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カムヰヤッセン「夕焼けとベル」終わりとそこから踏み出す感覚

2010年4月3日と11日、カムヰヤッセン「夕焼けとベル」を観ました。会場は王子小劇場。

作品の面白さに加えて、初日と楽日を拝見することで芝居の変化も楽しむことができました。、

(ここからネバばれがあります。ご留意ください)

劇場に入ってびっくり。舞台がドーンとあって、3方の壁際に客席がへばりついている感じ。おまけに舞台の3箇所に堂々とポールが立っていて、早めに劇場についたのですが席選びにかなり迷った。

作・演出:北川大輔

客入れが終わらないうちに舞台には役者達が現れ、車座になって宗教的な儀式が始まります。客席と舞台の空間がどこかあいまいなまま、すっと劇場の空気に取り込まれる。暗転後のその場所はそこはとある島、冒頭から2人の子供と、それぞれのどこか閉塞した2つの家庭の雰囲気が描かれていきます。

駐在さんの家と、宗教の教祖の家。積み重なるエピソードや回顧シーンからそれぞれの家庭の裏側が次第に明らかになってくる。知的障害のある長女を持った駐在さんの妻のいらだち。あるいは、近親相姦によって子どもを産んだ宗教家の妻の苦悩・・・。

大人たちの抱えるものが子どもたちまで周りから孤立させていく。だからといって、どちらの母親とも、抱えたものの行き場を見つけられるわけではなく、夫たちはそんな妻たちが抱えるものに何かをしたりできたりというわけでもなく・・・。日々、鳴らされる鐘の音を聞くのです。

ところが、父親との間で子が授からず家を出た宗教家の長女が、テロリストとして爆破事件を起こし仲間とともに島に逃げ込んだことから派生して、緩やかで息が詰まるような雰囲気が舞台全体を包み込むような緊張感へと変わっていきます。

テロリストに弟を殺された女刑事、あるいは、前述の姉によって次第に変容した組織に従属したテロリストたちまで含めて、それぞれの背負うものが浮き彫りになっていく。

宗教家の姉たちに人質にとられた駐在の妻と子どもたち、そして姉に銃を突きつけられた妹・・・。どんつきに当たったようなというか、足につながれた鎖がいっぱいに伸びきったような行き場のなさ。キャラクターたちいずれにとってもある時代の終わり。でも、時代が終っても時間は止まるわけではないのです。その終わりと、終わりを越えた始まりの感触が端境を重ねるようにして舞台を深く満たしていきます。

追いつめられたテロリストのカレーを食べたいというエピソード。あるいは言葉の不自由な娘と普通に年頃の母娘の会話をする母の幻想・・・。さらには同じものを抱える妹として、罪を償った姉と話しをしたいという妹と囚われの身でその思いを受け止める姉。

行き止まりの先にある時間にすっと新しい色が生まれ、それぞれに道がひらけるような気配がやってきて・・・。

その何かを越える感覚がきりっとしっかり描かれているから、終盤、家の雰囲気が何か変わったという駐在の二女の言葉や、あるいは宗教家の息子が島を出るときの姿に素直に希望を感じることができるのです。よしんば、その先に新しい閉塞があったとしても、終わりを超えて船出する彼らの希望の瑞々しさに、観る側の心もゆっくりと満ちていく。

役者のこと、宗教家(父)を演じた松澤孝彦のどこか枯れたような雰囲気と威厳には、子供たちがその運命を背負う必然がしっかり宿っていて。宗教家の長男を演じた金沢啓太は、プレーンなお芝居のなかにしっかりと少年の内面を作り出していました。想いの出し方がよくコントロールされていたと思います。母親に対する素直さも歪むことなく表現できていて。また母との関係を受け入れるときの空気の満たし方にもぐぐっと引きこまれた。その母でありなおかつ姉弟という複雑な立場を演じた杉亜由子も観る側をしっかりつかんでいました。運命を背負う時の淡々とした感じや背負っていく中で積っていく重さへの苦悩には観る側を納得させるに十分な奥行きがあって。そう、常ならぬ状況設定の中でも、彼女の想いは歪むことなくしっかりと観る側に伝わってくるのです。この人の演じるキャラクターには印象には長い残像がある・・・。まさに大好演だったと思います。

駐在役の松下仁は離島の警察官としての時間の流れをうまく表現していました。台詞の外側にきちんとニュアンスが作れていて、ある意味での普通さや家族を背負うことへの感覚がしっかり伝わってきました。甘粕阿紗子は知的障害ある子供を献身的に演じました。よしんば言葉を話せないキャラクターであっても、舞台の飾りになることなく、きちんと彼女の時間を舞台上に置いて、家族が抱える彼女の存在の重さを舞台上に刻みつづける・・。その芝居が母親の幻想のなかでの女の子トークの瑞々しさにもつながって。なんというか底力を感じるお芝居だったと思います。駐在の次女を演じた重実百合のちょっと強がったような部分と姉への感情の隠れ具合も印象が深かったです。狂言回しというか物語のリズムを作り出す力もこの人にはあって。姉への想いをあふれさせる終盤のシーンにも説得力がありました。また、キャラクターが見たり感じたりしている部分が、大人側の物語からしっかりと切り分けられていることにもこの人のセンスというか知性を感じました。駐在の妻役を演じた今城文恵はキャラクターの芯を緻密につくり、その感情の起伏をまっすぐに観る側に伝えていました。回想部分での流されるような結婚や出産の質感にしても、日々の生活への苛立ちにしても、彼女が編み上げる空間には安定感がありぶれない。ひとつのシーンを満たす力に加えて、キャラクターの想いの強弱や変化をひとつの表情や動きで豊かに表現できる力もこの人にはあって。たとえば前述の甘粕との出色のシーンでもその才能が遺憾なく発揮されていました。

連絡船の船長を演じる菅原達也からは物語を俯瞰するようなゆとりがしっかりと醸し出されていて。島の雰囲気など物語の外枠を豊かに作り出していました。キャラクターのデフォルメ度合いも絶妙。女刑事役の長島美穂は後半の物語にスピード感を与えつつ、キャラクターの感情を的確に観る側に伝えていました。見ていて絵になるというか、かっこよい。しかも、終盤、端々でやってくる理性を超えようとする感情の高まりには観る側をたっぷり引きこむ力がありました。

テロリストたちの緻密な個性の表現も物語を広げていました。リーダーを演じた小島明之はクールな風貌の内に知的な強さと脆弱さをうまく織りあわせて、組織がテロへと流されていく雰囲気を醸し出して見せました。脆さの表現にあざとさがないのが良い。 守山真利恵のどこか醒めた質感は組織の雰囲気にリアリティを与えて・・・。また、個々のシーンでの想いの出し入れがすごく切れていました。とくに、彼女が人質の縛めを解くときの質感に瞠目。すっと感情を引いてあとに残る諦観が、キャラクターの中での何かが終わる刹那をしっかりと観る側に渡していたように思います。埜本幸良はキャラクターが持つ熱の感触をうまく表していました。 熱を持つ部分とそうでない部分の温度差が細かくやってくる感じ。根の優しさや人間性もうまく表現されていたと思う。遠藤友香理はキャラクターをひとつのシーンではなくお芝居の尺でしなやかに演じて見せました。組織の中庸なポジションを実直に演じる中で内部の空気をしっかりと観る側に渡していきます。終盤の傷ついた仲間との会話にもふくよかな密度がありました。ふっと荷を下ろしたような感じで緊張感を解いて、閉じ込められていた思いを、カレー話とともに溢れさせる。そこから終わっていくひとつの時代の感触と質量がしなやかに切なさをもって伝わってくるのです。観る側までがキャラクターの閉塞を超えるような感触。遠藤が作り上げるふくらみには観る側が身をゆだねることができる信頼感があるのです。

川村紗也は劇団競泳水着の公演に続いて、物語のコアの部分をしっかりと支え切りました。逃走をしている彼女の何かを切り離したような透明感と達観を感じる精錬されたような軽さ。一方ですべてを終らせたいと願うに至るまでに彼女が抱えたものが、次第に色を濃くして根無し草のような感覚とともに溢れだす。よくそこまで詰めたと思えるようなテンションがしなやかに物語を動かしていくのです。島での父や妹との確執とテロリスト達の変容を結びつけるだけの骨の太さもその芝居にがっつり備わって。川村として、また一つ殻を打ち破ったようなその演技にひたすら瞠目したことでした。

実を言うと初日ソワレと楽日マチネでは終演後の感触が少し違いました。初日は、従前のカムヰヤッセンが持っていた、表現するものへの切っ先の鋭さが多少薄れていたように思います。そのかわりゆっくりとやわらかく重さが積もっていく感覚があって、ある意味新鮮でした。そこには作・演出のチャレンジがあったのかもしれません。一方楽日では従前の作品にも感じた独特の切れが加わりスピード感をもった流れが生まれていました。楽日の方がキャラクターたちそれぞれの想いの像が絞られ、作品としての解像度が高い印象がありました。

北川大輔は公演中も芝居を育て続けていたのだと思う。その姿勢や手腕も含めて、作・演出家としてのこの人の力をしっかりと感じたことでした。

とてもアバウトな言い方なのですが、実はすごく繊細な部分をもった作品だと思うのですよ。同時にこの作品って、ある時ふっと思い出すような何かが間違いなく含まれているように感じた。だから、惹かれる。

また、うまく言えないのですが、この作品からカムヰヤッセンの表現の間口が一段広がったようにも感じました。なんというか、よりデリケートな感覚やニュアンスを表現する筋肉がついたような気がする。

この劇団の次回公演、とても楽しみになりました。

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