てがみ座「乱歩の恋文」 長さよりふくよかさを感じさせる力
少し遅れてしまいましたが、2010年11月5日てがみ座「乱歩の恋文」を観てきました。
会場は王子小劇場。やや長尺の舞台でしたが、それを全く感じさせない作り手の描きかたにしっかりと取り込まれてしまいました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
脚本:長田育恵
演出:扇田拓也
入場すると客席が多少圧迫されている感じで、その分舞台が作りこまれているのだろうと想像したり。
やや閉塞感を感じながらの開演となりました。
創作に行き詰った作家が逃亡をする冒頭のシーンは
どこかコミカルですらあり、
ほんの少し冗長な感じも。
しかし、そこから傀儡師の世界が現れ
人形芝居の客観で
記憶が演じられると
舞台に深い奥行きが生まれ
やがて息が詰まるほどに取り込まれてしまいました。
江戸川乱歩夫婦の慣れ染めから
極貧の時代、
夫婦喧嘩から垣間見えるそれぞれの想い、
互いの距離感のようなもの・・・。
人形芝居という建前で
再現されるそれぞれのシーンに
観客的な立ち位置を持った妻の想いが編み込まれていく。
単に夫婦の歴史が語られるのではなく
刹那の心情を回顧する
舞台上の今というか別の視座が
縫い込まれていくのです。
個々のシーンが本当に瑞々しい。
夫婦の会話から溢れる
絶妙なウィット。
塗り込められたトーンのさらに奥を照らし出す
いくつもの台詞たち。
夫の才能が開花する時の
原稿を読者にばらまく表現には
グルーブ感に包まれた高揚があり、
一方で創作が生き詰まる閉塞感の先にある
「グロ」感覚の気配も質量をもって伝わってくる。
奥行きをもった舞台装置が
そのまま、夫婦の時間の広がりに重なっています。
人形芝居に接した妻が
まるでその芝居を観るさらに外側の観客のごとく
取り込まれていく。
虚としての実が現れ、
実が見えるから浮かび上がる虚があって・・・。
単に夫婦ふたりの世界にせず
兄弟たちの描写や
横溝正史をなどをからめた出版社の風景を組み込むことで
時間に実存感が生まれ
人形芝居の客観が
妻の主観によどまない。
おじさんの踊りや
出版社の女子社員のおしゃべりなどが形作る
伏線というか物語に埋め込まれた梁の貫き方にも
物語を盲目的な閉塞に崩さない手練があって・・・。
人形たちの糸が断ち切れ
現の世界に戻る
あばら家の質感は
観る側の目まで醒ましてくれるよう・・・。
そして、タイトルの乱歩の恋文が伝わってくるとき、
夫婦の生きてきた感覚が
機微とともに観る側に染み入ってくるのです。
舞台美術も秀逸、
役者たちには個々のシーンを踏み込んで演じるような技量を感じて。
出演:西田夏奈子 ・岡野 暢(身体の景色)・稲葉 能敬(劇団桟敷童子)・久我真希人(ヒンドゥー五千回)・和田真季乃・神保 良介・尾崎 宇内・境 宏子(リュカ.)・金原 直史・石井 統・福田 温子・中村シユン
海辺の町での出会いから
編み込まれて行った時間たちの
個々の重さと編み上がったものの不思議な軽さを同時に抱いて、
気持ちをいっぱいにしながらの
家路となりました。
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