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箱庭円舞曲「とりあえず寝る女」割り切れない個性の描き方

ちょっとおそくなりましたが、2010年4月4日ソワレにて箱庭円舞曲「とりあえず寝る女」を観ました。2時間20分とやや長めの舞台でしたが、全く飽きることなく引き込まれてしまいました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

冒頭、ちょっとへたれな前説があって、場内の雰囲気が緩みます。それが、本編最初の暗示的なシーンのテンションを微妙に変えていく。終演後思い出してみると前説のべたさとたよりなさから、キャラクターたちのどこか緩慢な時間とそれそれが持つシリアスな内面の乖離が暗示されているようで・・・。

物語は団地の立ち退きを縦軸に、その家の姉妹や彼女たちを取り巻く人々を横軸に進んでいきます。冒頭からキャラクター間の距離感に、微妙に割り切れない余りのようなニュアンスがあって。それが、舞台に不思議な饒舌さを与えていく。

なんだろ、上手く表現できないのですがそれぞれの関係性が観る側にそのまま入り込んでこない。表面的には収まりきってもすっとしない。その一方で人が擦れ合う度にキャラクターたちの内側にあるブランクの部分や出っ張った部分がぼろぼろと伝わってくる・・・。

なんか普通ではない。でも、その違和感があざとく感じられないのは、個々の内側にあるものが他者との関係の中でしっかりと描かれているから。それぞれの存在が絶妙に他者の内側を照らし出していくのです。

特にその家の姉のペンパル(メル友の手紙版)という親子が娘の受験ということで居候を始めてからがすごい。二人が触媒になったがごとく、いろんなものが浮かんでくる。

役者たちが、その余りの部分をほんとうにがっつりと見せてくれるのです。

姉妹の姉を演じた村上直子は、「すっと寝る」女性の質感をぞくっとするようなリアリティで演じてみせました。意図しない怠惰さ。心の内側にある空洞がぺこんとへこむような感じで眠りに落ちる。その感触がなにげに物語の基調を舞台に作っていく。その内側にあるものが、とてもめんどうくさく露出していく様に瞠目。妹を演じた片桐はづきのどこか醒めた感じと強さに潜んだ母の血を引く側面の表現にも観る側を納得させる色があって・・・。それも、切れのよい演技と裏腹に他のキャラクターにぶつかりながらじわじわと滲んでくる。

ふたりを取り巻く男女も実に個性に富んでいて。玉置玲央はキャラクターの心をやわらかくなめらかな空気で表していきます。繊細さとどんつきに当たるようなためらいが絶妙。不思議なことにこの人が舞台にいるとそれだけで舞台の空気が締まる。なんの抵抗もなく彼の内心が観る側にしみ込んでくる。爺隠才蔵のどこか人を喰ったような演技にはうそっぽさの中にしっかりした実存感があって。その家の雰囲気というか端々から溢れる空気の鋭さをすっと吸い取っていく。和知龍範が演じる思い込みの強い男も舞台の色をしっかりと支えていました。持ち前の端正な雰囲気は繊細さを感じさせるのですが、その部分を崩すことなくキャラクターの思い込みの揺らぎのなさというか他のキャラクターのベクトルに負けない貫き方を観る側に感じさせる。

小野哲史の醸し出す雰囲気には、この人だからという重層構造の広がりがありました。繊細さとずぶとさと頑迷さと知性が撚り糸になったような個性、しかも舞台上にしっかりとした存在感があるのです。彼が表現する内心の脆弱さのようなものは観る側に強い印象として残る。その妻を演じた真下かおるは、ある意味世間の基準線的な部分を演じるのですが、単に常識的ということではなく、そのひとつ奥にあるキャラクターの想いやドロドロしたものをきちんと垣間見せておりました。常ならぬということではなく普通がちゃんと見えている中での内心の表現は、観る側をやわらかく取り込むんでその内側の修羅を見せるという図式で観る側の目を開かせる。

赤澤ムックはもう、怪演の部類(褒め言葉)。がっつりあふれた色というかキャラクターの骨の太さがもろに伝わってくる。しかも彼女が押し通す価値観にはけれんを感じさせない明確さと舞台を動かす切れがあるのです。一見力技のような演技に潜むしなやかな他のキャラクターとの距離の詰め方、もっといえば想いへの踏み込み方や渡し方にぞくっとくる。リーディング公演などでしっかりとお芝居もできる方とは知っていましたが、それにしてもこの演技の鮮やかさには驚嘆しました。その娘を演じた井上みなみは赤澤の芝居を際立たせるだけでなく、キャラクターの母親を受け入れる部分をとてもナチュラルに表現して好演。物語のベースをきっちり固めてみせました。

小林タクシーのお芝居には根がしっかりとありました。「猥褻」な雰囲気にしても、団地の会長という立場にしても観た瞬間に納得させる空気がある。でも、舞台が進むうちに、その色がキャラクターの表面からダイレクト感じられるものではなく、キャラクターの内側に作られた細緻な表現自身からにじみ出たものであることに気づく。雰囲気が薄っぺらくないのです。髭が象徴的なのですが、その髭が滑稽ではなく似合うと感じさせるだけのものが彼の演技から伝わってきていて・・・それがしっかりと舞台の深さにつながっていく。

須貝英は絶妙のバランス感でキャラクターを演じ切りました。彼の芝居のうまさは他の舞台でも承知済なのですが、それを押し出さず、前半からちょっと下がり目の位置で実直に彼の存在を舞台に植え付けていく。ある意味舞台の枠組みを支えるお芝居だったのですが、それを終盤まで感じさせないことにも彼のお芝居の奥深さを実感したことでした

最後のシーンもすごくきれい。立ち退きですっかりかたづいた舞台に、その場所の質感と時間が観る側にすっと広がって、舞台で描かれた時間が観る側にも戻ってくる・・・。

キャラクターたちのいろんな想い、さらには姉妹たちの時間がその場所に残像のように残る。それが、さらに、観る側が観てきたその家での出来事や、キャラクターたちが背負っていたものとすっと重なって息をのむ。

古川演劇の表現のしたたかさにしっかりとやられてしまいました。

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