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青☆組 「忘却曲線」時が醸し出す夏たちの質感

2010年9月8日ソワレにて青☆組 「忘却曲線」を観ました。会場は小竹向原のアトリエ春風舎。

その、夏たちの質感に強く心を奪われました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意の上お読みいただきますようお願いいたします。)

作・演出 : 吉田小夏

それは日記を書く家族たちのシーンから始まります。

ゆっくりと闇が解け、
舞台上で思い思いにノートに向かう
家族の姿が浮かび上がる。

冒頭に日付が読み上げられ
これが夏の物語であることを告げられる。
その一言が鮮やかで、
家族の昔がすっと浮かび上がり、
いくつもの8月が重なり
観る側が舞台上の空気に落としこまれていきます。

はしゃぐ子供を叩く母親から、
女性としての横顔が垣間見える。
まるでフォーカスが定まったように
若くして母親となった女性の姿が目に焼きつく。

日記を書けば詩を書けるようになるという
夫の言葉に従う母親の純真さや、
若い女とともに父親が逝ってしまった日にも
忘れるため書かれた日記に織り込まれた諦観。
プリンのこと、幼い下世話な想い、母親の誕生日。
互いの日記につづられる
子供たちの幼いころの姿や
失踪した母親への想いまでが
船を思わせるその家の中でひとつになって・・・。

姉妹と弟、さらに姉の夫を含めた
今の家族たちの質感も巧みに描かれていきます。
母がいなくなった日の気概をそのままに生きている長女。
奔放さを持ちながら失意とともに戻った次女。
どこかで夢を抱えたまま暮らしている三女。
さらには長男のシャイでやさしいところ。
ぶどうや卵焼きなどのエピソードに
時間がしたたかに繋がれて・・・・。
日記に刻まれた時間と
それぞれの今がしなやかに重なっていく・・・。。

忘れる為に日記に綴られたことたちは
楽しいことばかりではないはずなのに、
柿の渋さが干されて強い甘味をかもし出すように
その抱えきれないような苦さも
やがて、思い出の中で
どこか曖昧に、切なく混じりあい
潮風の感触や夕顔の甘い香りとともに
夏に薫り立っていきます。

2度と会えなくなっても
それで終わりになるわけではないという・・。
反芻することは大人の悦びだという・・。

猫を糸口に
長男の母との思い出から、
さらには次女と三女が絡み
長男の友人と三女の会話へといたる
夏の時間の混在に取り込まれる。

暑さにどこかぼやけたような切なさをもった
Summertimeの
甘く包み込むような歌声に彩られた過去が
音を研がれて今にフォーカスされる質感に息を呑む。

長男の友人が家を訪れることから
したたかに観る側にも開かれていく
姉妹たちが抱えたそれぞれの今。
縫いこまれた
その苦さが心を揺らします。
でも、かつてそうであったように、
忘れるために日記につづられた今も
やがてはきっと重ねられた夏の中に埋もれていく・・・。

東京に戻る次女、
日記帳を送られた三女、
そして夫と未来を語ろうとする長女・・・。

綴られ
さらに綴られていくであろう
家族たちの夏の質感たちに
深く浸潤されたことでした。

今回の舞台には
これまでの青☆組の作品のように
登場人物たちを描く繊細さを
それぞれのシーンに極めるのではなく、
物語を流れる時間に編み込んでいくような
力があって。

だから、
冒頭、女の香りを強く感じたその姿も
彼らの母親を観る姿に塗り替わっていくし、
それゆえに、一人の女性の生きざまが
より深く鮮やかに浮かび上がってくる。
日記に書かれたビターな出来事も
その事実ではなく
時に醸成された
それぞれの登場人物の感覚で
観る側を息が詰まるほどにしっかりと
伝わってくるのです。

役者のこと、母役を演じた井上みなみ には、女性のいくつもの表情を作りだす豊かさがありました。母と女の雰囲気をステレオタイプにわけることなく溶き合わせて広げていくような感じ。垣間見える女性としての生々しい心情がとても秀逸。長女を演じた福寿奈央のテンぱる雰囲気も秀逸。その抱えきれない感じや頑迷さを、いろんな色でもたつきなくすっと伝えてくれる。また、そのコアを顕すシーンには、その高揚にグルーブ感がありました。次女を演じた小瀧万梨子は外面の無頓着な雰囲気に内心の揺れをしなやかに作りあげて見せました。妹を守るなかでふっと自分の立場を匂わす口調にぞくっとするような切れがあって。潮風や夕顔の匂いを想う時の表情にもしっかりとした質量が込められていて、キャラクターが抱いた時間の質量を感じることができました。三女を演じた大西玲子の所作には籠るような想いがありました。芝居に内に秘めるものを空気で語るような力があって。その想いのこぼれ方がとても自然で観る側がそのまま受けとることができる。なんだろ、観る側にふっと手を差し出させるような吸引力がありました。

長男を演じた石松太一は不器用さと自尊心を丁寧に作りこんでいて、家族の色に奥行きを与えてくれました。母親との会話の部分の間がすごくよくて胸がきゅんとなった。その友人を演じた藤川修二はキャラクターの謙虚な姿から滲みだしてくるものを、絶妙な力加減で表現してみせました。押し出すようなお芝居ではないのですが観る側に存在が残る。日記に書かれるべき個性がしなやかに醸成されていました。長女の夫を演じた荒井志郎は献身的に一色のキャラクターを貫いて見せました。それは時に船の錨のような役割で舞台のもやいを今につなぎとめてくれる。そしてラストシーンには彼の演技ががっつりと報われておりました。

吉田小夏の作品はこれまでにも何本か観ていて、そのたびに、刹那の質感を描く力には瞠目していたのですが、今回はそれにとどまらず、その刹那を動かすような底力を舞台に感じて。なにかお芝居の体積が広がって、そこに作者の女性としての感性や想いがよりたくさんの色や形で込められたような・・・。結果として、舞台にはその刹那の解像度の秀逸に加えて、視覚や聴覚などを超えた心の感覚に直接現れるテイストのようなものが生まれておりました。

舞台に役者たちが呼び込んだ潮風の肌触りと夕顔の香りに、心に醸された色が、まとわりつくようなテイストとともに終演後も散らずに残って。

作り手が、さらなる手練を身に付けたことを
強く実感した作品でもありました。

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