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快快(faifai)「SHIBAHAMA」目が覚めるような芝浜の再構築

2010年6月9日東京芸術劇場小2にてfaifaiの「SHIBAHAMA」を観ました。

落語「芝浜」はいろんな噺家さんで聴いたことがあって、馴染みの深いねた。faifaiがそれをどのように料理していくのかわくわくしながら池袋へと足を運びました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本:北川陽子 演出:篠田千明

たとえば、「時そば」とか「時うどん」などという噺、橘家円蔵師匠や笑福亭福笑師匠などは噺の仕組みをまくらでばらしてしまい、噺家としての腕でその物語にふくらみを与えて観客を魅了したりする。

faifaiの「芝浜」にも同様のメソッドで噺のコンテンツを今に置き換えて見せ切る力がありました。

冒頭、客入れの部分でランダムに登場する役者たちは作り手にとっての東京というか江戸の今を劇場全体に醸し出していく。当日ゲスト、「ニーハオ」のプレパォーマンスライブなどもあって街の高揚感が醸成されていきます。

そこから、いくつかのパターンで「芝浜」という噺のアウトラインが提示されていく。会場全体に広がる音と映像と役者たちのコントロールされた動きの中でしたたかに「芝浜」のサマライズと物語の構成要素の提示が行われていく。

その上で「芝浜」のキーとなる各ピースがひとつずつfaifaiの表現で語られていくのです。

毎日「遊んでばかり」の熊、「遊び」の部分が観客参加のイベントで演じられていくのが楽しい。なんとなく仕事をせずにだらだらしている感覚が具象化されて・・。

「大金」の入った財布を拾ったという「大金」の感覚・・・、今様の「夢」の表現、3年間仕事をしたという「仕事」の肌触り、faifaiナイズされたそれらの具象化が噺の骨格をしなやかに内に隠して展開されていく。

当日ゲストの白神ももこや高須賀千江子のパフォーマンスも、どこかゆるくて、でもfaifaiの役者たちとコラボした動きにはぞくっと引き込まれる切れがあって。楽しくて、その中に洗練があって、まるで名人上手の噺家のしたたかなくすぐりを聴くよう。

フィールドワークのレポートという形で熊さんたちの生きた落語の世界と今の「江戸」の広がりが縫い合わされてその先に噺がもつ普遍性が浮かび上がる。落語での地語りのような篠田の言葉で個々の要素がふたたび21世紀の東京の市井に結びあわされて・・・。

そこから再び、faifai流の表現とぞくっとくる切れで描かれる「芝浜」が圧巻。役者たちの上下を切った表現が鮮やかなグルーブ感を導き出し、映像や音とともに圧倒的なパワーでfaifai流「芝浜」が場内に満ちる。

出演:天野史朗 大道寺梨乃 加藤和也 千田英史(Rotten Romance) 中林舞 野上絹代 山崎皓司 北川陽子 篠田千明 佐々木文美 藤谷香子

ゲスト:白神ももこ(モモンガ・コンプレックス)/ニーハオ/高須賀千江子(輝く未来/嫁入りランド

佐々木文美の美術も江戸の風情と東京の今をしっかりと包括していて・・・。この人の創意には公演ごとに目を見張る。席に座ると不思議な居心地のよさとその場への居座り感が生まれて。雑然としているようでどこか粋、観る側を芝居にひたりこませる魅力があるのです。天野史朗の映像や上田剛の照明も、観る側の感覚を目覚めさせ、さらには腰の据わったグルーブ感を与えていました。昔々キュピキュピを観た時にその映像や照明の力に驚かされたことがあるのですが、その時以来の強いインパクトを感じた。

落語の「さげ」をさらに逆手に取った落ちも鮮やかに決まって・・・。落語の手法をがっつり取り込んだパフォーマンスの懐の深さにひたすら瞠目。

このテイスト、人によって好き嫌いはでるかもしれませんが、少なくとも私は、しっかりとしたおさまり感とともに一席を聴き終えた満足感を味わうことができました。

☆☆★★★

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