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ポかリン記憶舎「humming5」時間と場の交点で揺らぎを静かに見つめる 

2011年4月28日ソワレにてポかリン記憶舎「humming5」を観ました。

会場は千駄木駅から歩いて5分ほどの「さんさき坂カフェ」。
その場所での、その時間を、しっかりと味わうことができました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出 : 明神慈

会場は坂の途中にあるカフェ。
日もとっぷりと暮れたころ
主宰の方の凛として心地よい
職人技のような客入れを経て
静かに舞台が始まります。

カフェの日常がまずつくられる。
居続けのお客さんが去ったり
物語の前半を担う常連さんがやってきたり。
トイレットペーパーのエピソードなども
キャラクターの出掃けのきっかけに留まらない
その店のニュアンスを創り出していきます。
トイレを借りに来てバイトを志願する男の存在も
したたかに差し込まれて
その店の開かれた部分と閉じられた部分が
観る側に肌合いとして伝わってくる。

そのベースがあるから
常連の客と昔の恋人の再会にしても
あるがごとくにすっと入ってくるのです。
二人の関係が
作りこまれ置かれるのではなく
時が次第に場に解けるなかに自然と伝わってくる感じがして・・。
その店の女主人と帰って来た娘が
ひととき常連客に店を託して場を外す空気にも
不思議なくらい違和感がなく
あとには二人だけがその店に置かれたことの
細微でやわらかい揺らぎが
あるがままに広がっていきます。
二人がそれぞれに過ごした時間が
美化されることことなく感情に流されることもない
互いの姿をその場に表す。
満ちていく想いが
場の密度をゆっくりと高めて。
そして、店に男が現れて想いの交わりがさえぎられる時の
すっとテンションが切れる感じが
場の揺らぎにさらなる振幅を与えて。
女性が店を去った後
やってきた客をひとりにして彼女を追う常連客に
観る側の想いまでが一つのベクトルのなかに
しっかりと引き込まれていく。
ひとり残された男が、
静謐で居心地の悪そうな時間を過ごす中に
常連客が残していった携帯がなって
カップルの想いの重なりが暗示されるあたりも
上手いと思う・・・。

その、残された男は店の主人の娘が見つけてきた婚約者候補で
やがて戻ってきた女主人と面会を果たします。
母親は男を挑発して試す。
がむしゃらさのないその男は
母親のお眼鏡にはかなわなかったよう・・・。
そこには、母親が過ごしてきた時間とともに編み上げた
人生や結婚に対しての感覚があって、
その枠に捉われることへの反発と、
踏み出し破ることに逡巡が交差する娘の想いが
あいまいな、でも確実に存在するその時間のベクトルとなって
ゆっくりと観る側に吸い込まれていきます。
場に生まれたいくつもの想いが
したたかな重なりをもって
でも、互いが色を染め合ったりべたついたりすることなく、
それぞれに淡々と深く
店に流れる時間を彩っていくのです。

役者のこと、カフェの主人を演じた桜井昭子には時間を感じさせる枯れ方がありました。ビビットな枯れ方というとなにか表現矛盾なのですが、キャラクターが過ごしてきた日々が芝居の襞から見えてくるような感じがあって。その場所の時間に目盛りを与えるような部分もあって。常連客を演じた日下部そう には今の時間を消費するライブ感を感じる。桜井と日下部の会話がそのままカフェの時間に厚みを生み出していきます。

常連客の元恋人を演じた後藤飛鳥も観る側を惹きこむ。感性のしなやかさと芯の強さ、さらに内心に満ちたものと埋まっていないものが混在する感覚が細微に伝わってきます。常連客が再開した後のよりを戻したくなる気持ちが直感的にわかるような魅力があって、それが観る側を前のめりにしてくれる。

女主人の娘を演じた中島美紀は一定の社会的キャリアが醸す雰囲気と、娘としての母親に対する想いの生々しさがしたたかに同居したお芝居。切羽詰まっているというほどではないけれどでもふっと踏み出したくなるような感覚への葛藤が織り込まれていて。
上手く表現できないのですが、なんだろ、その演技から、母親の価値観の硬質な部分が照らし出されて、さらに娘の固まりきらない想いの濃淡が浮かび上がってくる感じ・・。
桜井と組み上げる終盤の母娘の時間には常ならぬ見応えがありました。

山田伊久磨は娘の婚約者候補のロールを、緻密な軽さをもって演じていきます。その年代のふつうの男の重さのようなものが舞台にきちんと置かれていく。一方で、ひとり店に残された時間の心情をひしひしと感じさせるお芝居の緻密さもあって・・・。

トイレを借りにきた男を演じた前田雅洋は、ベクトルやテンポをその店の空気と合わせることができないみたいな、露骨ではないけれどしっかりと距離感を踏み違えを感じさせるお芝居でしたたかに場に刺さって見せました。客入れからいるその店の常連客は、演出助手の3人(太田みち 鈴木未穂子 芝崎知花子)が回替わりで演じていましたが、その店の実存感をさりげなく作り上げておりました。

終演後にカフェタイムがあって
その場に暫く居させていただいたのですが
なにか、舞台の延長線上の時間に
ふっと置かれているような感覚が残って。
なんというか、観る側としての
舞台上の時間と場所の座標軸が
現実感を持って交わったように思えたり。

私が3・4・5と観た
劇団のhummingシリーズは一応これで終わりのようですが
このような作り手のやり方はさらに続けられるとのことで、
ふたたび作り手が供するであろう
どこかの場所とそこにつくられる時間の揺らぎに出会うことが
益々楽しみになりました。

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