« 世田谷シルク「渡り鳥の信号待ち」俯瞰にまでいたる表現の広がり | トップページ | ミームの心臓「ヴィジョン」、語り口のしなやかさ »

範宙遊泳 「賄い」的テイストから醸し出される質感

2010年9月3日マチネにて範宙遊泳「東京アメリカ」を観ました。

午前中に所用があって有給休暇を取った勢いで横浜へ。平日の昼公演って、会場内もなにか土日のお芝居と雰囲気が異なり、これはこれでなかなか良いもの。

前回公演を観てとても惹かれた劇団の、ちょっと突き抜けたお芝居を楽しんで参りました。

(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください)

作・演出 :山本卓卓

冒頭から積み上げられていく
劇団のけいこ場風景。

本来は内輪受けのテイストなのかもしれませんが
純粋な観客の私が観ても
がっつりとおもしろくて・・・。まるで、厨房で賄い料理を頂いているみたい。

作品を作り上げていく発想に
薄っぺらさとべたさがあって、
でも、それが貫かれることによって
ある種の世界がちゃんと劇中劇のピースに現れる。
主宰や劇団の個々のロールのデフォルメ(ですよね?)に加えて
そこに現れる、ある種のシュールさが
凄く良い。

なんだろ、個性を過度に強調した人物描写の裏側にある
役者の力がぞくっとくるほどに伝わってきます。
戯画化されたような
それぞれのキャラクターの個性の描き方に
不思議なふくらみがあって、
それぞれの醸し出す個性が常ならぬほどにくっきりと見えるのです。

しかも、
ここまでだけでも、観る側にとっては十分に元がとれるような作品なのですが、
前半の雰囲気から導き出される
後半の質感にこそ
この舞台の一番の秀逸があって愕然。

演出助手の夢から抜け出せない感覚に
ぞくっとくる。
前半にこれでもかと醸し出される、
劇団内のある種のラフさとストレスと徒労感が、ふっとボーダーを跨いで
不条理にも思える世界の
出口のない夢うつつさに
不思議な実存感を醸し出していくのです。

出演 :熊川ふみ・埜本幸良・浅川千絵・加藤サイセイ・北尾亘・佐賀モトキ・高木健(タイタニックゴジラ)・竹中香子・田中美希恵(贅沢な妥協策)・福原冠(国道五十八号戦線)・緑茶麻悠(ochazukewemens)

個性lに満ちた役者たちをみるだけでも
たっぷりと眼福。
ソリッドさとべたさの匙加減も絶妙・・・。
5分の休憩時間で客席にまで醸し出される開放感のなかにも、
したたかに物語が積み上げられたり
前半の様々な表現が
無駄なくしっかりと取り込まれていきます。

後半に見せる、レーザー光線銃等を使った虚実の間にとりこまれ
ふっと失われていく舞台を含めた会場の現実感の喪失に息を呑む。

終ってみれば作劇のビジョンの深さとそれを具現化する力に
がっつりと押され圧倒されておりました。

前回の公演といい、今回といい
観る側をがっつりと捉える力量に取り込まれて。

この劇団の作り上げる世界から
一層目が離せなくなりました。

*** *** ***

拝見した公演は「熊川ふみ一人芝居」のおまけつき。なにをして「一人」というかという発想に一瞬とまどったワンアイデアの短編芝居ではありましたが、変身後のダンスに有無を言わせない力量があって。あからさまなべたさも含めてとても面白かったです。

|

« 世田谷シルク「渡り鳥の信号待ち」俯瞰にまでいたる表現の広がり | トップページ | ミームの心臓「ヴィジョン」、語り口のしなやかさ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 範宙遊泳 「賄い」的テイストから醸し出される質感:

« 世田谷シルク「渡り鳥の信号待ち」俯瞰にまでいたる表現の広がり | トップページ | ミームの心臓「ヴィジョン」、語り口のしなやかさ »