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1月に書き残した作品 「バベルノトウ」

1月に観て強い印象を持ちながら、書き残した作品をいくつかきちんと残したく、その先頭バッターとして国道58号戦線「バベルノトウ」について・・・。場所は新宿サンモールスタジオでした。

(ここからネタバれがあります。十分にご留意ください)

冒頭にレポートを読むようにバベルノトウという植物の定義が提示され物語が始まります。観客に物語と向き合わせるというか、心をしっかりと物語に向かわせる感じ。

シーンは学校と研究所をなんども行き来します。

最初はそれぞれのシーンから醸し出される不可思議な設定や会話の面白さを楽しみながらほげっと観ているだけなのですが、それぞれの世界にバベルノトウが浸透していくなかで、裏表のようなシーンがまるで2匹の蛇が互いを尾から呑み込むように他側を幻想としてり込んでいくように感じられてきて・・・・。その感覚にぐいぐいと惹きこまれる。

やがてその虚実が混沌としていくなかで、ふたつの世界が熟れおちるように崩れ始めます。二つの世界を繋ぐ時間軸が観る側に顕わになっていくその表現も秀逸。

何かから醒めるときのあやふやな感覚が次第に実像を結んでいくような感じ・・・。伏線が鮮やかに効いて、二つの流れが一つの時間軸に統合していくその一瞬に、物語が懐が抱えていたものがすっと腑に落ちるというか・・・。こういう物語の見せられ方、癖になる。

しかも、ひとつに結ばれた物語の俯瞰だけでは終わらず、さらに、浮かんでくる幻覚のコントロールでは隠し切れないような、人間の根底にあるものの気配に空恐ろしさを感じてぞくっとしてしまいました。

まあ、舞台上の個々のシーンに込められた密度はが前回公演より若干粗い感じもあったのですが、今回の内容には、そういう質感の方が表現できるものが多い感じもして。また二つの世界をひとつに寄り合わせる物語の骨組みや流れのしたたかさに、作り手側の創作的粘り腰の強さを思ったり、表現のセンスを感じたり。

作・演出の友寄総市浪が持つセンスというか、物語自体の作りこみに加えて、舞台の空気を作品に合わせてしたたかに調整する力量に舌を巻く。

初日ということで、会話のリズムが崩れた部分もあったのですが、作り上げる色の確かさがきちんと維持できていて。公演期間の後半には、さらに安定感が舞台に醸成されいまより強いグルーブ感が生まれる感じもしました。

役者のこと、金丸慎太郎の舞台を染める力がまず圧倒的。舞台全体を背負いきるようなちからに満ち溢れていました。豪胆さと繊細さがひとつのセリフにダブルスタンダードのごとく織り込まれていく。

加賀美秀明にも物語のボディを支える力を感じました。ラムキ、伊神忠聡、中村博之、橋本貴和弥といったところがそれぞれにキャラクターを舞台上に立てて存在感を主張するので、観ている側がぶれずに根底から翻弄されていきます。それぞれが賑やかしではなく、個性としてきちんと立っている。一つずつのお芝居が醸し出す色やその重なりの混沌が観る側にごつごつ感を与える。お芝居の勢いが観る側を上滑りしていかないのです。

岡安慶子のお芝居から醸し出される不思議な奥行きも舞台に絶妙な色を与えて。この人のお芝居は見るたびに刃わたりが長くなっているような気がします。松葉祥子のお芝居には隠れた堅実さを感じ、守山真利恵のお芝居には少しだけざらっとしたした質感と湛えるような透明感があって。

それらの個性が福原冠の流暢なお芝居をしっかりと物語に溶け込ませていきます。スムーズさがすべることなく、観る側に摩擦熱をしっかり作りだす感じ。ハマカワフミエは前回公演から数日後に登板という驚異のスケジュールとのことでしたが、舞台の首根っこをがっつり捕まえてみる側に押し込んで見せました。こういう役者がいる舞台は強い。

終わって、そこはかとない危うさがじわじわとどこからから漏れ出して、ゆっくりと観る側を縛っていく感じに息を呑む。

前回公演に強い魅力を感じたこの劇団、ますます見続けたくなりました。

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