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マームとジブシー「あ、ストレンジャー」メソッドが作りだす的確な密度(ちょこっと改訂

2011年4月1日初日に、マームとジプシー「あ、ストレンジャー」を観ました。

場所は清澄白河のSNAC。

小さな空間での、45分のお芝居にがっつりと浸されました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

原作「異邦人」アルベール・カミュ
作・演出 藤田貴大

出演:青柳いづみ 荻原綾 尾野島慎太朗 高山玲子

中学生のころに読んだはずなのですけれどねぇ・・・。
観劇をするまで、記憶がほとんどなくて。

とはいうものの、劇後にとても興味を惹かれて原作を読んで・・・。
すべてではないのですが
物語の骨格が
しなやかに取り込まれていることを知る。

ただ、その原作を覚えていなくても、或いは読んでいなくても
舞台に現れたものには観る側を巻き込んで行く力があって。
気が付けば、
舞台上に広がり組みあがる
キャラクターたちの時間に強く取り込まれている。

母親の死に対する感覚の
解けない塊のような実感。
何かが麻痺したような主人公の時間、
それぞれの苛立ちの肌合い・・・。

淡々としているなかに、
上手く言えないのですが、
個々のキャラクターの重なりの内側にある
それぞれの苛立ちの感覚が
つもっていきます。
それは、前回の公演のように
すべてを日々に包み込んで
観る側を圧倒するのではなく
時間の質感のラフなつながりに紡ぎ込まれて
観る側に広がっていく。

前回公演に組み上げられた
濃密な記憶のイメージとは異なる
ひと時の感覚の洒脱な積みあがりが
舞台からやってきます。
作品の尺も半分以下なのですが、
それよりも
描くものすべてが記憶の質量とともに流し込まれるのではなく
濃縮されない素の肌触りのままに
解けて前回とは異なる、軽さを持ってみる側に入り込んでくる。
密度と重さは違うもので、
さらには、その密度だからこそ
観る側が受けとって
染まってしまう世界がある。

太陽を模した電球、窓、おもちゃの電車・・・、
おかまのおじさんや踏みつぶされた鳩が
ルーズに時間を縫い合わせる。
次第に高まるものがしなやかに膨らんで、
その密度にまで満ちているからこそ
終盤の銃声が
唐突でもなく違和感もなく、
観る側を解き放ってくれるのです。

観終わって、舞台の傍に歩み寄り
描かれた街を眺めて
さらに演じられた時間を俯瞰して・・・。

描くものごとになされる
作り手の筆遣いや
それを具現化する役者たちの表現の精度の秀逸に
あらためて舌を巻く。

それほど長くない上演時間にからこぼれ出した
少し常ならぬ3日間の量感をもったキャラクターたちの世界に
振り返ればふかく取り込まれておりました。

まあ、私が知らなかっただけなのかもしれませんが、
この劇団が描きえるトーンのバリエーションの豊かさを実感した公演でもあり・・・。
今後が益々たのしみになりました。

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