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オーストラ・マコンドー「ヒールのブーツ」、その場所を描く表現の卓越

2011年1月16日ソワレにて、オーストラ・マコンドー「ヒールのブーツ」を観ました。
会場はJORDI Tokyo。NHK放送センターのすぐ近く、ガラス張りのレンタルスペースのような場所で、日頃はファッション関係の展示などにも使われているとのこと。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本協力:上野友之
演出   :倉元朋幸


客入れ時からすでに、
舞台jというかお店のスタイリッシュな雰囲気が
醸し出されていて。
やがて物語が始まると、
狂言回しの言葉で時間が動き
そこに関わるキャラクターたちの
様々なシーンが重ねられていきます。

個々のキャラクターが後ろに抱えているものが
あからさまに演じられたり
恣意的に語られることはない。
オーナーの過去も、訪れる客たちの出身や家族構成も
恋人の姿さえそこにはない。
その場にあることだけが
伝えられていく。

そうであっても
個々のシーンを構成する役者たちのお芝居が
キャラクターたちをその場に表し
時間にしなやかな実存感を与えていくのです。

客席と役者の立ち位置の距離だけで観ると、
クオリティは十分なのですが
それぞれの強さや色の濃淡にはばらつきがあって、
役者の間に必ずしも調和があるわけではない。

でも、窓の外の演技や景色に目が行き
その場所を感じた瞬間に
役者たちがいる空気の実存感に
がっつりと包み込まれる。
まるで点描画を観ているよう。
役者間のお芝居の色調への違和感がすっと霧散し
その場所と時間の
色彩の豊かさとして観る側を惹きこんでいく・・・。

その場所が感じられると
今度はその場の質感で
キャラクターたちのその場所での心情が
さらなる立体感をもって浮かび上がってくるのです。

ライトを消して作られる
外からの光だけの一瞬もとても効果的。
その場に日々が流れ
舞台にもうひとつの軸が刻まれる。
いくつかの時間が行き来をする中で
積もる日々が、それぞれに、しなやかに
その場所のエピソードとしてはめ込まれる。

終盤、
狂言回しとしてエピソードを語り続けた女性の
生きていく想いのリアリティに心を捉えられる。
店の閉店の日に重ねられたキャラクターたちの手、
どこか締まりのない結末に
失われるであろうその場所の存在が
より深い記憶にすりかわって・・。

役者の出来もとてもよかったです。
渡邊安理の演技には物語を仕切り動かす切れがあって。
様々な色を一気に立ち上げることのできる役者さんで、お芝居にぶれがなく、時に喧騒をも作りだしながら、一方で女性のどこかに潜む危さのようなものをすっと観る側に刷り込んでいく。終盤の短い独白にも強いインパクトがあって。耐えられないような薄っぺらさを豊かに伝え、自らに当惑しながらさらに歩む感覚を高揚にまで変えていく。その多面的な表現の力量に目を見張りました。
川村紗也はどこか内向的な女性の想いをしなやかに演じ上げてみせました。キャラクターの心情の内側を入り込む感じを高い解像度で精緻に浮かび上がらせて。内心の押さえたものと湧き上がるものを、丸めてしまうことなく、揺らぎや温度とともに観る側に伝えてくれる芝居にがっつりと引き込まれました。柔らかな表情の変化に強い印象を残すシーンもいくつかあって。場の空気を崩さずに思いをすっと観る側に置いていく手練にも息を呑みました。
松崎みゆきには強くしなやかな存在感がありました。美しさをしっかりと出せる役者さんで、その立ち姿には浮き立つことなく観る側に場の印象を注ぎ込んでいく力があって。前半のシーンでしっかりと露出した思いをしたたかにラッピングして女性としての成熟を作り上げていく姿にも心惹かれました。物語の側面を見せるようなロールでもあるのですが、その埋もれなさのようなものが単にキャラクター自身にとどまらずシーンの密度や肌合いを醸し出しておりました。
伊佐美由紀はその場に広くトーンを描いて見せました。存在感の出し入れに違和感がなく、その場の空気をすっとブティック的な中間色に創り変えていく。客入れにも携わっていたのですが、その時に醸し出された雰囲気が物語全体の下地にもなっていて。空間を何気にしたたかにコントロールする技量を感じました。

カトウシンスケ兼多利明は単に個々のキャラクターの表現に留まらず、二つの個性を上手く組み合わせて物語を支えていきました。1+1の算数ではなく、それぞれが相手を通してさらなるキャラクターのふくらみを掛け算で作りだしていく感じ。組になってもそれぞれの個性を殺すことなく、ふたり以上の存在感で観る側の舞台の時間や空間の感覚を大きく広げてくれる。ウィンドウの外側でのお芝居などにしても安藤なども絡めた連携がとてもしなやかで、それが物語を場に閉じ込めるのではなく、むしろその場に物語を醸し出すような力になっていて。
成川知也のお芝居にも瞠目。彼がその場であるがごとくにがっつりと舞台の柱を支えて見せました。内にとどめる思いの奥行きがすうっと空間全体へと編み込まれていく。キャラクターの作りこみの深さにとどまらず、他のキャラクターとの距離感も実に秀逸で、確固たる表現で押し切るのではなく、柔らかさをもった質感から他のキャラクターの個性までをしっかりと引き出して見せました。

それぞれに自らのベクトルを貫き
その場を作り上げた役者の秀逸に心を満たされて。
そして、会場のみならず
外の景色までをとりこんで
その場所の物語を描き上げた
作り手たちの手腕に
改めて瞠目したことでした。

ちなみに、この作品、
お昼に観るとさらに鮮やかな印象がやってくる気がした。
夜景だからこそ現れるものもあるのでしょうが、
通りの向こう側やその先に広がる景色には
さらなる力があるような気がして。
時間がなくてマチネが観れないことが
とても残念に感じられたことでした。


 

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