ブラジル「怪物」、実存感に紐づいたしなやかなデフォルメ
2011年2月18日マチネにて、ブラジル「怪物」を観ました。
会場は下北沢駅前劇場。やや長めの舞台でしたが、時間の感覚をまったく失ってしまうほどにおもしろかった。
また、単なる笑いにとどまらない、
デフォルメされた事象たちから表われる
女と男と母親の思いの
様々な実存感にもこころを奪われました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
脚本・演出 : ブラジリィー・アン・山田
宇宙人と行きづりの関係をもった女性が、宇宙人との赤ん坊を産み落とすという、
奇想天外な設定なのですが、
物語が、ごく一般的なアパートの一室で綴られていくなか
その設定があるからこそ
女や男の出産や子供が生まれることに対しての
普遍的な感覚がしなやかに抽出されていく・・・。
設定の突飛さと
現出するリアリティのそれぞれに目を奪われてしまいました。
作劇の秀逸さに加えて、本当に役者を奢った舞台で・・・。
個々のお芝居がそれぞれに芝居の求心力になっていく。
たとえば、桑原裕子が演じる
ジャンボな子供を産み落とす女性。
元夫・職場・一夜の出会いや宇宙人にいたるまでの
オールラウンドな関係のニュアンスや、
心情の変化、
さらには、どこかクレバーな部分や強さ、
そして女性や母としての揺らぐ気持ちや脆さまでが
ひとつの個性のなかに違和感なく作りこまれている。
そこには、観る側が、そのあるがままに受け取り、
自らの感覚をのせて物語の顛末をゆだねることができる
圧倒的な秀逸さがあるのです。
それは、彼女をとりまくキャラクターたちの現わし方にしても同じこと。
諫山幸治が演じる元夫のどこかぎこちない訪れ方にしても、
中川智明が演じる元勤め先の上司の仕事がらみのことにしても、
スタンスの取り方の表現にしたたかな熟度があって。
その関わり方の可笑しさをたっぷりと醸しながらも
物語が奇異なものに引きずられて現実から乖離していくことはなく
観る側の感覚にさりげなく馴染んでいく。
いきずりのタクシー運転手を演じた本井博之 が作り出す
2人からさらに何かが逸脱したキャラクターにしても
お芝居に十分すぎるほどの手練があって
流れたり浮いたりすることなく
設定の中でしっかりと生かされ映えるのです。
その雰囲気があるから、
医師の終盤の行動にしてもしっかりと物語に組み込まれていくし、
よしんば元職場の同僚に、オカルトというか超常現象が絡んでも、
その踏み込みがしっかりと物語に絡んで浮くことがなく
ある種の感覚を伝えてくれる。
医師を演じた西山聡から次第に滲み出てくる狂気には、
ある意味まっとうな学究的な好奇心が芯にあって、
それゆえに、設定のデフォルメから派生して炙り出される
なにかが麻痺したような感覚のリアリティにぞくっとくる。
堀川炎も、
場の空気にしっかりと居場所をつくる。
嫉妬をしなやかに内に秘めつつ
思いを踏み出して演じる底力があって。
恋する想いに押し出され、
モラルの箍がはずれて
魔物が飛び出すようなお芝居の踏み込みに
思わず息をのみました。
そんななかで、羽鳥名美子と櫻井智也が演じた
主人公の妹と彼氏の二人の存在が
様々な舞台上のデフォルメを
さらにしっかりと観る側の感覚に縫いつけていきます。
終盤、舞台上のいろんな誇張がすっと後ろに回って、
ありがちな「出来ちゃった結婚」プロポーズの普通さというか当たり前さが
繊細に浮かび上がるシーンがとても良い。
女性が妊娠したとはいえ
どこかあやふやな2人の将来へのためらいや
ふっと後ろを押される感じが
物語上でたっぷりデフォルメされた
子供を授かる感覚と重なりながら
ちょっとシニカルに、
でもとても暖かく浮かび上がってくるのです。
ジャンボベビーを演じた辰巳智秋の献身的な演技の秀逸さにも瞠目。
仕草の一つずつがやたらに可笑しく、
それが親戚のハイハイを始めた子供の姿に重なると
可笑しさがさらに増して・・・。
その体躯にも目を奪われますが、
子供の仕草への細密な描写力にこそ目を見開く。
実は、とても実直につくられた物語だと思うのです。
役者たちが紡ぐシーンのひとつずつが
観る側が内心に持つ感覚に紐づいていて
だから、様々な誇張やとほほな感覚すらも
観る側の感覚を揺さぶってくれる。
苦笑系喜劇とはよく言ったもの。
その苦笑をがっつりと引き出す作り手の描写力に引き込まれ、
さらには役者たちの秀逸なお芝居にもどっぷりと取り込まれ・・・、
笑いながらも、すっと染み込んでくる
子供を授かることにまつわる
暖かさとどこか凛と醒めた感覚のそれぞれに
深く浸されたことでした
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