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クロムモリブデン「裸の女を持つ男」一様でない個性が醸し出す高揚

2011年4月18日ソワレにてクロムモリブデン「裸の女を持つ男」を観ました。

会場は三軒茶屋のシアタートラム。この劇団が持つ常習性をもった色の濃さと広がりに、今回もしっかりと取り込まれてしまいました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出 : 青木秀樹

出演:辰巳智秋(ブラジル)・渡邉とかげ・久保貫太郎・武子太郎・奥田ワレタ・花戸祐介・金沢涼恵・幸田尚子・森下亮・板倉チヒロ・木村美月・小林義典

舞台は静かに始まります。まずは観客に舞台を見つめさせる。
観客を耕す時間があって。

物語の発端は漫画家にモーテルに連れ込まれた女性が
OBLと名付けられた非合法ドラックのオーバードースで
死んでしまったことなのですが、
裸の女を持ったその男(漫画家)が
担当の編集者に助けを求める電話をかけたことから
いろんな世界がその出来事に絡まってきます。

編集者は自らのつてでその処理を他の人間に依頼し
その人間はさらに仕事を丸投げする。
実際に処理をする人間にとっての死体の処理は
すでにニュアンスが違っていて・・・。

そこに薬物がらみのスキャンダルでマスコミから逃げ回っている女優や、
パパラッチの男、
さらには風俗嬢やモーテルの管理人親子(?)、
薬物によって現れる妄想までが入り込んできて
物語があれよと広がっていく。

あからさまに浮かび上がってくる現実の事件があったりもするし
全員がある意味悪人という設定なのですが、
その悪さというのが
必ずしも物語のなかで一色に貫かれているわけではない。
むしろ「・・・の視点から見たら」みたいな但し書きを
個々に背負った悪さで。
その「・・・」には「世間」とか「法律上」とか「道義的な」とか「モラル」
いろんな言葉が入るのでしょうけれど、
ひとつの価値観で物語が染められてはいないのです。
悪いことの色や一線を跨いでしまったという自覚の程度は違えど、
なにかを踏み越えてしまった態のキャラクターが
舞台を満たしていきます。
その踏み越える線やベクトルがいろいろで、
なにか個々の「悪いこと」が
今という世界を膨らませて満たしてしているようにすら感じる。

キャラクターたちの個性の作りこみが
したたかで大胆で繊細でとてもよい。
まさにクロムモリブデンならではのもの。
善悪の境界線に対して
ずかずかと踏み出す姿に
作りこまれたその色ががっつりと浮かび上がってくる。
しかも、なにかの事象を表層的に戯画化するにとどまらない
普遍的な感覚が役者たちのお芝居に編み込まれていて。
一人ずつの役者のお芝居を観ているだけでも
十分に面白いのですが、
それぞれの個性や立ち位置から伝わってくるものが
物語の中に
シーンごとの刹那の味わいとは異なる奥行きを
しっかりと創り出しているのです。

また、今回は役者たちが自らの十八番的な色を演じているわけではなく
新しい側面を見せていることにも驚かされる。
それぞれの役者が自らのホームでの舞台に安住せずに、
客演の役者さんを含めて
個々に挑戦的に表現の領域を広げているように思える。
違う色を作りだしたり、自らの個性の色に奥行きを作りだしたり・・・。
それは、観客が単に作品の中で役者の別の一面を楽しむにとどまらず、
この劇団が公演を重ねていくうえでの
マンネリ感を払拭する確かな力にもなって。

前半から何度も登場するドライブのシーンが
ラストでは高揚とともに舞台に熱を作り出し、
その先には
一つの出来事につながった
様々な個性や事情が引きずられる絵面が残される。
終演時のその絵面から
膨らみの毒の甘さや苦さの連鎖に
知らず知らずのうちに
観る側までが巻き込まれ、強く引き付けられていたことを知る。

それにしても、ほんとうに・・・、
この劇団のお芝居は癖になります。
100人の観客がいて、全員がこの世界に引き込まれるかというと
そうはならない気がするけれど、
逆に100人が好む作品を作り始めたら
彼らの世界はきっとなくなってしまうのだろうし、
作り手にしても役者たちにしても
ぶれることなく勇気と確信を持って
しっかりとまた彼らの洗練のステージを上げているように感じました。

ネット上などでは賛否が分かれているようですが、
むしろそれは、彼らの作品が自らの個性を失うことなく
しっかりと作り上げられたことの賞賛のように思える。

帰り道、当パンに作者が書かれた文章を読むと
きっちりと作者の思惑通りに運ばれたようにも感じて
少々(好意的な意味で)悔しかったりもするのですが
よしんばそうであっても、
もっと彼らが創り出すものをオーバードースしたくなるような
魅力をしたたかに内包した作品でありました。

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