ロロ「グレート、ワンダフル、ファンタスティック」ひと時に浮かぶものを伝える力
2010年2月10日ソワレにてロロ「グレート、ワンダフル、ファンタスティック」を観ました。
場所はコマバあごら劇場。
この劇団が持つ観る側にダイレクトに伝える力が、さらに新しい境地を手に入れたように感じました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
脚本・演出:三浦直之
劇場の長辺に舞台が切られていて。
入場するとすでに、役者がひとり舞台にたたずんでいる。
舞台が始まると
冒頭のシーンでケーキが女性の顔面にぶつけられて・・・。
そこから舞台上に様々な感覚や思索が描かれていきます。
登校の道端にある様々なもの。
それらが次第に舞台を占める要素となっていく。
アニメを連想されるもの
お伽噺からの借景、
役名からべたに伝わってくるキャラクターのコンセプト。
六角形のプレートが随所に
プラットフォームのように並べられて。
様々なものがのせられて
舞台に描かれるもののベースというか形になっていく。
そこには様々に心に浮かぶ態で
繋がっていく世界があって。
最初は浮かぶものの変遷をただ追いかけていくのですが、
やがて、その流れに取り込まれていきます。
巡るように繋がるエピソード。
時に広がったり戻ったり、
あるいは示唆に富んだ表現が差し込まれたり。
ステレオタイプに描けば
切り落とされてしまうような感覚が
想いが展開していく道程で
あるがごとくに拾われていく。
「秋冬モデル」や「合成獣 せつなさ」といった
名付けや動きにしてもそうなのですが、
それぞれのキャラクター設定に根があって、
だからこそ、
あるがままに移ろい変わっていくエピソードたちを
追いかけてしまうのです。
たとえば「せつなさ」の改造・・・。
付けられた尻尾。
さらにその尻尾は切れたりもして。
記憶を「臭い」と感じる。
匂いを追い求めつづける気持ち。
せつなさにつけられた「鼻」。
沈みたたずむ風情や
海苔を飛ばそうという想いの高まり・・・・。
様々や揺らぎや変化の中で
浮かび上がる端境の今。
飛ぶことやとべないことへの気持ち、
どこかあからさまで、
想いがどこかまっすぐにやってくる。
シーンが積み重なっていく中で
物語を追うよりも
むしろ一枚の絵を眺めるような感触で
どこかあやふやで、
揺らいで、
かっこよくなくて、
なにか掴みきれないけれど
でも前に進んでいる主人公の今が
あるがままに伝わってくるのです。
それらが冒頭のシーンのリプライズで
誕生日のひと時の刹那に落とし込まれて・・・。
良い絵が観る者を立ち止まらせるごとくに
舞台上の空気に心を捉われておりました。
出演:板橋駿谷 亀島一徳 篠崎大悟 望月綾乃 青木宏幸 多賀麻美 森本華 山崎明日香
役者たちには
自らのキャラクターを貫くにとどまらず
舞台全体にテンションを満たすための
献身的な演技があって。
その密度だから、
散らばったり埋もれたりしないニュアンスが
しなやかにやってくる。
これまでの作品に比べても
この舞台は、
具象のフラグが若干少なめかなとは思うのです。
でも、だからこそ、
観る側に伝わる肌触りがあるようにも感じて。
終演の時、
作り手の表現ならではの
ダイレクトにつたわってくるものに満たされ
暫く舞台を見つめておりました
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