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野田MAP番外公演「表に出ろい!」突き抜けるだけではない笑い

すこし遅くなってしまいましたが、2010年9月11日ソワレにて、野田地図番外公演、「表にでろぃ」を観ましtが。

場所は東京芸術劇場小1。二人の俳優の力量とそれにまけない若き女優の骨太さに引きずり込まれ、時間を忘れて見入ってしまいました。

(ここからネタばれがあります。公演中でもあり、特にこれからご覧になる方は十分ご留意ただきますようおねがいいたします。)

作・演出・出演 : 野田秀樹

出演: 中村勘三郎 ・ 黒木華 (太田緑ロランスとのダブルキャスト)

色彩豊かな舞台、
まずは大看板2人の役者のお芝居が映えます。
のっけから、ハイテンションでぐいぐいと押してくる感じに観客がペースを握られてしまう。観る側がとまどう暇もなく、舞台上の世界に巻き込まれてしまう感じ。
単純な夫婦喧嘩の構図が
べたというか、分かりやすくて、
それゆえに場内の沸き方も屈折せずにまっすぐどんとくる。
それぞれの嗜好のちょいとした後ろめたさと
どっぷりとはまった感じが
秀逸なお芝居の中に違和感なく生きる。

野田秀樹・中村勘三郎それぞれが、互いの芝居の手法に足を踏み入れるようなところがあって、それが、芝居のグルーブ感をしっかりと育てていきます。
歌舞伎的というか見えをきるような間が、
舞台自体の厚みになって物語を膨らませていく。
勘三郎はもちろんのこと野田の表情や動きの外連には
歌舞伎役者的な技量がうまく編み込まれていて。
一方で切り返しの台詞のトーンの変化や
畳みかけるような台詞のつなぎでは
野田秀樹のリズムが舞台に貫いていきます。
双方のお芝居が重なるような二人の階段落ちは絶品。
腹の探り合いから次第に全面戦争へと展開していく
キャラクターの攻守の切り替えが
見る側を文句なしにわくわくさせる。

その下地があるから、
娘役が加わってからの広がりも半端ではない。
私が観たのは黒木華の回でしたが、
二人が作った黒木のスペースが
彼女自身の切れでどんどんと押し広げられていく感じが
たまらない。
単に自分を舞台に押し込むだけでなく
すっと引いて二人の台役者を招き入れるような
黒木のお芝居の質感に瞠目。
野田や勘三郎の手練が引き出しているとはいえ、
演技の自然な質感と骨太さにも目を見張る。

三人の秀逸なお芝居から
攻守のバリエーションはさらに広がり
デフォルメされた家族の質感が
不思議なリアリティを内包して醸成されて・・・。

その密度とボリューム感があるから、
ザ・キャラクターの外伝のようなニュアンスを持った
後半のエピソードががっつりと効くのです。
ザ・キャラクターがその構造に取り込まれた人間たちの話なら
この話はその構造に取り込まれえなかった人々の姿。

その表裏には、
形こそ違え、互いを貫く
繋がれるに至った人間の
愚かにも思える構造と
必然があって・・・。

もし、ザ・キャラクターを観ていなければ
終演時に少し違った印象を持ったかもしれません。
しかし、観た以上は
あの、祈りにゆだねるしかない、、
逃げたり立ち退くすべを失った人間の性と
絡めての印象になってしまう。

だからといって
前半の舞台の楽しさが減じられるわけでもなく
たっぷりと満たされた終演ではあったのですが、
単に笑い転げてそれで終わりというわけではない。

腹筋が痛くなるほど笑いながらも、あわせて心に行き場のない感覚がたたずむような
お芝居でありました。

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