パラドックス定数「ブロウクン・コンソート」のひりひりした時間
ちょっと遅くなりましたが、2010年3月21日、マチネにてハラドックス定数「ブロウクン・コンソート」を観ました。会場は渋谷「Edge」。
日差しはしっかりと春なのですが、まだちょっと肌寒い午後に、休日の渋谷の新南口からぷらぷらと陽だまりの中を歩きます。
3連休の中日のほげっとした感じ、でも会場に入ると、すでになにかきゅっと引き締まる雰囲気がありました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
建物の透明なカーテンの内側に入ってびっくり。そこにあったのは組み上げられた客席・・・。建物の中で芝居が行われるわけではなさそう。座席に着くと、そこにはちょっと殺風景な工場の雰囲気。折りたたみ椅子の座り心地が、なにかとてもしっくりときます。
時折響く道を隔てた山手線からの走行音。あるいは車のエンジン音。
前説の後、メトロノームが動き始めシャッターが閉じられて。役者が登場するまでのひと時に、観る側の感覚がすっと研がれる。
そこは拳銃の秘密工場。マニアックに銃を削る弟、それを手伝う障害をもった兄。弟分のやくざがコントロールしているやくざのもとに13年の刑期を終えた兄貴分が戻ってきます。学生の殺し屋ややくざと利害をからめた警察がそこにからんで・・・。
職人、やくざ、警察、殺し屋。それぞれの想いや利害が、染みだすようにやってきます。過去の出来事や兄貴分のやくざが刑務所に入っていた間の時間の流れ。物語の枠に取り込まれ登場人物たちの感情にじわじわと浸潤されていきます。
午後の光の中に街の音がそのまま伝わってくる。電車や車の走行音が無遠慮に響く。シャッターの開け閉め音と、外の自動販売機の缶の落下音。工場の排水管の水音、紙を燃やすかすかな匂いまでが、空気をやわらかく締めあげていきます。で、様々な確執がゆっくりと溢れだしてくる。兄や弟のプライド、やくざの力関係、警察内での上下。それぞれの関係に殺し屋がからんで、気がつけば観る側までが、登場人物たちのごとく、銃の質感ががっつり漂うその世界に浸りこんで逃げられてなくなっている。個性が混ざりこむことなく、荒く幾重にも絡まる。シチュエーションとかイメージの内側に取り込まれ、舞台上の出来事という外側の概念が滅失していく中、個々の熱や苛立ちが塊にならずに観る側にまとわりついてくるのです。
その結末は、しかるべく降りてきた感じ。乾いた銃声がその空気になじんで、必然に変わる。カタストロフに近い結末にもかかわらず、時間がそのままあって満ちた感覚が引かずに残る。
終演。カーテンコール。気がつけば、開演のときとは色や強さが異なる、傾き始めた日の光がその場にあって。ずっと観ていたはずの外側の時間の経過に驚かされたり。その場の寒さにはっとなったり・・。
作・演出:野木萌葱
出演:植村宏司 十枝大介 西原誠吾 井内勇希 今里真 諌山幸治 小野ゆたか
客席が帰り支度の音に包まれても、その場の空気は一気に消失せず、少しずつほどけていくきます。
帰り際、もう一度会場を振り返り、照明などが見当たらないことに気がつく。その灯りの中で感じた陰影に、お芝居の秀逸を再び思う。
しばらく立ちすくんだ後、さらに膨らむ充足感とともに渋谷駅へと向かったことでした。
| 固定リンク
« 粗さがあっても広がりが・・「卒業?」(111)、「Fight Alone 2nd story」(Emukichi-beat)=ちょっと改訂 | トップページ | ガレキの太鼓「止まらずの国」、圧倒的な描写力から降りてくるもの »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント