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青年団リンク 口語で古典「武蔵小金井四谷怪談」デフォルメが作るナチュラルさ

2010年4月20日・24日、二回、青年団リンク口語で古典「武蔵小金井四谷怪談」を観ました。場所はこまばアゴラ劇場。

20日にはちょっとしたアクシデントもあったのですが、それも含めてとても味わいのある作品たちでありました。

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鰰「動け!人間!」=「ハタ」プログラム中抜きで観賞、極上のダンスなど

2010年4月25日、鰰の「ハタ」[出世魚となんとなく呼ばれているもの]バージョンを観ました。場所はアトリエ春風舎。9時45分から17時までの1日はさすがに無理でしたが、いろんなメニューの中で朝の冒頭のメイン企画と夕方の白神ソロダンス、宮崎晋太郎の新川崎コーラスセンターの歌会を拝見することができました。

観た出し物にはそれぞれに趣がありましたが、中でも白神ソロダンスにはひたすら瞠目、震えがくるほどのすばらしさでありました。

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味わい堂々「ぼくらのアイドル」、その時代のわくわく感の裏表

2010年4月16日ソワレにて味わい堂々「ぼくらのアイドル」を観ました。

場所は下北沢オフオフ劇場。とてもヴィヴィッドな感性が随処に埋め込まれていて。劇団名に偽りなく、その味わいを楽しむことができました。

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elePHANTMoon 「ORGAN」やわらかく強い凝縮

2010年4月7日と14日、elePHANTMoon[ORGAN]の2バージョンを観てきました。

私が観た「レシピエント編」は役者の方の急病があったようで、一部キャストが変更されていましたが、その影響も特には感じず。両バージョンとも、淡々と濃密な世界を味わってまいりました。

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世田谷シルク「春の海」切れをもった豊かな表現

2010年4月8日ソワレにて世田谷シルク「春の海」を観ました。場所は下北沢・シアター711。

この作品については公開ワークインプログレスを拝見しています。その時点で、豊かな表現にすごく惹かれて・・・。本番を心待ちにしておりました。

初日満席。やや後方の座席の座りごこちのよいこと・・・。世田谷シルクは折り込みチラシを廃止していて、代わりに開演前の客入れ時に公演の案内が舞台に投影されます。今回はたまたま舞台装置の関係でちょっと見にくいという難はあったのですが、基本的にはとてもよいアイデアだと思う。チラシよりお洒落でインパクトがあります。また、この方法ならではでの表現などが生まれたりする可能性も感じる(ジングル的な公演CMとか)。もっと一般化してもよいやり方だと思います。

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カムヰヤッセン「夕焼けとベル」終わりとそこから踏み出す感覚

2010年4月3日と11日、カムヰヤッセン「夕焼けとベル」を観ました。会場は王子小劇場。

作品の面白さに加えて、初日と楽日を拝見することで芝居の変化も楽しむことができました。、

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箱庭円舞曲「とりあえず寝る女」割り切れない個性の描き方

ちょっとおそくなりましたが、2010年4月4日ソワレにて箱庭円舞曲「とりあえず寝る女」を観ました。2時間20分とやや長めの舞台でしたが、全く飽きることなく引き込まれてしまいました。

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冒頭、ちょっとへたれな前説があって、場内の雰囲気が緩みます。それが、本編最初の暗示的なシーンのテンションを微妙に変えていく。終演後思い出してみると前説のべたさとたよりなさから、キャラクターたちのどこか緩慢な時間とそれそれが持つシリアスな内面の乖離が暗示されているようで・・・。

物語は団地の立ち退きを縦軸に、その家の姉妹や彼女たちを取り巻く人々を横軸に進んでいきます。冒頭からキャラクター間の距離感に、微妙に割り切れない余りのようなニュアンスがあって。それが、舞台に不思議な饒舌さを与えていく。

なんだろ、上手く表現できないのですがそれぞれの関係性が観る側にそのまま入り込んでこない。表面的には収まりきってもすっとしない。その一方で人が擦れ合う度にキャラクターたちの内側にあるブランクの部分や出っ張った部分がぼろぼろと伝わってくる・・・。

なんか普通ではない。でも、その違和感があざとく感じられないのは、個々の内側にあるものが他者との関係の中でしっかりと描かれているから。それぞれの存在が絶妙に他者の内側を照らし出していくのです。

特にその家の姉のペンパル(メル友の手紙版)という親子が娘の受験ということで居候を始めてからがすごい。二人が触媒になったがごとく、いろんなものが浮かんでくる。

役者たちが、その余りの部分をほんとうにがっつりと見せてくれるのです。

姉妹の姉を演じた村上直子は、「すっと寝る」女性の質感をぞくっとするようなリアリティで演じてみせました。意図しない怠惰さ。心の内側にある空洞がぺこんとへこむような感じで眠りに落ちる。その感触がなにげに物語の基調を舞台に作っていく。その内側にあるものが、とてもめんどうくさく露出していく様に瞠目。妹を演じた片桐はづきのどこか醒めた感じと強さに潜んだ母の血を引く側面の表現にも観る側を納得させる色があって・・・。それも、切れのよい演技と裏腹に他のキャラクターにぶつかりながらじわじわと滲んでくる。

ふたりを取り巻く男女も実に個性に富んでいて。玉置玲央はキャラクターの心をやわらかくなめらかな空気で表していきます。繊細さとどんつきに当たるようなためらいが絶妙。不思議なことにこの人が舞台にいるとそれだけで舞台の空気が締まる。なんの抵抗もなく彼の内心が観る側にしみ込んでくる。爺隠才蔵のどこか人を喰ったような演技にはうそっぽさの中にしっかりした実存感があって。その家の雰囲気というか端々から溢れる空気の鋭さをすっと吸い取っていく。和知龍範が演じる思い込みの強い男も舞台の色をしっかりと支えていました。持ち前の端正な雰囲気は繊細さを感じさせるのですが、その部分を崩すことなくキャラクターの思い込みの揺らぎのなさというか他のキャラクターのベクトルに負けない貫き方を観る側に感じさせる。

小野哲史の醸し出す雰囲気には、この人だからという重層構造の広がりがありました。繊細さとずぶとさと頑迷さと知性が撚り糸になったような個性、しかも舞台上にしっかりとした存在感があるのです。彼が表現する内心の脆弱さのようなものは観る側に強い印象として残る。その妻を演じた真下かおるは、ある意味世間の基準線的な部分を演じるのですが、単に常識的ということではなく、そのひとつ奥にあるキャラクターの想いやドロドロしたものをきちんと垣間見せておりました。常ならぬということではなく普通がちゃんと見えている中での内心の表現は、観る側をやわらかく取り込むんでその内側の修羅を見せるという図式で観る側の目を開かせる。

赤澤ムックはもう、怪演の部類(褒め言葉)。がっつりあふれた色というかキャラクターの骨の太さがもろに伝わってくる。しかも彼女が押し通す価値観にはけれんを感じさせない明確さと舞台を動かす切れがあるのです。一見力技のような演技に潜むしなやかな他のキャラクターとの距離の詰め方、もっといえば想いへの踏み込み方や渡し方にぞくっとくる。リーディング公演などでしっかりとお芝居もできる方とは知っていましたが、それにしてもこの演技の鮮やかさには驚嘆しました。その娘を演じた井上みなみは赤澤の芝居を際立たせるだけでなく、キャラクターの母親を受け入れる部分をとてもナチュラルに表現して好演。物語のベースをきっちり固めてみせました。

小林タクシーのお芝居には根がしっかりとありました。「猥褻」な雰囲気にしても、団地の会長という立場にしても観た瞬間に納得させる空気がある。でも、舞台が進むうちに、その色がキャラクターの表面からダイレクト感じられるものではなく、キャラクターの内側に作られた細緻な表現自身からにじみ出たものであることに気づく。雰囲気が薄っぺらくないのです。髭が象徴的なのですが、その髭が滑稽ではなく似合うと感じさせるだけのものが彼の演技から伝わってきていて・・・それがしっかりと舞台の深さにつながっていく。

須貝英は絶妙のバランス感でキャラクターを演じ切りました。彼の芝居のうまさは他の舞台でも承知済なのですが、それを押し出さず、前半からちょっと下がり目の位置で実直に彼の存在を舞台に植え付けていく。ある意味舞台の枠組みを支えるお芝居だったのですが、それを終盤まで感じさせないことにも彼のお芝居の奥深さを実感したことでした

最後のシーンもすごくきれい。立ち退きですっかりかたづいた舞台に、その場所の質感と時間が観る側にすっと広がって、舞台で描かれた時間が観る側にも戻ってくる・・・。

キャラクターたちのいろんな想い、さらには姉妹たちの時間がその場所に残像のように残る。それが、さらに、観る側が観てきたその家での出来事や、キャラクターたちが背負っていたものとすっと重なって息をのむ。

古川演劇の表現のしたたかさにしっかりとやられてしまいました。

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4月4日のラクゴリラ 感想などをちょこちょこっと・・。

4月4日にお江戸日本橋亭にて「お江戸に出没 ラクゴリラ」を拝見。

東京では半年に一度の会なのですが、毎回充実の上方落語を拝見できるので、とても楽しみにしていて・・・。

今回もがっつりと聴かせていただきました。

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ちょっと遅くなりましたが「スイングバイ」曼荼羅の中心に置かれるような・・・

ちょっと遅くなりましたが、2010年3月17日と25日2回にわたってままごと「スイングバイ」を観ました。会場はこまばアゴラ劇場。

個人的にちょいと年度末の忙しさにかまけて感想を書くのが遅れてしまったのですが、一週間以上たった今も新鮮な印象が残る良作でありました。

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タイムカード状のチケット。エレベーターで2Fに案内されると、タイムレコーダーがちゃんと置いてある。

対面になった客席、中央の舞台にはバスケットのコート上のラインが引いてあって。

やがて、役者たちが現れます。そして「社内報」が挟まったバインダーを客席に配り始める。会社の活動という雰囲気がすでに出演者たちからプンプンと立ち込めていて・・・。そして時が来て、朝の光景から物語が始まります。

出社の風景に目を奪われる・・・。まるで血液の流れのように交差する人々。一気にその世界に会場全体が封じ込まれる。そして入社式がそのまま作り手が構築する世界のオリエンテーションになっていて。気がつけば会社の世界観で出来事を観ているのです・・・。社歌や組体操がイメージの醸成に拍車をかけていく。

1日が一つの階としてつみあがった建物。一つずつのフロアーにはそれぞれのコンテンツがあって・・・。建物の巨大さがそのまま歴史や未来の広がりに繋がっていく。会社の創業からの歴史や昔のエピソードが舞台全体のボリュームへとふくらみ。しかも、単純な概念だけでの大きさではなく、それぞれのフロアーに息づくちいさなエピソードがみずみずしく思える。

エレベーターたちが表すもの。その上り下り・・。タイムカードの意味。

新入社員のエピソードだけではなく、最終日を迎えた社員や家族、さらには掃除のおばさんが話すエピソードもとてもキャッチー。積み重なるもの、繰り返されるもの、廻るもの、新しく生まれるもの・・・。

仕事、家族、さらには生と死。記録。一見ばらばらとやってくるエピソードが、拡散せずにひとつのイメージに集約されていく。セリフにもある、そのビルが人間で個々がその細胞となり、時間が血液となってめぐっていくような感覚。その中にいることの高揚に観る側がぐいぐいと引き込まれていく・・・。

舞台の終わり、マクロとミクロが混在した世界に凌駕されていました。それは、たとえば曼荼羅を観るような感覚。しかも曼荼羅のような「概念」ではなく、一つずつの血の通った感覚が連なっていて。そのダイナミズムと繊細さのしなやかな混在にひたすら満たされて・・・。

作・演出・出演:柴幸男

出演:飯田一期 いしお 板倉チヒロ(クロムモリブデン)折原アキラ(青年団)菊地明香(ナイロン100℃)島田桃依(青年団)菅原直樹(青年団)鈴木燦 高山玲子 能島瑞穂(青年団)野津あおい 森谷ふみ(ニッポンの河川)

役者たちのしなやかなテンションにも瞠目。それぞれののシーンの秀逸を単にアイデアに終わらせず実舞台の熱や密度、さらには熱に変えていく力が個々の役者からびりびりと伝わってくる。彼らの醸し出す空気が刹那ごとの愛しさに昇華していく。周囲にいてもテンションをしっかりと守り続け物語にかかわっていく姿が世界とその中に置かれた観客を深く浸潤していく。

ちなみに2日目と終盤では質感が多少違っていて、舞台の進化を感じました。2日目は細胞を形作るものが強く感じられましたが、終盤にはその間を流れる血液が運んでくるものに、より目を奪われた感じ。それは、観る側の要素もあるのでしょうけれど、きっと舞台の歯車がさらにスムーズに時を運んでいた部分もあって。

二日とも、終演後は「わが星」の広がりとはまた異なった満たされ方がゆっくりと自分になじんてくるのを感じながら、渋谷から駅までの道を歩いたことでした。

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