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粒揃い!「2010 吾妻橋ダンスクロッシング」

7月16日、吾妻橋ダンスクロッシングを観てまいりました。場所は浅草の、あのオブジェの下。

粒ぞろいの作品たちに、今回も圧倒されてまいりました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

順番はちょっと違っているかもしれません・・・。

メモどおりに個々の演目の感想など

・宇治野宗輝 「Duet」

作・演出 : 宇治野宗輝

機械仕掛けのパフォーマンス。機械の動きって、いろんなものを削ぎおとすくせに、別のいろんなものを観る側に想起させてくれる。

どこか荒削り風な音や光が、緻密に構成されていて、機械の表すものにごつごつと取り込まれていく感じがして・・・。

なにか別世界でのリアリティを垣間見たような気分になりました。

・車AB「スカイツリー」

作・演出 :三浦康嗣 ・ 篠田千明

出演 : 環Roy

冒頭、役者が大きな色紙を書類に見立てて読む部分では、観る側はただ舞台をみつめるだけ。でも、文章が素描のようにやってきて、グーグルマップというかナビゲーションの映像が映し出され、音が入って・・・。

気がつけば、風景が見える場所に自分が存在するような感覚に、観る側の内側が塗り替わっている。舞台上でコラージュされていく、スカイツリーがそそり立っているのをみた刹那の感性が、そのまま観る側の内側にあるのです。

観る側の座標が定められ、メモと磁石の映像から、その場所のまわりを歩くような気分が生まれ、いろんな情報が色紙をまたいでいくうちに、その気持ちがすっと広がっていく。音がすごくキャッチー。、観る側の意識と無意識双方にすっと差し込まれ、音から縫い込まれていく質感にぐいぐいと引き込まれて・・。

後半には、まるで手品のように、作り手がそそぎこんでくれた感覚を抱えていて。

映像はスカイツリーのあるリアルな風景となり、東京で暮らす感覚にさらなる色を与えて広がっていきます。灯りが落ちても、その瑞々しさにしばらく浸潤されたままでした。

・東京ELECTROCK STAIRS「東京ライク」

演出・振付・出演 : KENTARO!!

出演 : 高橋幸平 ・ 伊藤知奈美 ・ 松浦羽伽子 ・ 川口真知 ・ 横山彰乃 ・

冒頭からダンスのユニゾンの力でぐいっと引き寄せられて。そこからも、がっつりとした切れを持った、鍛えられたダンスに魅了されました。

ダンサーの体の処し方からグルーブ感がやってくる。第一波の圧倒的な動きで観る側を共振させておいて、次の動きの洗練でさらにぐいっと引き寄せる。ぐっと膝を乗り出すような個々のシーンで、観る側を凌駕するもう一歩がやってくる。振付の秀逸さとダンサーたちの能力がかみ合うと、ここまでにしなやかなものが現出するのです。

旬!

そのなかに、東京という街の雰囲気があるがごとくあって、じわっと伝わってくる感じ。

観終わって、良質なダンスを観た後にやってくる、いろんな部分が充足された感がきちんとそこにありました。タンスの力に満たされて、もう大満足です。

・チェルフィッチュ「『お別れの挨拶』を振り返って

 作・演出 : 岡田利規

 出演 : 南派圭

「お別れの挨拶」については、ラフォーレの公演で3部作のひとつとして観ていて、それゆえに、この作品にも作り手のウィットと遊び心のようなものを感じることができました。

映像で流されるその挨拶だけでも、とても含蓄のあるぐたぐたさが表現されてはいるのですが、一方で、たまたまその現場(映像で提示された公演の本番バージョン)を見たからこそ感じられることもたくさんあるような気がして・・。公演を観なかった方には、多分舞台上の女性の説明がとても表層的なものになっていたかもとか思ったり。

逆に、リアルに映像の公演を観た人間にとっては、映像内の当人がなぞるような説明を加えていくことで、彼女の「お別れの挨拶」に対する想いと、それを映像内で聴く人、その光景を実際に観ていた観客、さらにはその光景を映像でしか見ていない観客の距離感が、浮かんでくるようで・・・。当事者が説明すればするほど、いろんな温度差があからさまになっていく感じがしました。物語の外側に視座を置くシニカルなユーモアのセンスと、作り手の冷徹な目を感じたことでした。

・Off-Nibroll 「ギブ・ミー・チョコレート」

振付・出演 : 矢内原美邦

出演 : カスヤマリコ ・ 小山衣美 ・ 黒田杏菜

冒頭のメッセージ、そして2枚のセピア色の写真で観る側の立ち位置が示されて、その場所で舞台を支配していくビビットな記憶の断片に呑み込まれていきます。

4人のダンサー達のダンスには、切れに支えられたふくよかさがあって、少女の記憶や心の揺れが、観る側を包み込んでいく。映像からやってくる世界の広がりにダンスが埋もれることなく、さらに色鮮やかに広がっていく。

記憶の中の少女の時代。安らぐ心、育まれるもの、荒ぶる想い。濃密な時間が舞台全体に広がる。ダンサーたちの観る側を高揚を導いてあまりある精度と安定が、映像のなかで生きる。少女の感性に満ちたその時間が生きている。

だからこそ、最初と最後のシーンがあまりに美しくせつないのです。冒頭のメッセージが再びダンサーが抱えるボードに浮かんだ時、一人の女性の過去と今の時間が繋がって、甘さと痛みに胸が詰まるような想いに浸されたことでした。

先日の「幸福オンザロード」に続いて、矢内原美邦の世界に、がっつり取り込まれてしまいました。

・飴屋法水 「つるとんたん」

作・演出 : 飴屋法水

出演 : 安ハンセン ・ 立川貴一 ・ 村田麗薫

ひとりの男が飴屋法水さんを誘ってうどんやへいくという前フリから、世界が開きます。店でたのむうどんに命の誕生がかさなる。

映像は、一人の赤ん坊のにぎにぎする指の動き。舞台上では男が語る誕生への感覚。女が語る想い。そして子供の誕生への摂理。

音がまるで子宮の内側のような世界へと導き、女性が根源的に抱く感覚や男性のとまどいに近い感情、さらには生命が理に従って育まれていく道理が語り重ねられていく。言葉や感情を貫く鐘の響きが、その世界や観る側の感覚に深い陰影をつけていきます。

赤ん坊の手の動きのいとおしさと裏腹に、そこには仰々しい祝福も美談すらもなく、むしろ当惑や照れ、さらには本音に近い生々しく下世話な感覚に満ちていて。で、その世界から眺める新しい命の誕生には、うどん玉半分から3つという、その量を想像できないような感覚があって・・。

飴屋自身の言葉から、その生命に向かい合う質感がとても実直に伝わってくる。つるとんたんとやってきた命に対して、大仰でステレオタイプな祝福というのとは違ったカオスではあるけれど、その中から生まれてきた命への淡々と深い愛しみが伝わってくるのです。

飾られることのない、実直な感覚がやってきて。作り手が舞台の向こうに浮かび上がらせたものの、そのリアリティに目を見張ったことでした

・遠藤一郎 「元気いっぱいいきましょう」

パフォーマンス : 遠藤一郎

確信犯的な明るさというか元気・・・、その表層にシニカルでしたたかな企みが埋め込まれている感じ。

想いをぶつけていくその姿に、観る側のディフェンスの裏をとるような効果があって。

愚直に見せながら、その裏にしたたかさががっつりと機能している感じ。「LOVE」を壁面に映しだして見せるのは、とある埼玉の劇団へのオマージュのようにも思えて。

こういう突き抜け方って強い印象が残る。もう少しこの人のいろんな引き出しを観てみたくなりました。

*** *** ***

過去何度か観た吾妻橋ダンスクロッシングって、もうすこし雑然とした印象があったのですが、今回はいつもにも増して粒がそろって、より集約された見応えが醸しだされていた感じがしました。子供っぽい遊び心は減じたけれど、その分作品として円熟した表現が増えたような気もして・・・。メリット・デメリットはそれぞれにあると思うのですが、すくなくとも以前より統一感というか方向性が感じられた公演でありました、

 

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コメント

飴屋って…なんだろう…?

投稿: BlogPetのr-rabi(ららびー) | 2010/07/29 15:20

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