オーストラ・マコンドー「トーキョービッチ・アイラブユー」圧倒的な刹那(ちょっと修正)
2010年7月30日、オーストラ・マコンドー「トーキョービッチ・アイラブユー」を観ました。場所は森下にあるSAKuRA GALLERY。劇団としては春に上演された「三月の5日間」がとても印象に残っていて・・・。今回の公演もとても楽しみにしておりました。
(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください。)
脚色・構成:上本聡
演出:倉本朋幸
白を基調にした空間、鰻の寝床のようなスペースの両サイドに2列の座席。
客入れ時から弾き語りの生演奏が場内の空気を作り上げていく。客入れが終わるとシャッターが降りて舞台が始まります。ちょっと花魁道中を思わせる風俗嬢の登場もうまいと思う。
オフィス・風俗店・家庭と3つの世界が重なりあうように演じられていきます。演じ手達につけられた紐が、下敷きになっている近松文楽を暗示するにとどまらずその社会への登場人物たちの従属を観る側に印象付ける。2つの可動式の台の動きが舞台のさらなるメリハリを生み出して・・・。シャッターが朝と夜を刻み、同じような一日を観る側に重ねていきます。想いをすっと内に閉じ込めて演じられる日々のルーティンが次第につもっていく。
動作の均一な部分から醸される時間の希薄さが、役者たちによって作り上げられる場のニュアンスの変化を浮かび上がらせて、観る側がどんどん取り込まれていきます。ノルマに追われるオフィスの雰囲気、夫の帰りを待ち、戻った夫に語りかける妻の想い。抽象化された表現からこそ垣間見える風俗店の欲望処理の質感。それらの中に縫い込まれた「滓」のような感情が次第に空間を満たし、観る側に閉塞感を醸し出していく。
そして「滓」が枠を越えて溢れ出す・・・。主人公の顧客や友人に対するモラルハザード、風俗嬢のさらに身を削って稼ぐ決断、ためらいながら夫の携帯を開く妻・・・。役者たちそれぞれの演技に、キャラクターの場ごとの心風景を切り出す解像度と緩急の秀逸があって、踏み入れてしまうその一歩がただ唐突に語られるのではなく、観る側を同じ一歩の感触にしっかりと誘いこんでくれるのです。
後半はひたすら圧巻。特に終盤、主人公の二人が向きあう屋上のシーンが比類なき程に秀逸。激しく湧き上がる言葉たちを背負って想いに更なる密度が加わる中で、ここ一番のたっぷりとした時間を配し役者たちがその刹那をへたることなく貫いて、観る側の高揚をその場が満ちるまで支え切る。大向こうをうならせるほどに想いに裏打ちされたテンションが貫き通されているから、満ちて素の口調で場を解く、女の男を帰す一言が、薄っぺらになることなく観る側を醒めさせることもなく伝わってくるのです。
その前後の、妻と風俗嬢の会話にしても、屋上の場面が終わって日々へ戻る場面も文楽や歌舞伎のように「xxxの場」とでも銘打ちたくなるようなゆたかな表現に満ち溢れていて・・・。
オフィスにも、家庭にも、風俗店にも、閉塞が解けた先にやってくる時間がある。観客をそこまで導き切ったうえで、解き放つ役者たちの演技に余韻がすっと沸き立って。
それは「トーキョービッチ・アイラブユー」というタイトルのニュアンスに、観る側がたどり着いた瞬間でもありました。
役者のこと、白井珠希には仕草や表情で観る側にニュアンスを伝える力がありました。ひとつの動作にたくさんのことを乗せられる役者さんで、特に表情の情報量がとても多い。その瞳に力がありました。松崎みゆきには動きの力強さに加えて、台詞にも一言で場を染めるパワーがあって。その強さが舞台の輪郭を作りながら、舞台の中にキャラクターの存在感をどんどんと流し込んでくる。タフな場面もあったのでしょうけれど、それぞれのシーンをたじろいだりぶれたりすることなく、ぐいと演じ切って見せる気風のよさにこの役者さんの更なる魅力を感じたことでした。岡野真那美が纏う「主婦」にはナチュラルな実存感と魅力があって、派手さはないのですが、観る側の肌になじむような本当に良いお芝居でした。家庭内のなにもないことへのストレスと度を過ぎないアルコールへの依存、やわらかな雰囲気の内側にあるルーズな空洞や女性の業のようなものがあるがままに醸し出されていて。
須貝英は想いを内側へのベクトルで見せることができる役者さんで、今回も積っていく想いの色合いの深さがぞくっとくるほどに伝わってきました。その想いのとどめ方や崩れ方にも観る側を引き入れてから巻き込むような力があって。その演技の奥行きに魅入られてしまいましたカトウシンスケは演技だけでなく台詞にも観客が身をゆだねてしまうような確かな力がありました。存在感の出し入れもしなやかで、松崎とともに献身的に土台というか舞台の枠組みを支えて見せました。兼田利明の台詞には切っ先の作り方のしたたかさがあって。相手を追い詰める台詞にとどまらず、受け入れる台詞にもキャラクターを観る側に植え付ける力がありました。
全編を通じて流れるMOGMUSの音楽は耳触りの良さがあって、一方で歌詞が流れない。舞台を豊かに広げるだけでなく、物語を凛と包み込む力がありました。
オーストラ・マコンドー、前回の「三月の5日間」に続いてのこのクオリティに瞠目。見せる切り口の秀逸に加えて結局は一つずつのシーンが本当にがっつりと作りこまれていて。また、作品に漂う、観ている側の感性に真剣勝負を挑んでくるような尖り方も魅力的。
11月の公演から目が離せなくなりました。
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