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ブライアリー企画「川と出会い」川の記憶を共振させるイメージのふくよかさ

2011年4月22日ソワレにて、青年団若手自主企画Vol.49、
ブライアリー企画「川と出会い」を観ました。

会場はアトリエ春風舎。

映像と身体表現がそれぞれに編み上げていくイメージに、自然ととりこまれてしまいました。

(ここからはネタばれが含まれていますので、ご留意ください)

アトリエ春風舎、
ここのスペースのフレキシビリティには
いつも驚かされます。
今回は、通常の粗い板張りにさらに床材が施され
板張りの広いダンスステージが確保されている。

入って奥側に客席が設えられ、
そこから観た正面に大きなスクリーンが掲げられて。
映像や写真で川の風景が映し出されて
それを借景にパフォーマンスが重なり始めます。

バレエ、ダンス・・・。
舞台を横切る形で流れていくパフォーマー達の動きが
次第に川の感覚に膨らんでいく。
統制された流れのなかでも
ひとりずつの動きが決して均一ではなく、
クラシックバレエはもとより、ダンス、体操、格闘技といった
それぞれが自らの持つメソッドや表現のバックグラウンドを生かして動いていることで
川の流れに様々な複雑さが構成されていきます。

観る側が個々の動きを追うことに慣れ
やがて全体を包括して感じることができるようになったころには、
舞台に自然な感触の川の流れがあって
パフォーマーたちの動きをそれぞれの動きに目を奪われているうちに
風景が生まれ、
さらには肌に川面からの風を受けるような感覚がやってくる。

シーンの重なりはそのまま
川が内包するイメージの豊かさとなって
観る側に伝わってきます。
映し出されるあちらこちらの川、
土手の景色、桜が映える川面、
街のタイトな雰囲気、
東京、京都、ヨーロッパ、世界・・・。

そのなかでのモノローグは
言葉としてではなく透明感のあるイメージとして
観る側に伝わってくる。
身体表現と言葉で編み上げられる河童(?)のイメージまでが
力感をもって創られ川からやってくるものとして浮かび上がる。

川の表現とそこから繋がっていくものが
互いにさらなる膨らみを創り出し広がっていきます。
ふっと気が付けば、
その風景を客観的に眺めている
観客の自分の中にある川の記憶までが
その風景に一体化していて・・・。

やってくるイメージは馴染みのあるものなのに
常なるものの新しい表情を見つけたような感動が残って。
終演時には、ふくよかに作り手の世界に心を掴まれておりました。

演出・振付:ブライアリー・ロング
音楽    :ウルスラ・クォン・ブラウン

出演    :熊谷祐子・齋藤晴香・小瀧万梨子・ルーシー アッシュ・京極智彦・鈴木みほ



余談ですが、本物のクラシックバレエの動きを
あんなに近くで観たのは初めてかも。
その華麗さと同時に
しなやかな動きをを支える筋肉の力や
つま先で全身を支え切るバランス感覚や力感にも息を呑む。

終演後少しだけ作り手の方とお話をさせていただいたのですが、
この作品からさらにひとつの物語を作り上げていくビジョンがあって
彼女がさらに築いていくであろう
表現の方向性にも強い興味を持ちました。

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