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世田谷シルク「春の海」切れをもった豊かな表現

2010年4月8日ソワレにて世田谷シルク「春の海」を観ました。場所は下北沢・シアター711。

この作品については公開ワークインプログレスを拝見しています。その時点で、豊かな表現にすごく惹かれて・・・。本番を心待ちにしておりました。

初日満席。やや後方の座席の座りごこちのよいこと・・・。世田谷シルクは折り込みチラシを廃止していて、代わりに開演前の客入れ時に公演の案内が舞台に投影されます。今回はたまたま舞台装置の関係でちょっと見にくいという難はあったのですが、基本的にはとてもよいアイデアだと思う。チラシよりお洒落でインパクトがあります。また、この方法ならではでの表現などが生まれたりする可能性も感じる(ジングル的な公演CMとか)。もっと一般化してもよいやり方だと思います。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。)

脚本・演出:堀川炎

身体を含めた様々な表現のひとつずつに洗練があって。山の手事情社的な動きにしなやかに制御された時間が、作り手の発想と表現を大きく広げていきます。シーンのつなぎもしなやかで観ている側がぐいぐいと引き寄せられていく。

コラージュされた子どもたちの時間がとても瑞々しい。お芝居がナチュラルというわけでなく、むしろ個々のしたたかなデフォルメの組み合わせからこそ浮かんでくる世界に子供たちの時間の肌合いと広がりがやってくる。とっくに忘れていた幼いころの感覚がすっと心に戻されたような感じ。ずるかったり、素直だったり、臆病だったり、意地っ張りだったり・・・。

子供たちの時間には先生たちのキャラクター設定やお芝居にもすっと子どもたち目線でのフィルターがかかって。ラジオの実験の喧騒。気体の実験のヴィヴィドな動き。浄水の実験(この表現にはぞくっときた)。3年生と6年生の対比。ヤドカリが示唆するもの、ロケット鉛筆が導き出す想い。大人びていく感覚。

山田君の記憶・・・、断片から浮かび上がる彼の雰囲気。見えない子どもからやってくる実存感。

一方で、役者たちのナチュラルな演技がしっかり生きた大人たちの描写。姉妹の会話。先生どおしの会話。先生と母親の会話。学習教室の日々から「現在」まで時間を背負った大人の会話。早々に村を出ていったお店の月に一度の配達、それでも戻ってくる妹の心情、父親が作ったお弁当からふっと浮かびあがる現実の時間。ダムに沈む村についてのモノローグ。

終盤、DVDを観る中での過去と現在のニュアンスをつなげたザッピングのようなシーンがとてもうまく機能して、コラージュされた時間達全体にがっつりと取り込まれます。DVD制作をきっかけに、観る側にも舞台上のキャラクターたち同様に、いったん閉ざされ忘れられた記憶の蘇るような感覚がすうっと降りてくる。

そこには、単に村がダム池の底に沈んでいくという物理的にビターな物語だけでは現れないものがあるのです。なんというか思い出や感傷というニュアンスでも束ねきれない肌合いを感じる。時間のアドレスが曖昧なまま、いくつもの時間にチューンされて現れる瑞々しい感覚が、ダンスを観るうちにすっと一つに収まって・・・。終演時にはそれらの時間を俯瞰する場所で、もうそこにはない様々な時間達がかもし出すペーソスに心を浸されている。その感覚が現実の自分と重なって、じわっと自らの立ち位置に思いを馳せていたことでした。

ちなみにこの作品については、作演からのライナーノート的なものが彼女のブログ上で公開されています。

http://www.blogpet.net/viewer?url=http%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fsetagaya-silk%2Fentry-10508730449.html

(記事中に「そのままの情感に浸りたい方は未読にしてくださいね・・・。」との記載あり。)

それによると初日(私が見た日)から毎公演ごとに昨今の小劇場演劇では類を見ないほど演出が変化したとのこと。さすがに台本やクオリティを変えることはなかったようですが、上演時間なども初日と楽日では違っていたそうです。普通ならその話にちょっと驚いたりもするのですが、今回の公演に関してはあまり驚かないというか、むしろそうなる必然に思い当たったりもして。

思い返してみると、この作品、物語に登場人物達の感情や想いが縛られているわけではない。物語が感覚の要素に過ぎないというか、それぞれのシーンを満たす感覚の要素として物語の欠片が含まれている感じ。乱暴な言い方をすれば物語とその中にある様々な感覚の関係が日頃観る舞台と裏返しになっているように思えるのです。

だから、作り手の恣意が様々な感覚を舞台に置くなかで、作品を構成している物語も感覚に対応したニュアンスに染められてあらわれてくるのだろうし、作り手のイマジネーションに裏打ちされたそれらのニュアンスは、少なくとも私には、今まで演劇ではあまり味わったことのなかったようなとてもワクワクする感触を与えてくれる。ワークインプログレスと初日を比べても、秀逸なシーンが削られたり物語のニュアンスが若干変わったように思えた部分もあったのですが、だからといって作品の屋台骨が変化したようには思わなかったし、むしろ初日の舞台はその世界を照らす光が広がってずいぶん豊かになったと感じたことでした。

この作品、時系列を道しるべに物語を追いかけたりすると観る側は時々森に迷ったりもするのかもしれませんが、でも、観る側がやってくるものをそのままに感じ取っていけば、そこには作り手の感性や表現力をを豊潤に映した世界が現れる仕掛けにもなっているわけで。

前々作、前作にも萌芽していた堀川的作劇の可能性にさらなる広がりを感じたことでした。

あと、この作品、役者たちが本当によくて・・・。

出演:山本映子・守美樹・原麻理子・金川周平・今井彩・大竹沙絵子・帯金ゆかり・えみりーゆうな・松下幸史・堀越涼・堀川炎

それぞれがしっかりと舞台を支えていました。様々なシチュエーションにおいて、観る側に負荷を感じさせることなく、がっつりと場ごとのキャラクターをつくりあげた、これら役者たちの力にも目を見張りました。

また、美術もとても洒脱で秀逸。舞台の空気を膨らませ閉じ込める魔法がかけられているよう。照明も美しくシャープ。照明で切り分ける短いシーンの切れ味にも息を呑む。

終演後、劇場前にたたずむひと時に、浄水の実験シーンのリズムが鮮やかによみがえってきて。体験などしたことのない実験なのに、ときめきを反芻している自分にびっくり。堀川が積み重ね構築した3次元+時間の亜空間と自分の現実のボーダーが見事に曖昧になっていることに気がついて。

観る側の現実を置換するするほどの世界を、様々なアイデアと豊かなメソッドで編みあげていく堀川の才能に改めて瞠目。この人の発想や描きまとめるセンスの発露、さらには表現の進化をもっともっと見たくなりました。

・上記記事中のリンク等について、問題があるようでしたらご連絡をお願い致します。真摯に対応させていただきます。

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