構造がしっかり見えるというか
お芝居の表層的な広がりの部分に目が眩むことがなく、
さらには戯曲に織り込まれた言葉たちの響きにこそ浸潤され
それゆえに研ぎ澄まされた質感を持った
キャラクターの想いが奥行きをもってしなやかに残るのです。

観る側が身をゆだねられる役者たちと
洗練を感じさせる演出によって
リーディングだからこそ持ち得る力や
成しうる表現があることを
改めて実感することができました

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