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チェルフィッチュ、木ノ下歌舞伎、それぞれの舞台上に描かれたものに目を見張る

これもちょっと遅れてしまいましたが、5月14日にチェルフィッチュ「ホットペッパー・クーラー・お別れの挨拶」、5月16日に木ノ下歌舞伎「勧進帳」を観ました。

両作品とも、目で見る物の何倍も広がる何かが植え付けられるような感覚があって、ぞくぞく来るような表現の肌触りに心奪われて・・・。

きっとその場でなければ味わいえない、空間のテイストを楽しむことができました。

(ここからはネタばれがあります。十分にご留意ください。)

・チェルフィッチュ「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」

脚本・演出:岡田利規

出演:伊東沙保、横尾文恵、武田力、山縣太一、安藤真理、南波圭

場所はラフォーレミュージ原宿。広い舞台。客席もしっかりと段が組まれて、・・・。そこで連作のように、会社内を舞台にした3つのシーンが演じられていきます。

「ホットペッパー」の部分については、以前に吾妻橋ダンスクロッシングで(違うかもしれない)原型となるパフォーマンスを観た記憶がありますが、今回の方がずっと深度を感じました。3人の派遣社員が、会議室か休憩室のようなところで退職していく仲間の送別会について相談をするシーンが演じられていきます。同じ境遇あるというプチ意識と小出しにされるような協調意識・・・。さらには、派遣社員間のそれぞれの距離感がすっと浮かび上がってくる。

マイクを通しての台詞に意外な効果があって・・・。その言葉が個人を離れて会社のなかでの均質化した空気として広がっていく。それぞれの役者が話す送別会のことがぺラッと書き割りになり、その刹那の人物たちの心情というか内心の色や質感がぞくっとするほどリアルに溢れ出すのです。

繰り返される台詞、役者の動作からこぼれる感覚の鮮烈さ、役者の動きに加えて光や影に派遣社員の感覚がデフォルメされて観る側に焼きつく・・・。その強さは台詞の言葉に載せられた休み時間の良くある風景を貫き、観る側の既成概念や曖昧なイメージを跳ね飛ばして当事者の感覚に塗り替えていくのです。そこにある退職者に対する距離感や心的比重、送別会に対する本音、関心と無関心。その場のコアであるはずの送別会準備の会話が風景というかゲートウエイに変容し、3人それぞれの無意識の領域に広がる色や重さが舞台に満ち、観る側になだれ込んでくる。

「クーラー」に描かれた正社員二人の姿も同じように観る側を染め変えていきます。派遣社員のそれとは当然に色や質感は異なるのですが、そこにある日常の感覚の抽出の仕方は同じメソッドが使われていて。それゆえ、正社員間の距離感とちょっとシニカルないらだちや連帯感のようなものが、派遣社員達との色の違いも含めてくっきりと浮かび上がってくる。そこには、派遣社員たちの間にはない,近しいウィットや根幹の社員としての意識のようなものも織り込まれていて・・。

でも、なんだろ、それだけ色がちがっても「ホット・・・」と「クーラー」には同じ容器の中で異なる材料が調理されているような感覚もあって、そのリンク感が、会社のなかの出来事という外枠を観る側に残す・・・。

その外枠に内包された場で演じられる「お別れの挨拶」は前の二つのエピソードと比べて言葉のニュアンスがしっかりと表現されている感じ。退職者のどこかグタグタな挨拶の言葉が、「ホット・・・」と「クーラー」が醸し出す外枠のなかで、退職者の心情として観る側に積っていきます。後ろに投影される草花のイラストに、彼女の心情が驚くほど端的に表現され、昆虫の死骸のエピソードが淡く深く彼女の退職の現実感にリンクして舞台を染めていく。さらには勤務していた期間と比べても希薄な職場での人間関係が痛々しいほど生々しく浮かび上がってきて・・・。

ラストの素に近いライティングにそれぞれのエピソードのデフォルメが解けて、ありふれた職場の退職挨拶の風景が現れた時、その場から伝わってくる職場の空気のどこか居心地の悪いたおやかさと軽さに愕然となりました。その軽さの背景に残像のように残る一人ずつの心の風景の重なりに、日々無意識の領域に置いている、自らの時間がフラッシュバックのように重なって・・。

終演後、やわらかく拡散していく舞台の余韻のなかに、自らが身を置いている日々の凍るような閉塞感のよどみを感じて。息を呑んだまましばらく動けませんでした。

・木ノ下歌舞伎 「勧進帳」

監修・補綴:木ノ下裕一

演出・美術:杉原邦生

出演:亀島一徳・重岡漠・清水久美子・福原冠・John de Perczel

場所は横浜STスポット。場内に入ると花道とも舞台ともつかないものが、場内の中央にドンと設えられていて・・・。中央には止まれの文字が。オレンジのラインが関所のゲートだと気がつきます。

物語の筋立てはまごうことなき勧進帳、しかし、そこに現代的な表現が織り込まれていきます。それは歌舞伎の遊び心という範疇を超えて「勧進帳」という物語を見立てるためのガチな武器として前面に押し出される。

義経たちを待つ感覚、関所の富樫と郎党の雰囲気と重なる悪がきの風情、歌舞伎座のパンフレットのようなものを持ち出して弁慶たちの姿を見つめたり・・・、英語、ダンス、さらには関所を通過しての後、最後に非礼を詫び一行を供応するその表現・・・。

見る側にとって時代という概念の階段を下りてなお見晴らしの利かない部分が、現代の風情に織り込まれることで直感的に伝わってくる。歌舞伎のうちにあって歌舞伎からはみ出した表現が、個々のシーンの感覚に光を当てて物語全体を俯瞰させる力になっていく。

役者たちも歌舞伎と今風の表現をしなやかに織り交ぜて実に切れのある刹那を作り上げていました。それは、歌舞伎役者が演じる勧進帳に比べると、荒さはある。芯まで滑らかに強く演じきる歌舞伎役者の舞台とは違う・・・。しかし、形は違えどその場を崩さないだけの役者達の力量は、舞台を支えきり漲らせるのです。荒さが単純な優劣にならず、テイストの違いというか歯触りの違いのように感じられる。今を織り込まれてやってくる刹那が観ていて飽きないのです。

歌舞伎の世界と今の表現の折り合いが、舞台のすべてを広げていくわけではなく、逆にそれぞれが持つ何かを打ち消し合っている部分もあったりはするのですが、それを差し引いても、観る側には勧進帳の魅力がとても斬新で新鮮に感じられて。

最後のシーンも、よかったです。歌舞伎的な見せ場はなかったけれど義経の去りゆく姿に山道の風景が浮かび落ちゆく者の切なさがじっくりと伝わってくる。

このメソッド、今回の洗練に加えさらに感覚を自由に取り込める様式として進化すれば、もっと見る側を魅了するのだろうと思います。

木ノ下歌舞伎の世界、もっと浸ってみたくなりました。

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