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一生を紡ぐ:矢内原美邦「ああなったらこうならない」、冨士山アネット「家族の肖像」

3月に入って、秀逸なダンス公演を2つ観てきました。ひとつは矢内原美邦の「ああなったらこうならない」、もうひとつは冨士山アネットの「家族の肖像」。

どちらにも、身体表現だからこそ伝えることのできる世界観があって、その世界に深く引き込まれてしまいました。

(ここからネタばれがあります。ご留意ください)

*矢内原美邦「ああなったからこうならない」

場所は赤レンガホール倉庫1号館、歳がばれますが、このあたりって確か昔は本当に倉庫で、就職して研修のときに、寒い倉庫の中で泣きながら終日検品作業をした思い出があって・・・。その場所がこんなにお洒落な施設に生まれ変わっているとは思ってもみませんでした。

矢内原美邦さんの作品としては、去年だったかの「スモールアイランド」のダンスパフォーマンスがとても強い印象として残っていて・・・。今回の公演もとても楽しみにしておりました。

振付・演出:矢内原美邦

出演:カスヤマリコ 陽茂弥 橋本規靖 小山衣美 絹川明奈 永井美里

ダンサーたちの登場の仕方にいきなりぞくっときました。光から現れる彼らはティーンエイジャーの風貌、3台のモニターとともにダンスで舞台を満たしていきます。ヴィヴィドな感覚が湧き上がる。単に激しさだけではなく、舞台の下手隅からの鋭い視線などからも、その時代の心情やどこか覚めた感覚がよみがえってくる。まばゆくさえ思えるはしゃぐような感じや熱、熱中・・・。どこか気まぐれに刹那が消費され流れていく感じ。そして、次第に現れてくる、画像とコラボした階段を落ちていくイメージ。ふっと投げ出だされたようなる感じに、観る側の心を透明にするようなリアリティがあって・・・。

そのベースがあるから、後半の黒で覆われた世界からやってくるイメージがとても豊潤に思える・・・。エアーで膨らんむ布やその中を踏みしめ歩くシーンに、よしんば黒の世界であっても、単なるメランコリーではない、むしろ記憶を楽しむような感情が伝わってくるのです。積み重ねられた感情や歩いてきた道程や経験、俯瞰する時間。

「熊に出会ったときの智恵」のようなコンセプトがとてもしなやかに伝わってくる・・・。そこから派生して、いろんな形のおなかいっぱいの熊が並べられ隠されていくなかで、人生そのものに対するちょっとしたウィットと諦観がゆっくりと溢れ観る側を満たしていく。前半に表現される時代があるからこそ、後半のやわらかなふくらみが、とても豊かで美しく思えることに思い当たる。昨今の世界からその熊の白いことにちょっと滅びのイメージまで浮かべてしまったのは観る側の勇み足かもしれませんが、ゆったりと波を打ってゆっくりと揺らぐ舞台の姿に、ほんの少しの切なさと、様々にすごしたおかげで少しは広がった自分のサイズにすっと収まった幸せの形が浮かんで・・・。

作り手の豊かなイマジネーションに編みこまれた人生観に、ゆっくりとうなずいてしまったことでした。

*冨士山アネット「家族の肖像」

場所はこまばアゴラ劇場。

振付・出演 長谷川寧

出演 大園康司 伊藤麻希 玉井勝教 長井江里奈

その家に夫婦がやってきて、次々に3人の子供が生まれていく。

一人のこともが手離れすると次の子が生まれ・・・。やがて、両親の戸惑いを感じるような間があって3人目の子供が現れます。作るというより授かるといったニュアンスの表し方、また子供がハイハイから立ち上がるまでの手の掛かり方の表現などがとても創意にあふれていて・・・。

さらに、子供たちが成長していく中の出来事、反抗期や愛情の表現などにも小さな表現の積み重ねがあって・・・。で、なによりも感心したのは、その家庭の匂いのようなものが舞台から伝わってくること・・・。

自分の家の匂いはわからないけれど他人の家って玄関に立っただけでそれぞれに個性があるじゃないですか・・・。その個性が舞台上の家庭からしっかりと醸し出されてくる。父親と子供たちの関係や、母親の誕生日のちょっとしたサプライズに至るまで、そこにXX家の香りが存在しているのです。

単にステレオタイプな家族を描くというだけでなく、そこに中味を詰めて色を醸し出す演出や振り付けの力、そして、ほとんど身体の表現でこまかい印象を刻んでいくダンサーたちの表現力に瞠目。

身体表現からわき上がってくるニュアンスの解像度の高さが、舞台上の空気のの透過性を上げていく。表層的な人物の表現から一歩踏み込んだ、心の動きまで観る側にむしろ触感のような感じで伝わってくる。

ふっと家族のきずなが浮かぶラストちかくのシーンにほろりとして・・・。家族の日々に縫いこまれたきずなのようなものにふっと心が熱くなって。

表現される時間の尺やその重さが自然な感触として伝わってきて、その確かな質量や質感にどっぷりと浸りこんでしまいました。

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チェフフィッチュやfaifaiにしてもそうなのですが、身体表現にすぐれた舞台というのは、その想像力が人を動かすだけではなく、空気を演じさせる力があって。それは観る側の理性をすっとすり抜けて体の内側に残るのです。

こういう舞台にめぐりあうたびに、とても幸せな気分で家路をたどるのでありました。

 

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