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時間堂「月並みなはなし」空間に広がる世界、空間を満たす力

2010年3月14日マチネにて時間堂「月並みなはなし」を観ました。場所は座・高円寺2.

役者たちから滲み出す想いの密度にたっぷりと浸潤されました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出:黒澤世莉

冒頭というか、客入れの終盤に役者たちが現れて、ゆっくりとお芝居の準備を始める。出演者紹介を兼ねたようなちょっとしたゲームが観る側にリラックスを与えます。適度な緊張感をもって楽しそうにそのゲームを行う役者たちに観る側もつい内側に引き込まれる・・。

私が見た回では一度だけゲームが最後まで成立して、役者の嬉しそうな表情にこちらまでがわくわくしたり・・・。知らず知らずのうちに、舞台にも客席にもほどけた感覚と心地よいテンションが生まれて・・・。

そして静かに明かりが落ちて、物語が始まります。

月移住に応募した候補者グループの残念会会場、そこに時間を間違った女性が混ざりこみ、さらにはその場自体が、グループからひとりの補欠合格者を選ぶための話し合いの世界へと変わっていく。

一時は消えた月移住の可能性が示されると、劇場の高くて広い空間がすっと役者たちの想いに満たされていきます。他の劇団でも何度か観たことがある戯曲だし、ワークインプログレスも拝見したお芝居なのに、キャラクターたちの仕草や言葉が、びっくりするほど新鮮に思える。物語が、頭に一度置かれるのではなく皮膚からそのままやってくる感じ。ワークインプログレスの時には弊害にすら感じられた舞台の広さを本番ではしっかりと味方につけて、それぞれの想いが詰め込まれることなく個々に羽根を広げ、重なっていく。決して狭くはないであろう劇場の舞台が満ちる。均質ではなく、時に強くあるいは繊細に揺らぎながら、空気の粒子がさらに微細化し様々な色を帯び、研ぎ澄まされて観る側に入り込んできます。

菅原貴夫からすっとこぼれだす政治家二世の憂鬱やいらだち、高島玲からふっと立ち上がる鮮やかな感情や想い、それらが舞台と客席の狭間で打ち消されることなく、観る側を巻き込んでいく。候補者からはずされた彼らの思考の一瞬の空白や、ゆっくりと認識されていく事実との対峙や葛藤が概念ではなく質感として伝わってくるのです。金子久美から訪れるキャラクターの不器用さも、それ自体が演じる側で作られた印象ではなく、幾つもの想いがつくる色としてやってくる。伝えようとする感情の重なりが不規則に共振して観る側の質感に変わっていく感じ。パンを焼くことへのこだわりにも、自然な共感が生まれる。

フリーターの夫役、園田裕樹は感情に流されないコアをしっかり抱いて、場を作り上げていきます。彼が持つある種の頑固さが、個々のシーンでのやわらかな言葉遣いや実直な態度から次第に浮かび上がってくる。妻の百花亜希の想いも、1人の補欠を選ぶ事態での自らの選択を決めておきながら、そこに安住するのではなく個々の場面で揺らぐ。よしんば物語の推移に気を取られている観客にも場面ごとの彼女の色が無意識に残っていて、夫が選ばれてしまうかもしれない決選投票の前に理性のグラスに感情がおさまりきらずこぼれた時、彼女の溢れ出した思いに一気に浸潤されてしまう。たとえば「愛情」いう言葉もその場面を表現するにはシンプルすぎて役立たないほどに、想いがひと色に染まることなく、二人の間に通う想いが観る側に熱と重さを持って広がっていくのです。

グループの代表として選ばれる鈴木浩司は、言葉にこめる自らへの自信とプライドを、内なる想いの高揚や不安とともに築き上げていきます。月に行くことへの想いが内心にまで貫かれていることが、彼から醸し出される空気からまっすぐに伝わってくる。その空気は、物語が最後に急転直下したとき、すぐには心の内にまで呑み込むことすらできない想いや、ゆっくりと心を占めていくような痛みの広がりに変わって観る側を捕まえていく。鈴木の恋人役の原田優理子は繊細に想いを紡いで物語に深い色合いを与えていきます。妊娠への悦びと、相手の夢を思う気持ちがそれぞれに膨らんで、事態を見つめていることできなくなる感じが、ナチュラルな実感として観る側にやってくる。そして最後に彼女が不安から解放されていくことと鈴木の痛みの重なりが、現実を受け入れることで次に開けていく時間をすっと垣間見せてくれる・・・。

物語の枠を作る役回りの木内コギトは、冷徹に仕事で心を満たしてその空間に立ちます。それも、紋切り型ではなく、キャラクターが持つ人間臭さでそのままに物語の外側を固めてみせました。物語のトリガーを引く時のビジネスライクさと舞台全体に広がった世界をすっと袋に納めるプロ意識に裏打ちされたような強さが、様々な想いに満たされた物語をしなやかに引き締めてくれる。大川翔子は狂言回しとして、湧きあがる好奇心で物語を動かしていきます。場の雰囲気に流されないだけの第三者としての興味や共感が彼女の内側にしっかりと作られているから、彼女が醸し出す物語の陰影や刻む時間に澱みがない。舞台を占める空気に対する傍観者としての視座と物語の内側に立ち続ける強さが、物語の密度に負けず、むしろ物語を研ぎあげて、それぞれの想いから不必要なウェットさを取り去ってくれる。

ポストパフォーマンストークで、ゲストの吉田小夏さんもおっしゃっていたとおり、ほんとうによいカーテンコールがやってきました。観終わってたっぷりの充足感がありながら、それが重さにならず心に残る・・・。個々の想いの深さが塊として残らずに、心の内側にすっとしみ込んだような感触。でも揮発していくわけではなく、満たされ感としてそこにある。

帰りの電車でドア越しの景色を見ながら、さらにいろんなものが心を去来して、観てきたものの秀逸さを実感したことでした。

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