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劇団ガソリーナ「トードーの旗のもとに」枠組みを超えて溢れだす物語の圧倒

2011年1月13日ソワレにて、劇団ガソリーナ「トードーの旗のもとに 第1章~少年よ千夜一夜の夜が明ける~」を観ました。会場は大塚萬劇場。

終演時には、物語に身をゆだねた高揚感と更なる物語への飢餓感にどっぷりと浸されておりました。

(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください)

原作・作・演出:じんのひろあき

出演:下釜千昌(ケッケコーポレーション)、AYACHU(あやちゅう)
渡邉佳美(ケッケコーポレーション)、城直展也、都紀絵、吉原小百合
吉岡毅志、吉田潔、濱美穂子、原田達也、田邊雅生(劇団イタセンパラ)
久木田佳那子、丹 聡(劇団有機座)、田中翔二郎、森 双葉、島本万里江
長澤美加、村田昇磨、遠藤雅幸、木村大介、浜田洋介、土田ひろ子、榊陽介
岡本広毅(ガソリーナ)、伊藤栄次(ケッケコーポレーション)

場内にはいると舞台の壁際にUの字にずらっと並べられた椅子が目に入る。
舞台前方には2本のマイクが立てられていて・・・。

やがて、その場に人が集まり、
舞台上部のブースからディレクターのアナウンスがながれ
その場所がレコーディングスタジオであることを知ります。
100年を掛けて作られる壮大な映画画作られるという・・・。
そのプリレコがこの場所で行なわれるというのです。

ディレクターの説明にスタジオ全体にやわらかな高揚がうまれ・・・。
そして、実際にレコーディングの態で物語が綴られ始めます。

冒頭はそのレコーディングの風景を眺めている感じだったのですが、
ブースからのナレーションが物語の背景や場の説明が始まると
俳優たちの台詞がシーンを組み上がり
照明や音響がそれらを膨らませ
その場を映画の一コマへと変えていきます。
舞台だからこその表現のフレキシビリティ、
磨かれた台詞たち。
ブースからのナレーションが舞台を推し進め
気が付けば、映画を作る姿を観る感覚はどこかに霧散していて、
観る側の心に
映画として描かれる物語そのものがおかれていく。

ベースに映画のプリレコだという前提があるから
物語の設定や広がりに違和感がない。
一方で舞台表現であるが故に、
シーン全体を塗りこめるものを構築する必要がない。
ナレーションが物語の構成やカット割を作り出し
台本を持った役者達の台詞や芝居が
シーンを物語で満たし
照明や音が物語を観る側に投げかけていく。
それらが観客の想像力に投影されると
そこには観る側をがっつりと釘づけにするドラマが現出し、
観る側を取り込んでしまう。
いつしか、
スタジオの風景を描き出しているはずの舞台上が
舞台装置の転換すらなく
映画を作る物語ではなく
映画で描かれる物語自体で観る側を包み込んでしまうのです。

しかも、この作品、
枠組みのアイデアだけで成り立っているわけではない。
無駄がなく的確でウィットに満ちた台詞たち、
観る側の想像をしなやかに飛び越えていくような物語の設定や展開、
さらには物語の見せ方、シーンの手番や構成に
ぞくっとくるような秀逸があって。
大作映画のような物語の筋立てや広がりが
観る側にカオスをもたらすことなく、
くっきりと厚みを持って伝わってくる。

クーデターで滅ぼされた王家のなかで
ただ一人救われた王子、
厨房で彼を守る宮廷料理人たち、
そしてトードー。
さらには新しい王の周辺の物語・・・。
亡き御后から常ならぬ力を操るもの、
旧王家の密偵までから山猫までが
物語に編みこまれていきます。
さらには、王子がかくまわれた場所に残された書物を読む態で
入れ子の物語までが挿入されて・・・。
それがまた鳥肌が立つような絵面や含蓄に溢れている。
やがては宮廷の物語と交互に描かれ、
それぞれの展開がメリハリに満たされて。
がっつりと面白い。

一箇所だけ、新しい王家に家庭教師として入り込んでいた男が
王子を宮廷から脱出させるとき
本来知りえない(あるいは知る経緯がわかりやすく提示されていない)
屋根裏部屋の存在を口にする場面が気にはなりましたが、
それとて全体の作品品質のなかではご愛嬌。

終盤には入れ子の物語も王子の運命に拠りあわされて、
クライマックスの対決もしっかりと挿入されて・・・。

そこまで観る側を満たしておいて
物語で幕を閉じるのではなく
ベースのシーンに繋がるラスト、
語られた物語が破綻なく舞台上に収められ、
冒頭の映画の作り手たちの物語として観る側に置かれて・・・。
その帰結の鮮やかさに目を瞠る。
映画のコンテンツをしっかりと浮かび上がらせる、
演劇としての表現の洗練。
観終わって、思わずふぅっと深呼吸をして、
作り手の物語る力に圧倒され、
でも、単に物語に満たされるに留まらず
舞台上で示された演劇が舞台上で物語ることの可能性にも
心を奪われておりました。

そして、帰り道、
物語のその先をもっとみたい、物語の全貌を知りたいと思う気持ちも
ふつふつと。
なにか、
スターウォーズの一遍を観終わった後のような感じに
囚われて。

当日パンフレットを見ると
今回の公演は「トードーの旗のもとに」の第1章であり、
夏に第2章、11月には完結編の第3章が上演される予定とのこと。
この3部作、間違いなくお付き合いすると思う。
その中で、物語とそれを投げかけてくれる舞台が
どのような表現を見せてくれるかが今から楽しみでなりません。

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