岡崎藝術座 「街などない」心に広がるよしなしごとの質感
2011年2月19日ソワレにて、岡崎藝術座「街などない」を観ました。
会場は横浜にぎわい座の地下にある「野毛シャーレ」。
この会場は初めてだったのですが、
上の階の寄席というか劇場とは趣の全く違う場の雰囲気にちょっとびっくり。
(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください。)
作・演出・美術:神里雄大
客席は広い空間に半円状に2列に並べられた椅子とベンチ。
舞台となる中央には4脚の椅子が並べられていて
開演15分前くらいから、
出演者たちがその場所に思い思いに座り読書を始めます。
そして、開演。
順番にというわけではないのですが、
ひとりずつ、話を始めます。
まあ、話題によっては
いろいろと下世話な内容だったりもするし、
あっけんからんと語られることが
けっこう印象に残ったりもするのですが、
でも、思い返すと、
それこそ横浜と川崎といった場所の話にはじまって
ちょっと不可思議ないろんな場所の位置や
いろんな知識や揶揄や
生理的にやってくるものの話まで、
さまざまに浮かび上がるものがあって、
シーンごとのそれぞれが場を満たしていて。
観る側もルーズにつながっていく流れにのせられて
そのまま引き入れられてしまうのです。
ふっと浮かんだようなイメージや
戯曲の一部分や
いろんな概念や知識、
ジャブのようだったりちょっと毒のある悪口、
歌のワンフレーズ、
その他もろもろ。
解きほどかれたものたちが
心を占めていくような感触がしなやかに伝わってくる。
日本語字幕の回だったので、
アドリブなどまったくなく
台詞はすべて台本の通りだったことがわかりつつ、
とても自然体に感じられる空間の
その広がりが醸し出す、
即興のような肌触りがとても好印象。
実はとてもしたたかな台本で、
ランダムとも思える話の展開をながめているうちに
気が付けば幾重にも物語の断片が
が観る側に重なっていて。
それを4人の女優たちが
どこかPOPに、観る側に負担をかけず、
リラックスした感じで
さらに舞台に広げていきます
間の使い方もとても効果的・・・。
話題がすっと塗り替わる感じにも
思考の空白を
そのまま持ち込んだような質感があって。
女性たちの会話として描かれる
よしなしごと。
想像でしかありませんが
ガールズトークのノリって
女性たちの想った事がそのまま供されて
連鎖していく感覚なのかとか
妙に納得したり。
すこしずつ前に出される椅子の位置で
読書をはなれて思うことのふくらみが
次第に広がっていくような気もして
その一方で、適度に話題が満ちると
四人の女性たちの存在感がすっと解けて
素に戻っていくその醒め方や途切れ方にも目を奪われる。
最後に、舞台に膨らんだものが
コーヒーを飲んで読書をしている
ひとりの女性に収束していくラストも
それまでの広がりを受け取るだけの
クールな切れがあって鮮やかで。
ほんと、すっと素に帰るように舞台が終わるのです。
終幕の拍手をするなかで
目の前に広がっていたものの向こうにある
女性のありふれた時間の瑞々しさに
絶妙にとりこまれていることに気づいて。
なんだろ、あたかもファミレスの斜め向かいの席で
読書をする女性の心の内をスケルトン仕様で
見せられたような・・・。
その表現のビビッドさや、
さらには
作り手の時間や思いの切り取り方のしたたかさに
改めて驚愕したことでした。
出演:宇田川千珠子 上田遥 武井翔子 橋本和加子
役者たちの表現にはクリアさと確かさがあって
観る側がそのままに持っていかれます。
4人の女優たちのリラックスした
でも、表現のメリハリをしっかりと持ったお芝居が
湧き出ては移ろい消滅していくような感覚を
観る側にしっかりと押し込んでくれて。
終わってみれば、客席のレイアウトも非常に観やすいだけではなく、
なにげにちょっとした具象のようにも思えて。
(考え過ぎかもしれないけれど)
その場に示された作り手の創意と役者の力を
がっつりと受け取ることができました。
べたな言い方ですが、
素直な感想として、とても面白かったです。
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