TACT/Festival Tokyo 「ひつじ(Les Moutons)」、演じることでの濃縮と自然さ
2010年のお盆、東京芸術劇場地下にて、「ひつじ」を観ました。カナダからやってきたそうです。
たまたま、ちょいと別な用事があって東京芸術劇場にお伺いしたのが13日。で、何かやっているなぁと思って覗いたのがこのパフォーマンスでした。
エスカレーターを降りる途中で、下にいた黒い羊と目があってしまったのですが、その時には何が起こっているのかよくわからず・・・。
ただ、羊飼いに追い立てられるように去っていく4頭の羊をみて、ぞくっときた。で、その「ぞくっ」を確かめに、翌日お昼の放牧に再度伺いました。
(ネタばれというのも何なのですが、以下には実際のパフォーマンス内容が含まれておりますのでご留意ください)
Tact/Tokyoのフライヤーを観ると、インスタレーションという表現がされています。それはそれでなるほどなと思う。広場中央作られた牧草地の囲いの中には、ご丁寧にひつじのフンまでが置かれていて・・・。4匹の羊のプロフィールが掲示されていたり・・・。
でも、実際の放牧のシーンは、むしろ演劇に近い感じがしました。時間が近づくとバケツに水が注がれ、場の雰囲気が次第に盛り上がってきます。係員によって注意事項が語られ、拍手とともに小劇場2の大きな緑の扉が開くころには、ある種の高揚が広場に生まれていて・・・。
放牧中は、羊の生態が濃縮されて表現されていく感じ。パフォーマー達の技量が半端ではないのです。なにげなくこちらにやってくる羊のナチュラルさが、実は四肢の先、衣裳の表皮にまで張り巡らされたテンションの賜物であることが、じわっと伝わってくる。表情に羊的な感情が読みとれるし、鳴き声だけでも、その場所を緑の放牧地に替えるインパクトがあって・・・。
それは、精緻なダンスを観ているようでもありました。毛を刈られる時の羊の動きの切れが作り出すナチュラルさに瞠目。羊飼いにつかまった時の動き方、四肢のばたつき方、さらには動作を止めたときのシェイプの作り方に至るまで、観客が想像力をつかって観ているものを置き換える必要がないほどに羊に思えるのです。
さらには「動」だけではなく「静」の演技の凄さにもやられる。なんというか、ひつじがひつじとしてリラックスをしているのです。それは、演じ手の驚異的なテンションの継続によって支えられている。そのリラックスぶりを伝えるには刹那の「動」よりもさらに難しい表現が要求されると思うのですが、そのゆったり感と動物としての敏感さの継続がまったく揺らがないのです。
一応、子供たちも楽しめるということで作られた作品なので、30分の中にはイベント的な内容も盛り込まれていきます。毛を刈られたりというほかにも、排泄をしたり、搾乳されたり、迷いひつじのように一頭エスカレーターに乗ってしまったり、子供たちがレタスを与えたりする機会があったり、オオカミが現れたり・・・。で、なにかが起こるたびに広場のあちらこちらにどよめきや笑い、さらには悲鳴などもわきあがる。その演出のしたたかさに舌を巻く。
誰もがみんなその雰囲気に取り込まれて、ひつじのいる時間を楽しんでいる・・・。なにか客観的なものの言いようをしていますが、当の私も羊たちを観たり、その場にいることがとても楽しくてしょうがない。この満たされ感はなんなのだろうと思う。
30分の放牧が終わると、羊たちは再び小劇場2の扉へと戻っていきます。その姿に自然と拍手が沸き起こる。
まあ、百聞は一見にしかずの類で、うまく表現できているとは思えないのはお詫びするしかないのですが、これ凄い!
私も本当に気持ち良く精一杯の拍手をしておりました。
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コメント
高揚って…なんだろう…?
投稿: BlogPetのr-rabi(ららびー) | 2010/08/26 15:02