« カムヰヤッセン「サザンカの見える窓のある部屋」劇団の力量を知る | トップページ | パラドックス定数「5seconds」表現する刹那にむかって解けていくペースの秀逸 »

荒川チョモランマ 「偽善者日記」観る側に物語を追わせきる

2011年3月18日ソワレにて荒川チョモランマ「偽善者日記」を観ました。

会場は中野シアターmomo。

一時は公演中止に追い込まれた作品ですが、振替公演として帰還を短縮しての上演。
作り手の想いがかれた文章に加えて制作の方の想いもチケット裏面に綴られていました。

そのお芝居の出来栄えもなかなかに秀逸。

多少長めの舞台にもかかわらず、観る側に物語を追わせきる力がありました。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

脚本・演出:長田莉奈

出演 :あに子/荒木昌代(THE☆メンチカツ成)/石井由紀子/加賀美秀明(青春事情)/近藤伸哉(てあとろ50’)/佐藤幸樹(てあとろ50’)/椎谷万里江(拘束ピエロ)/寺尾みなみ(劇団東京ペンギン)/三輪友実/山本恭裕(劇団東京ペンギン)/吉武奈朋美 

冒頭、エアロビシーンのサービス(?)から一気に物語に導かれて・・・。

ばらばらというわけではなく
一つの流れのなかに物語が描かれてはいくのですが
3幕それぞれに
物語の色がしっかりと作られていて
全体として冗長な感じがなく
個々のシーンのニュアンスをしっかりと追って行ける。

たとえば、
1幕の男がまるでぽんと背中を押されたように
競馬に転落していく刹那、
あるいは2幕の男の姿を主人公が悟るときの静的な表現、
さらには、
それらの物語の外側が描かれる3幕の
キャラクターの視座のばらつき感などなど・・・
デフォルメされたいろんなシーンから引き出される
空気の実存感が
舞台を次々に満たしていく。

細密に描くという感じではないのですが、
キャラクターの設定や
それぞれの物語の流れに
無理がなく、
自然にその空気に引き込まれるような感覚があって。

個々のシーンの色が
一様でなくそれぞれに満ちて、
ラストシーンの中に
ひといろに染まらない生きていくことの感覚のようなものがあって。
そのヴィヴィッドさに浸されてしまう。

舞台装置の構造にしても
時間をコントロールするようなムーブメントにしても
間に織り込まれるエンターティメント色をもった部分にしても・・・
それぞれのシーンの強弱が
きちんとコントロールされていて。

役者たちにも
単にメリハリに走らないきちんとした心情表現があって
物語を筋書きからニュアンスに膨らませていく。
個々の実直なお芝居が
キャラクターの色をしっかりと保ち
交わらない強さがあるのが良い。

緻密とはいえないけれど、
むしろ作りこまれた緻密さに縛られないからこそ見えてくるような
父母の世代から子供たちの世代にいたる、
それぞれの生きる感覚のようなものが
しなやかに俯瞰されてみる側に浮かび上がってくる。

まあ、いろんなことを盛り込み過ぎた感も
なきにしもあらずなのですが、
ちょっと勇み足のようなラフさも終幕できちんと回収されて・・・。

2時間超えの作品に
ただただ見入ってしまいました。

*** **** ***

終演後、
携帯にメールが来ていて・・・・。
物語の後日談のようなニュアンスが観る側に伝えられます。

こういう表現もしたたかで上手いと思う。

なにかを一歩踏み越えた
表現の手練の豊かさにさらに心惹かれて。
次の公演が一層楽しみになりました

  •  

    |

    « カムヰヤッセン「サザンカの見える窓のある部屋」劇団の力量を知る | トップページ | パラドックス定数「5seconds」表現する刹那にむかって解けていくペースの秀逸 »

    コメント

    この記事へのコメントは終了しました。

    トラックバック


    この記事へのトラックバック一覧です: 荒川チョモランマ 「偽善者日記」観る側に物語を追わせきる:

    « カムヰヤッセン「サザンカの見える窓のある部屋」劇団の力量を知る | トップページ | パラドックス定数「5seconds」表現する刹那にむかって解けていくペースの秀逸 »