« 時間堂「廃墟」のレビューについて | トップページ | ポかリン記憶舎「humming5」時間と場の交点で揺らぎを静かに見つめる  »

虚構の劇団「アンダー・ザ・ロウズ」鴻上演劇に戻った視野を開く作劇の切れ

2011年4月21日ソワレにて、虚構の劇団「アンダー・ザ・ロウズ」を観ました。

会場は座・高円寺1。

作り手独自の作劇様式を残しつつ、観る側にしっかりとした切れとボディを感じさせる作品でありました。

(ここからはネタバレがあります。十分にご留意ください。)

作・演出:鴻上尚史

出演:大久保綾乃 大杉さほり 小沢道成 小野川晶 杉浦一輝 
高橋奈津季 三上陽永 山崎雄介 渡辺芳博 / 古河耕史

開演すると、瞬時に舞台に持っていかれる。
光と歪んだミラーが創り出す世界が
観る側を舞台に一気に取り込んでいきます。

ジグゾーパズルのように
物語が少しずつ組みあがってくる前半部分を
役者たちのメリハリを持ったお芝居が
しっかりと維持していく。

実をいうと、挿入されるベタな笑いなどには
舞台の肌触りがどこか古風に感じられる部分もあるのですが、
物語の組上がりに従って熱が広がっていくような
「鴻上流」のテンションがあって
劇場が次第に彼の語り口に満たされていきます。

パラレルワールドの話、
観客と同じ世界から、記憶をもったまま別の
世界にやってきた男の
戸惑いの描き方や受け入れ方がナチュラルで
観る側も彼を通して次第にもうひとつの世界を受け入れていきます。
現実の世界でいじめを観過ごした彼が、
その世界では、いじめに対してのリベンジをおこなった
伝説の人物のようになっていて。
彼の立ち位置から
キャラクター個々の物語が広がり
男が連れてこられた場所の人間たちが背負うものを
常態的な出来事として捉える視座が作られていく・・・。

もしも物語が、
単にいじめや暴力のパターンとそれを受け続けるものたちの苦悩の羅列であったなら
よしんばそれらがどれほど精緻に紡がれていたとしても
これほど鋭利な切迫感は感じなかったと思うのです。
それどころか、テーマには、
言い古されたような陳腐な感覚が付きまとったと思う。
しかし、この舞台には冒頭からもうひとつ別の軸があって
そこに文学賞を受賞した女性が置かれることで、
単なる閉塞感を超えた視野が作り出されていきます。。
応募作品のほとんどがいじめや家庭の問題を描いて落選していくなかで、
「小娘」のような彼女はそれらと無縁の生活の感覚を描いて文学賞を取る。
彼女と、受け続けたいじめを書いて落選し続けた男の
思いのベクトルの噛み合わなさに不思議な実存感があって・・・。
ふたりを演じる役者それぞれのキャラクターを貫くお芝居の秀逸が
いじめによる行き場のない苦悩と
いじめとは無縁のふくよかな家庭環境がもつイノセンスの色のそれぞれに
リアリティを与えていくのです。
彼が解き放とうとするもの、そして彼女が感じようとするもの、
二つの重なりから、この物語の構造だからこそ
現出する一色に染まらない時代のありようが垣間見えて。

さらには「背中を押す」という行為、
集団が力を求める構造、
詐欺まがいのことや禍々しいもの。
風向きというくらいにあっさりと揺らぐ世間、あるいは風潮。
パラレルワールドの別の世界という設定がしたたかに生きて
観る側に、個々が「抱え押さえこんでいるもの」、
もっといえば「抑え込まざるを得なかったもの」の
箍が外れた先の姿が
一つのシミュレーションのごとく
舞台に現出していくのです。

作り手は
導かれるものの終焉に
変わることなく続いていく現代の構造と、解放されえないことへの失望と、
でも、下を向くばかりではなく
それでも歩もうとするその世界の人たちの姿を置きます。
何も変わらないなかでそのままに残された絶望と、
それでもついえることのない望みが
文学賞を取った女性と取りえなかった男が生み出した視野の先に
浮かんでくる。

男は、パラレルワールドから
作り手が編み込んだ視野とともに
観客と同じ世界にもどる。
同棲中の女性の元へと帰り、
パラレルワールドとは異なって
背中を押されることもなく
秘され閉じ込められた彼女の想いに向き合い
それを全て受け止めようとする彼の姿や想いには
あざとさのない実直な強さと説得力があって。

終幕の暗転の中、この世界の今に向き合う彼の姿に
深く浸潤されました。

作り手の作劇には
いわゆる90年代演劇のテイストが残されていて
笑いなどで醸そうとする軽さなどには、
必ずしも機能していない部分もあるのですが、
それでも、今回の作品で
彼が舞台上に冷徹に何かを描き出すものには
初めて第三舞台を観た時の
独特の切れ味を感じさせるものがあって。

また、シベリア少女鉄道や空想組曲への客演で
秀逸なお芝居を見せた役者たちを観るにつけても
役者たちが一作ごとの力をつけていることを実感。

劇団の次の作品も観たいと思わせる、
力強さと奥行きをしっかりと持った
舞台だったと思います。

|

« 時間堂「廃墟」のレビューについて | トップページ | ポかリン記憶舎「humming5」時間と場の交点で揺らぎを静かに見つめる  »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 虚構の劇団「アンダー・ザ・ロウズ」鴻上演劇に戻った視野を開く作劇の切れ:

« 時間堂「廃墟」のレビューについて | トップページ | ポかリン記憶舎「humming5」時間と場の交点で揺らぎを静かに見つめる  »