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劇団競泳水着「女ともだち」、彼女たちの時間に歩みを合わせて

2010年6月30日、劇団競泳水着、「女ともだち」を観てきました。会場は下北沢・劇小劇場。

女性7人のお芝居にすっかり取り込まれてしまいました。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

作・演出 上野友之

冒頭のシーンですっとその世界に置かれ、さかのぼって、物語が積み重なっていきます。

衣裳や光の変化で刻まれていく時間の枠、織り込まれたエピソードたちにそのまま取り込まれる・・・。観る側が、あるがままにシーンを追っていける。重ねられていくエピソードに置かれたキャラクターたちがその時間枠のなかで時にはしなやかに、あるいは精一杯生きる。

主人公が暮らす親戚の家のおばやいとこ、転校してきた学校の彼女の友人たち、さらには時が進んで教師になった彼女の教え子たち・・・。物語に塗りこめられることのない、むしろ物語を編み上げていく役者たちからやってくるひとりずつの人物の奥行きにあざとさのない実存感があって・・・。

たとえば屋外のベンチで交わされる会話から浮かんでくるそれぞれに向かい合う気持ちの色、その余白から広がるそれぞれの想い。抱えるもの、支えるもの、愛憎と距離感、歩き続ける力。端々に差し込まれる上質なウィットも役者の切れに支えられて秀逸。さらなる肌触りを舞台に作りだしていく。

ひとつずつのキャラクターたちから、それぞれの時間の質感が紡ぎだされて・・。舞台に仕込まれた時の流れが縦糸に張られ、その刹那に撚り合わせられたキャラクターたちの想いが横糸の色を醸し、織りあげられていくのです。

役者たちそれぞれに、自分のキャラクターをまとうだけではなくその奥にある個々の世界を垣間見せる力があるので、過ぎてゆく時間のテンポに個々の物語が散らない・・。よしんばキャラクター間での確執に重さがあっても、それが丸められたり澱んだりしない・・。

とにかく、役者たちそれぞれからやってくるものが豊かなのです。

主人公を演じた大川翔子の丁寧なお芝居が、舞台のトーンをがっつりと作り上げ、シーンごとの時間を刻んでいきます。表情から台詞、さらには立ち居振る舞いの端々に、ぶれないトーンが醸し出され物語の枠を支える。誇張でもなんでもなく、ひとつずつの台詞に想いがしっかりと装填されている感じ。感情の出し入れや会話の間のとりかたにこの人独特の密度と繊細さがあって、それが時間の流れとともにしなやかに変わり、観る側を物語の流れへと運んでくれるのです。

大川のおば役を演じた藤原よしこは、母親的なステレオタイプさを残しつつ、キャラクターならではの存在感を舞台に構築してみせました。愛情の深さを舞台の雰囲気に織り込み、そのなかにちょっと独りよがりな部分や、母としてだけではない女性としての感性を絶妙に出し入れして・・・。単純に家の雰囲気を醸すにとどまらず大川や川村に家庭内の距離感や安心を表現させる座標軸にもなっていく。演技の熟度を感じるだけでなく、観る側にとっても、彼女のお芝居によりかかれるような感覚がうまれていて。物語にとっても観客にとっても頼れるお芝居を貫いてくれました。

川村紗也は難しい役柄だったと思います。他の女性たちにくらべても、ある意味幸せというか愛情に恵まれた家族環境にある女性のロールで、それゆえ凡庸なお芝居では個性を出しにくかったに違いありません。しかし、この人にはコメディエンヌ的センスがあって、あざとさのない笑いの中でキャラクターの個性をしっかりと舞台に切りだしてみせました。一つの間や表情で観る側を一気につかみ取る。その切れが単に揮発性の笑いを引き出すにとどまらず、彼女の成長と成熟を観る側に伝えてくれる。アイスクリームから部活動、さらには妊娠検査薬という道具立てのなかで、川村にしか表しえない、キャラクターの女性としての日常のニュアンスがしなやかに舞台に生まれておりました。

大川の教え子役を演じたふたりも秀逸なお芝居で物語を広げていました。宮嶋美子は演じるキャラクターに、才能の匂いと頑なさというか不器用さをそれぞれうまく内包して見せました。わがままとは少し違うマイウェイぶりがぶれずに貫かれていて、どこか癖のあるめんどうくさい感じを観客に残してくれる。でも、唯我独尊的な部分が感じられるキャラクターであっても、その内にある女性としての揺らぎや葛藤、さらには作家に成長していくことに説得力を持たせる感性のようなものがきちんと織り込まれていて、観る側が、女性としての精神的な息づかいを表層の雰囲気と重ねて深く感じ取ることができるのです。

斎藤淳子は、そのどこか引っ込み思案な雰囲気のキャラクターに、内側の意思の強さをしっかりと裏打ちしてみせました。この人には、静かなお芝居のなかに感情のグラデーションを豊かに表現できる力があって、観る側の目を自然に開かせ、キャラクターに対する視野をすっと広げてくれる。それなりに波乱万丈なエピソードもある役回りなのですが、斎藤が演じると、場面ごとの想いが漏れたりこぼれたりして滲むことなく、きちんと手なずけられて観る側を深く浸潤してくれるのです。想いの広がりとおさまりをしなやかにコントロールする技量がこの人のお芝居には備わっていて、舞台上の刹那の存在感だけでない、奥行きをもった感覚がぼやけることなく観る側にやってくる。

大川の友人を演じた二人のお芝居も実にヴィヴィッド。甘粕阿紗子は、どこかにPOPな雰囲気を残しながらも、普通の女性を実直に演じました。ストイックというわけでもなく、一方で自分をコントロールすることもちゃんとできる女性。女性としての歳相応の円熟がとてもナチュラルで、キャラクターからやってくる、自らを失うことなく流されていく感みたいなものがとても秀逸。女性のありがちな人生スタイルのロールでもあるのですが、かっちりとその役割を塗りあげるのではなく、どこかにほんの少しのはみ出しや塗り残し感を醸し出して、そこから女性としてのありふれた、でもふくよかな生きざまを垣間見せる。それが、舞台の実存感をがっつり支えて、とても好演だったと思います。

梅舟惟永はまさに大川の「女ともだち」として舞台を支え切りました。表面に見せる明るさには観客の目を奪う華があり、それがキャラクターの内面との落差をしっかりと作り出していく。表現に馬力をもったベースの強さがあって、それゆえキャラクターが内側に抱える葛藤もはっきりくっきりと観る側に伝わってくるのです。しかも、力があっても勢いで押すのお芝居というわけではなく、実は強さを支える息をのむほどの繊細さと解像度こそが武器になっていて。だから、たとえば酔って大川の家を訪れるシーンなどでも、そのシーンが表層的にならない。ひとつの台詞から幾つもの心情が交わらずにやってきて、それぞれに観る側を揺さぶっていくのです。この人のお芝居には、観るたびに掴まれる・・。

衣裳やライトでの時間の切り分けも、最後までしなやかにきっちりと機能して。音楽もしっくりと物語に寄り添って・・・。

実はこの作品、公演のしばらく前にWIPを拝見しているのですが。その時にはストーリーが骨状に見えたり、個々の人生のそれぞれが時間軸にぶら下げられているような感じの部分もありました。しかし、実際の上演では骨ではなく、登場人物たちの豊かな重なりの中に時間が過ぎていく。ここまで作り上げた作・演出と役者たちの力量に改めて瞠目・・・。

ラストのシーンで、二人の女性が海を眺めながら、出会ってからその立ち位置までの歩んできた時間の感覚をふっと口にします。それは、織り上げられた世界をすっと抱えたような感じ。潮風を感じるように、彼女たちが共有する二人の時間の感触がやってきて、とても自然にさらに織り上げられていくであろう二人の、そして他の人物たちの時間を思う・・・。

溶暗していく舞台を眺めながら、ほろ苦くたおやかな想いに深く満たされたことでした。

まあ、初日だったので、若干だけ役者の硬さを感じた部分もあったのですが、でも公演期間中に、さらに満ちて育っていくであろう力がそれらを凌駕して・・。

公演は火曜日(7月6日)まで。

ほんと、お勧めの作品です。

PS:7月5日にこのお芝居を再見しました。初日の硬さは概ねなくなり、よりふくよかな舞台に熟しておりました。

そうそう、初日より上手側で観て気付いたのですが、この舞台は役者のいろんな絵面がきれい。前半の役者達の制服姿もビビッドなのですが、後半の女性たちの身に付けるものにも、すっと心を惹かれるようなセンスがありました。ベースの衣装はもちろん、たとえば白いコート、トランク、手にした帽子などから気取らない洗練が生まれていて。ベンチに腰掛けて話す甘粕や、ラストで、海岸から上がっていく梅舟・大川の姿など、なにかNorman Rockwellの絵から抜け出てきたような洒脱さがありました。役者・演出に加えて、衣装や小道具をコーディネイトしたスタッフのファインプレイだと思います。

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コメント

きのうはストーリーに装填したかった。
だけど、肌触りも会話しなかった。

投稿: BlogPetのr-rabi(ららびー) | 2010/07/14 14:37

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