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elePHANTMoon 「ORGAN」やわらかく強い凝縮

2010年4月7日と14日、elePHANTMoon[ORGAN]の2バージョンを観てきました。

私が観た「レシピエント編」は役者の方の急病があったようで、一部キャストが変更されていましたが、その影響も特には感じず。両バージョンとも、淡々と濃密な世界を味わってまいりました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。)

両バージョンはまったく異なる物語。ちょっと未来の臓器移植という部分が共有されていますが、それぞれに独立した世界でのお話でした。どちらも筋立てはそれほど複雑なものではありません。でも深く刺さるものがしたたかに内包されている・・・。

作・演出 マキタカズオミ

*ドナー編

とある連続殺人事件で死刑を待つ男、臓器提供のコーディネーターに自らの心臓を被害者の家族に提供したいと告げる。そこに端を発して、死刑囚、看守、自らの子どもを殺した男から心臓提供を申し出られた家族、その親戚や友人、さらには死刑囚の妹や他の被害者の、死刑執行の二日前からのいくつもの風景が連なっていきます。 

一つずつのシーンは、研ぎ澄まされていてもどこか淡々とした空気に満たされていて。にもかかわらず、シームレスにつながったシーンから次第に登場人物たちの内心が積み上がっていく。

死刑囚の想いや看守の気遣い。被害者の家族の犯人の心臓をもらうことへの嫌悪感と、妻に生きてほしいと願う夫の気持ち。その命をパーツにして受け渡す実務にたけたコーディネーターがむきあう臓器移植では修復できない母親の病の質感。さんざん迷惑をかけられた死刑囚の妹から次第に溢れるような愛憎・・・。さらには死刑囚のつぐないが他の被害者に与えられることを知った別の被害者の想いの揺らぎまで。

看守の妻やレシピエントの友人まで含めて登場人物から伝わってくる想いにはそれぞれに理があって、しかも不思議に均質な質感に閉じ込められていて。キャラクターたちの事情や思いが封じられた箱がシームレスに展開していく舞台上に一つずつ積み上げられていく感じ。オーバーラップするシーン間からやってくる質感。あるいは光の変化。クロスワードパズルの使い方などもうまいと思う。

キャラクターたちの真摯な想いに浸潤される一方で、看守の妻が顕すある種のイノセントな感覚、コーディネーターの母親の姿や、妹に対する死刑囚の受け応え、さらには手術の直前、レシピエントの妻に夫が渡す懸賞の商品などからやってくるスケジュールされた失われる物などが醸し出す、予定された死のリアリティにもぞくっとさせられて。

やがて、時が満ちて、淡々とコンテンツが積み上がる感覚の頂点で死刑が執行されます。でも、一つの命の滅失して物語が収束しようとする刹那に、別の箱が自重で押し潰されるように口をひらく。そして、やがて霧散していくだろうと想っていた舞台に積み上げられた感覚がすべて観る側に崩れ落ちてくる・・・。舞台上でしなやかに表現されていたキャラクター達の想い、シンプルな表層で舞台上にあったものがラストシーンですべて観る側になだれ込み、その質感や重さが観る側を愕然とさせるのです。 

死刑囚が自らの時間を切り捨てるように昇華していく中で看守や観る側が感じる命の軽重と、移植された心臓にまで因果を染み付ける犯罪者の業。ドナーとレシピエント、同じ命の表裏の、つかみ所のない薄っぺらさも深く心に残って。

マキタワールドとでもいうべき行き場のない突き抜け感にしばらく立ちすくんでしまいました。

出演:永山智啓山口オン・根岸絵美(ひょっとこ乱舞)・芝 博文・中泉裕矢・上松頼子(風花水月)・成澤優子・菅谷和美(野鳩)・泉 光典・小西耕一・小嶋美紗央(エレクトリック・モンキー・パレード)

レシピエント編にも言えることですが、舞台美術や照明も実に秀逸。舞台全体を包み込むような格子上の造詣は、照明の変化とともに、時にその場に監獄の冷たさを醸成しながら、真逆の居酒屋や家庭の日常感をも生み出していきます。重ならない二つの曲線には、観る側の内側にひとつずつのシーンを閉じ込める力があって。また、一番奥に見える木々がその世界に観る側を繋ぐような実存感を与えていました。

1H15mとそれほど長い作品ではなかったし、観ているときには何も感じなかったのですが、帰り道、良い意味でがっちり消耗していることに気づいて。

この舞台の観る側を引き込む力の強さに改めて瞠目したことでした

*レシピエント編

ドナー編とほぼ同じ舞台なのにどこか開放感を感じます。ドナー編のときと比べて後ろの壁がはずされているだけでこんなにも雰囲気が変わる・・・。

そこは郊外の広い住宅のリビングルーム。まもなく、年に一度のバーベキューが行われるらしい・・・。

ドナー編同様に冒頭から、淡々としたトーンで登場人物が発するニュアンスが積もっていきます。その中から、彼らがこの場所に集う背景が次第に明らかになっていく。ドナーの生をとどめようとする臓器を提供した側の家族の想いと、ドナー側とのしがらみが、生き続ける時間のなかで逆に足枷となっていくレシピエントの感覚のギャップが次第に姿を現していく。命を与えられることによっての生きることへの制約から解放されようとするレシピエント達の企みに、命の重さをかざしてドナーとのつながりを守ろうとする母娘。それぞれの望むことの相違が広がる中で、命本来の重さへの感覚がバランスを失って、なにかを踏み越えてくのです。

ドナーを死に至らしめた男の存在が、物語が含有する歪みの結末を具現化させて・・・。

役者たちのお芝居が、舞台上の滅失感にしなやかな理を編み込んで、気がつけば、観る側がその感覚にあたりまえに浸されている。一方で、あたかもマニュアルどおりに機械をメンテナンスするように亡くなった兄との関係を維持する母子の姿。予想どおりにやってくる事態に取り立てて崩壊感がなくて、それゆえ観る側は嵌りこんでしまっていたモラルのブランクに愕然となる。並べられたドミノが予想どおりに倒れてみると、そこからまったく異なる図柄が浮かび上がってくるような感じ。

さらに、ことが終った後の過剰にさえ思える母娘のナチュラルさから染み出してくる共通感覚の軽質さに立ちすくむ。その明るい頑なさがそのまま観る側への鎖となって、がっつりと掴まれるのです。あがいてもふわっとその場にあるような逃げ場のなさ感が、終演後も抜けていかないのです。

出演:菊地奈緒・江ばら大介・河西裕介(国分寺大人倶楽部)・坂倉奈津子・山口オン(菊池佳南と代わり14日から)・カトウシンスケ(、、ぼっち)・杉木隆幸・廣野未樹(Unitwoi)

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ドナー編とレシピエント編、全く違う色であり、なおかつ心の同じ部分に深く残るなにか。

命の重さと軽さのバランスが揺らぐような感覚の先に、人間が持つモラルや業の強さと曖昧さがくっきりと浮かび上がり、それは観る側のなにかを蝕み(褒め言葉)、いつまでもそこにあって。

マキタ作劇とそれを支える役者たちの技量にがっつりやられた2作でありました。

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