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ロロ、「旅・旅旅」ぞくっとくる描写力

2010年5月7日ソワレにて、ロロ「旅・旅旅」を観ました。会場は王子小劇場。ロロの公演を観るのは3度目、それと15Minites Made参加時のパフォーマンスも観ていて、その感性にずっと惹かれっぱなし。今回公演も楽しみにしておりました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出 : 三浦直之

開場してしばらくすると、舞台上で食事の支度がはじまります。卓袱台的なところに食器がならべられ、おかずが用意され・・・。

ひとつの家族の単位と夕餉の時間のイメージを重ねあわせるようなサザエさん的なダンスのあと、ちゃぶ台で家族の会話が始まる・・・。

その会話から、ちゃぶ台の魔法にかかったように家族個々の想いが舞台に膨らんでいきます。卓袱台を家の見取り図や世界に見立る想像力が思い描くイメージが不思議な立体感を立ち上げる。平板な感覚に舞台を縛っていた間尺がすっと外れ、舞台上のキャラクターたちの思いが一つ次元を上げて表現されていくのです。

フランスへ行きたいといった瞬間に家族全員がフランス人という会話に笑っているうちに、日常的なその家の雰囲気に取り込まれる。家族の中に吸い込まれて、内外が逆転したように、一日に溢れる感覚側から家族の質感が伝わってくるのです。。

兄弟の恋人への告白を眺める好奇心、冷蔵庫の中味、自転車のバス、つけっぱなしのテレビ。家にある様々なものが混在する舞台で、様々な思いがふわっと重なりあっていく。

何かが起こったり、あるいはどこかへ行けたらなという思いが走ることへの衝動と重なるなかで、少女の内心の色が観る側にダイレクトに染まっていく。洗濯機に上がって思い浮かべるエッフェル塔も、家族と暮らす時間のなかではちゃんとフランスにそそり立っていて、さらにその向こうに広がる少年のちょっと閉塞した想いの色が観る側にも垣間見える。

名前のこと、箱根の温泉のこと、トンカツに収束していく家族への想い。外側からは支離滅裂なイメージの羅列に思えても、命が生まれ、育まれ、死んでいくその場所の1日はあるがごとく存在していて・・・。まるでシャガールやダリの絵画をみるように、一瞬のとまどいのあとに、広がる世界の豊かな描写力、そこから湧き上がる感覚のリアリティに愕然。

出演:望月綾乃・青木宏幸・池田野歩・板橋駿谷・大柿友哉・北川麗・島田桃子・長澤英知・森本華・崎浜純・玉利樹貴

役者たちの演技には精度と瞬発力がありました。観た公演には次回公演のミニ予告篇を稽古から見せるというおまけがあって、その中でも、刹那の風景に観る側を導くための切れがそれぞれの役者が備わっていていることを実感。

冒頭に現れる大きな果実のごとく、家族に含まれた、どこか甘酸っぱくて瑞々しいその感覚が、そのダンスのごとく軽々とヴィヴィッドに揺らぎつづけて。観終わって約90分の上演時間以上のボリュームを感じつつ、その家族の、たぶんありふれた1日に醸し出される想いのふくらみにどっぷり浸潤されていました。しかも、その浸り感は外側からしみ込んでくる感じではなく、内側で共鳴するような感覚でべたつかず軽く深い。

この視座と描写力、ぞくっとくるほど凄い。がっつりとはまりました。これまでの公演でも、独特な事象への切り口と表現の豊かさに瞠目させられていましたが、今回はまた別格。

今後、この劇団が、どんな切り口でどんなリアリティを感じさせてくれるのか、また一段と楽しみになりました。

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