toi「華麗なる招待」時代を俯瞰させる力
2010年7月25日、toiの「華麗なる招待ーThe Long Christmas Dinner-」を観ました。会場は横浜STスポット。
toiは今年岸田戯曲賞を取った柴幸男氏と深川深雪さんのユニット。以前観た、「四色の色鉛筆があれば」が圧倒的で、今回の公演も楽しみにしておりました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
作:ソーントン・ワイルダー
誤意訳・演出:芝幸男
会場にはいってびっくり。そこには会場一杯のテーブル。白い大きな邸宅の食堂が現出していて。大きなテーブルにワイングラスが並べられ、小さなネームプレートが置かれて観客の席が指定されていて。
ナプキン状に折り飾られた当日パンフレットもおしゃれ。観客全員が席につくと、その家に嫁いだばかりの女性が現れ出演者と観客がテーブルを囲む体でクリスマスディナーの体で舞台が始まります。
主人の挨拶や乾杯の仕草、グラスを重ねる音が響きディナーの雰囲気に浸っているうちに、観る側がふっと揺らぐような感覚がやってきて、毎年繰り返される同じクリスマスディナーの、年代の車止めが外されたことに気がつく。
そこから、流れるようにディナーの乾杯が繰り返され、そのたびに人は齢を重ねていきます。
人の出入りにも法則性があって。入口から表れ出口に消えていく人の一生。訪れる生と死。看護婦に抱かれた赤子が示す誕生は高揚とともに祝福され、死はその人の出口への歩みとして観客に伝えられる。出口にかろうじて手をかけてすこし生きながらえたりもして。その中に人生模様が浮かび上がってくるのです。
生まれすぐ、看護婦に抱かれたまま通り過ぎるように召される子供の姿に心が痛む。
成長、結婚、老い・・・。世代がかわり、子供はやがて主人の席に移り、あるいは自らの道を歩み始めて・・・。
グラスの音とともに訪れる変化に観る側までがなすすべもなく流されていきます。
繁栄の時代、不況、戦争・・・。家族の物語にアメリカの歴史が織り込まれ、ジェネレーションギャップと確執が生まれ、あれよあれよと繰り返されるディナーに気がつけば冒頭の乾杯はすでに遠い過去におかれて・・・。
人であふれていたその家は、再び訪れるクリスマスの喜びと、きっとその間を埋める日々の暮らしに満ちながらやがて古ぼけて、朽ちていく。
そこに、家とのつながりがどこか希薄になった今の人々のルーツを観るような気がして・・・。さらに、人の一生の質感がすっと降りてくるなかで、家族というものの感覚がすっと浮かんでくるのです。
どこまでを誤った意訳なのかはわかりませんが、時間の流れや家族の時間の切り取り方に柴流の洗練があり、目を見張る
ラストのシーンで、一人残される遠い血筋の老婆の姿に人や家が過ごした時間の尺とその質感の軽重がすっと観る側に置かれ、戯曲の企てとそれを表す作り手の秀逸に息を呑みました。
出演:立蔵葉子・大石将弘・召田実子・坂口辰平・武谷公雄・青柳いずみ・後藤飛鳥・大重わたる・高橋ゆうこ・狩野和馬・深川深雪・白川のぞみ
この作品、2バージョンでの上演にたいして、片方しか予約しておらず、当日券もなしで他バージョンは観ることができず。久しぶりにとても悔しい思いをしました。
たとえば、少し先のクリスマスのころにでも、是非に再演をしていただければと・・・・。毎年、継続して上演いただくのもよいかもしれません。時代ををまたいで上演し続ける価値が十分にある作品だとおもうのです
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