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タカハ劇団「パラデソ」温度を持った群像、

2010年5月3日ソワレにてタカハ劇団「パラデソ」を観ました。会場は下北沢楽園。

この劇団を観るのは3度目、物語の確かさと含蓄に富んだタカハワールドに今回もがっつりと惹かれました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本・演出 高羽 彩

場内に入るとそこには見事なほどに作り込まれた居酒屋が・・・。座席に座っても劇場にいる感じがほとんどしない。まあ、楽園という劇場、昔は本当に居酒屋だったらしいのですが、それにしてもリアル。舞台上のトイレ表示に開演前のお客様がふらふらと舞台奥に向かってしまうほど。

開演前に現れた従業員役の女性が、まるで有線に合わせる様に鼻歌を歌いながら、あらかじめ散らかしてあった机の上の片づけをはじめて・・・。

従業員がとるピンク電話での会話で、その居酒屋の大きさや雰囲気がさらにくっきりと色付けされていく、どうやら父娘で店を切り盛りしているよう・・・。さらには近くにちょっとあぶない団体が存在することも暗示されていきます。

お通夜帰りと思しき団体が現れ物語が動きだす。前半は、彼らの雰囲気や亡くなった人物と彼らの関係に目が向いて。その集団が一つずつのキャラクターとしてばらけていくなか、会話などから隠れている部分が浮かび、すこしずつ彼らの世界に観る側が取り込まれていく。

そこに亡くなった男を慕っていた女性や教団に残って活動を続けているメンバーが現れ、物語の全体像が観る側に明らかになっていきます。とあるカルト系とおぼしき宗教団体に超能力を持つ神の子供として集められた子供たち、それぞれの現在から彼らが共にすごしたある時代が透けて見え、今への道程のなかに自殺した男の存在がシルエットを観るように浮かび上がってくるのです。

個々のキャラクターが絶妙な力加減で書き込まれていて。宗教の匂いをエピソードに編み込みながらも、まがまがしさをすっと消して「今」の登場人物たちの醒めた感覚や取り込まれた感覚を表現していきます。共有した時間が醸し出すノリに包まれて、互いがいがみ合うのも、当時の秘密が暴露されたりするのも、亡くなった男と女性たちの関係が明るみにでるのも、まるでクラス会のヒトこまをみるよう。あぶりだされる、彼らがが属していた世界やそれぞれが持ち合わせた能力への挫折感や未練と、その世界から抜け落ちた死んだ男への喪失感が強くやわらかく伝わってくる。

そして、喪失感の先に、彼らが生きてきて、さらには生きていく、生きていればこその時間の質感が厚みをもって観る側にやってくるのです。

内田亜希子が演じる居酒屋の娘には、その人々に箍をはめる外側の視線とある種の懐の深さがあって、観る側に確かな視座を与えていきます。弛緩と緊張の色が同じ透明感のなかにしっかりと演じ分けられていてぶれないので、観る側が安定して舞台に入り込んでいける。

大佐藤崇が見せるどこか大人の香りがする対応の底浅感や瓜生和成が演じるキャラクターの空気の読めなさと不思議な包容力の突き抜け感、それぞれがしっかりと場の土台を作り上げていく、町田水木の演技にはその空気をすっとひとつのベクトルにもっていくしなやかさがあって。それぞれに作り上げる社会人としての実存感が場に折り目をもったリアリティを与えていく。

女優陣にはパワーがありました。石澤美和のお芝居にはキャラクターの日常がしっかりと見えて、舞台に実存感を醸し出していく。押しがしっかりとある芝居にバックボーンがきちんと見えるのです。高野ゆらこはテンションをしっかりと持ったお芝居で、キャラクターに肉厚な存在感を与えていきます。その芝居の太さと解像度には場をコントロールするに足りる力があって。異儀田夏葉の演技にはきめ細かさと繊細さがありました。ここ一番での強さを持ちながらも、揺らぎのひだがやわらかく伝わってくる感じに瞠目。これまで観た彼女演技とはある意味真逆のお芝居なのですが、違和感がまったくなく観る側にすっと入り込んでくる。笹野鈴々音は瑞々しくキャラクターの内心を描いて見せました。か弱さの内側にあるキャラクターの芯の強さを腰のしっかりと据わった演技で具現化していく。骨格のしっかりした存在感を組み上げる演技力に舌を巻きました。

古木知彦の演技には、濃密な場の雰囲気を押し切るだけの切れがありました。深さと浅さが複雑に入り組んだキャラクターをこともなげに表現していく力に瞠目。硬質な台詞に脆弱な感触をおりこむ演技力があって、その存在感が舞台のしっかりとした奥行きを作り出していく

キーホルダーの扱いなどもとてもしたたか。ラストのシーンで、居酒屋の期限切れで整理されるボトルに掛けられたそのキーホルダーに、その店をとおりすぎたの男の足跡とすれ違い、彼と共通の原点からさらにいきていく登場人物たちの時間が感じられて。

その広がりをもった切なさに、作・演出の力量を改めて悟ったことでした。

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