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世田谷シルク「渡り鳥の信号待ち」俯瞰にまでいたる表現の広がり

2010年9月2日ソワレにて世田谷シルク「渡り鳥たちの信号待ち」を観ました。会場は新宿御苑のサンモールスタジオ。

この劇団は、これまで拝見したどの公演にも独特の雰囲気と広がりがあり、作り手のセンスにも強く惹かれるものがあって。

今回の公演も楽しみにしておりました。

(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください)

ちょっと遅れた初日の感想ということで、公演中にかなり進化したようではありますが・・・。とりあえずは、私の観たままを

***  ***

脚本・演出 : 堀川炎

開演を導く、
小粋にアレンジされた
スタンダードナンバーに気分がほぐされ
リラックス。

初日ということもあってか
冒頭はほんの少しだけ混濁していました。
でも、すぐに世田谷シルク本来の
豊かなテンションと寓意を織り込んだシーンが連なって・・・。

ボサノバにのせて歩いていく動作が
まるで、食前酒のように観る側の心を開いてくれる。
宮沢賢治の世界がそこはかとなく薫って、
やがて、列車に乗るころには
ひとつずつのシーンに自然に取り込まれていきます。

そのつながりは、「銀河鉄道の夜」に支えられているのですが
一方でその中に織り込まれたものたちの姿は
なかなか浮かんでこない。
でも言葉やしぐさ、背景のメッセージ。
映像やダンスがそのまま流れてしまうのではなく
印象を含めて「そのまま置いといて・・・」と
観る側に居場所を生み出す力を持っていて。

気がつけば、
表現されたままに
場ごとのいくつものキャラクターやアイテム達に
目を凝らしている・・・。
それぞれのシーンの作りこみが
観る側をしっかりと舞台につないでいてくれる。

そして、私的には、
二つの指輪から見える宇宙として刻まれた
DNAに気がついたとき・・・、
トリガーが引かれて
まるでドミノ倒しのように
様々な寓意がその衣を脱ぎ捨て
見事にリアリティを持って一気に広がりました。

個々の寓意が表すものが鮮やかに浮かび
「「そのまま置いておいた」ものに
見事に血が通う・・・。

男女の営み、生命の誕生・・・。
出会って結ばれる細胞や
結ばれないものたちの感覚・・・。

男性の私から観ても
男性の感覚に下世話さはなく
体感することのない
女性が持つ肉体の周期のロジックも
しなやかに浮かび上がる。

そこには、立体感を持って広がる
体と命と想いの俯瞰図があるのです。

停車していても
走り出しても
急こう配に差し掛かっても
加速減速を繰り返しても
物語の綴り方や役者たちの演技が
「銀河鉄道」という表の生地から
寓意をほつれさせないから
観る側が裏地を眺めることができた時
そこには命が繋がれていくメカニズムのコラージュが
下世話に汚れることなく
崩れることなく、
しかも質感をしっかりと守って
広がっていく。

ダンスや演技のクオリティにも支えられて
透明感を失わなず、
ウィットを湛えて、どこか冷徹でシニカルで、
そして女性としての感覚に満たされた
作り手の描く世界にそのまま取り込まれる。

正直に言って、
終演に至っても
作品に織り込まれたすべての寓意が、
私にその姿を晒していたわけではないと思います。
きっと味わいきれていない部分もあったはず。
さらには、男性ではわかりえない感覚も
あるのかもしれないと思う。

でも、すべてはわからなくても
男女が出会う感覚は質感をもってそこにあり、
卵巣や精嚢までも含む物理的な肉体から、
女性の周期や男性の感覚、
そして男女の営みや、
出会えなかったものたちの想い・・・。
さらにはそれらを統括する宇宙のメカニズムが
幾重にも醸し出す色というか質感に圧倒され
息を呑む。

指輪に加えて、牛乳や林檎、鍾乳洞や湖・・・。
鳥たち、鍾乳洞、時間、二人の社員旅行とその妹・・・。
列車がのぼる急勾配、減速・加速・・・。研究隊サークル。
それらに込められた創意は圧巻で、
しかも、それらを「銀河鉄道の夜」にのせて
流し込んでいく見せ方に心奪われて・・・。

出演:えみりーゆうな・尾倉ケント(アイサツ)・帯金ゆかり(北京蝶々)・佐々木なふみ(東京ネジ)・下山マリナ・鈴木アメリ(犬と串)・田中正伸・野村美樹・樋口雅法・日澤雄介(劇団チョコレートケーキ)・緑川陽介・山田英美・堀川炎

ほんと、よい役者を集めたなと実感。身体表現が多い舞台でありながら、出演者たちの役者力も際立っていて、個々のピースのニュアンスが確実に作りだされていく。台詞のやり取りや場から醸し出される空気に秀逸な身体表現と乖離しない広がりがあって・・・。

さらに進化していく余地もある作品なのかもしれません(初日から観て・・・)。

でも、少なくとも私には、
この作品を味わうことができたことが
とても満ちたものに思えたことでした。

帰り道、開演時のナンバーが
ふっと耳に蘇る・・・。

fly me to the moon,and let me play among the stars・・・♪

歌詞を思い出すうちに、
戯曲に埋められた、
作り手の真摯な遊び心に思い当たって。

もう一度、この作品が内包するものの
味わいの深さと豊かさに
満たされたことでした。

☆☆☆★★◎◎●●

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