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パラドックス定数「5seconds」表現する刹那にむかって解けていくペースの秀逸

2011年3月12日マチネにてパラドックス定数「5seconds」を観ました。
会場はThe Art Complex Center of Tokyo。

とてもクオリティの高いお芝居でした。

震災の翌日の公演ということで、観客もやや少なめでしたが
個人的には観に行って本当によかった。

秀逸な舞台表現というのは
人の気持ちをしっかりとリセットしてくれる力があるようで、
前日の混乱の後遺症で訳もなく気持ちが落ち込んでいたのですが、
なにかがリセットされたような心持ちになりました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本・演出 : 野木萌葱

出演     : 井内勇希, 小野ゆたか

会場に菱形に並べられた座席、
中央に電話だけがおかれた飾りのない机と
2脚の椅子。
常ならぬ感じとシンプルさが共存する舞台の中で
機長と弁護士の会話劇が始まります。

舞台は完全に閉塞された空間として設定されているわけではない。
カメラの存在によって
その場所の情報は外部に流され得ることも明示されて。
そのことは物語の外側の枠組みを提示するにとどまらず
観る側の傍観者の位置を担保するような効果もあって、
とても近距離でのお芝居を
どちらかに感情移入をすることなく
見つめていく。

事故の内容は
提示されていくのですが
単純に事実が組み上がっていくわけではない。
設定や二人の会話には
観る側にとって摺り合わないような部分があって
それが羽田沖の旅客機墜落という事実に
つなぎとめられている感じ。
でもその違和感に観る側が捉えられていくのです。

舞台が進むうちに
違和感の構成がすこしずつ解かれていきます。
そのスピードというか段階の踏み方が
急ぐことなく、澱むことがなく、実に秀逸。
順番に解けるというのとも少し違って
登場人物の重なりあった認識から
それぞれの立場がすこしずつ照らし出されていく感じ。
舞台の核心へと観る側を運んでくれる。

事故の現実、壊れた機体、機長の責任・・・
その現実の主体となるべき機長の
プライドや立場の保身への心理や行動、
弁護士の当惑・・・。
シーンが重なる中で乖離していたものが
次第に是正され
二人の立ち位置が
観客にもゆっくりと定まっていく。

面会時の手錠が外され、
事故の現実や彼がもう
機長としての職務につけないことが告げられて。

ここまでに作りこまれているから、
終盤の飛行のシミュレーションのような会話も
しなやかに観る側を舞台の内側に取り込んでくれます。

そこには機長の心の中のフライトのグルーブ感があって。
コックピット内での彼の視座や心の動きが
皮膚にまで伝わってくるような現実感をもって
観る側にやってくる。
やがて飛行機は着陸態勢に向かって・・。
機長の認識に内側に弁護士が事実を重ねて・・・。
観る側に、その5秒間の真実が手渡される。

その刹那の真実に立ち会ったような、
閉塞から一歩踏み出した感覚がまずやってきて。
すっと視野が開けたように感じる。
でも、なんだろ、それだけにとどまらない余韻が残る。
登場人物間の相容れない部分がしっかりと残っていて。
浮かんでくる人間の危さのようなものが
鈍く、でも厳然と広がっていく。

観終わって拍手をして
ゆっくりと息を吐いて。
会場を出るときには
作品の完成度と役者たちの一歩ずつ演じきっていく力に
完全に心を占領されてしまっておりました。

クオリティの高いお芝居を観た後の充足感に
そのあとゆっくりと満たされて。

劇団の2人芝居の連作、
もうひとつの方もとても楽しみになりました。

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