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世田谷シルク「美しい ヒポリタ」古典に縛られず古典に染める

2010年1月14日ソワレにて、世田谷シルク「美しい ヒポリタ」を観ました。会場は下北沢楽園・・・。

硬軟とりまぜた表現の力にがっつりと魅せられました。

(ここからはネタばれがあります。十分にご留意ください)

原作:W.シェイクスピア

脚本・演出:堀川炎

ここの公演には折り込みチラシがなく、そのかわりに置きチラシがおかれ、さらには開演まで他劇団の公演情報などがスクリーンに投影されます。ちょっと映画がはじまるまでの予告編を思わせるやり方なのですが、これが意外に小粋なのです。劇場にいる感じがだんだんにしみ込んでくるような感じ。

ついつい見てしまう・・・。

で、時間がくると、入り口側にも舞台の用意が整い、舞台が始まります。

下敷きになっているのはW.シェークスピアの「真夏の夜の夢」。そこに小さなネット関連の会社のエピソードが重ね合わされていきます。

古典をベースにしたりシチュエーションの置き換えたりすることはそれほど珍しいことではないのでしょうけれど、単純に物語をなぞるのではなく、そこに現代(いま)を編みこみウィットに満たされたニュアンスの作り込んでいく、そのやり方がまさに絶品なのです。

椅子で作り上げていくだけの舞台からシェークスピアと仮想世界が混在する場が生まれ、電波の入り方に揺らぐように二つの時間が折り重なっていきます。

そして、社員たちがはまるネットゲームに「世界の文学」が実装されたり、ニックネームや機能が修正されていくことで、舞台上の今と古典の言葉たちが魔法のように一つの世界に共存していく。

ありふれた夫婦の浮気心や、恋人たちの恋心、ネットを遊ぶSEや社長のいたずら心・・・。、それらが、シェークスピアの言葉との綾織りでぞくっとするほどわかりやすく浮かび上がっていくのです。

ネットの世界を膨らませていくことと、「真夏の夜の夢」の森の世界へいざなうことのリンクのしたたかさ。古典に縛られるのではなく、古典の味わいを素敵に膨らませていくだけの遊び心に見ている側がわくわくと取り込まれていく。。

しかも、それらを支える表現力がすごいのです。狭い舞台を逆に味方につけたとすら思えるウォーキングやダンスの密度が時間をコントロールしていきます。

前回公演でも絶大な効果を発揮した、さまざまなバリエーションでの動きに、観ている側が心地よく翻弄される。リズムを持った言葉たちと、シェークスピア風の言葉が役者たちの演技力で自由に折り重ねられていく。

そこに、様々な枠をしたたかに組み替えていく作り手のセンスが加わって、「真夏の夜の夢」が今風の手足を与えられて動き出す・・・。厚みと切れと密度をもった薄っぺらさの混在で、作り手の、鎖を何本かほどいたような豊かでしなやかな発想がぶれのない質感で緻密に具現化されていくのです。

役者のこと、SE・パックを演じた堀越涼の狂言回しがまず見事。下請け業者としての腰の低さとパックを演じるときの張りのあるセリフ回しが、彼のお芝居のクオリティだとだと違和感なく混在できるのです。また、世田谷シルクの色に添ったお芝居ができるセンスも感じて。この舞台の屋台骨をしっかりと支えて見せました。

大竹沙絵子、串山麻衣、下山マリナにはそれぞれの色で会社の雰囲気を細かく作り出す洗練がありました。会社の内側にいることの慣れというか空気のなじみ方が舞台の色合いをうまく醸し出していくのです。インスピレーションだけの占いコンテンツとか社内恋愛とか、彼女たちからやってくる、仕事が回っているなかでのちょっとルーズな社内の雰囲気が、同じ空間に「真夏の夜の夢」を入り込む間口をしたたかに開けていく。

「真夏の夜の夢」でのライサンダーを演じた緑川陽介のどこか仕事の足りない雰囲気と、ディミートリアズを演じた塚越健一のどこか超然とした感じは会社側の物語になめらかさとふくらみを与えつつ、「真夏の夜の夢」の世界を実直に作り上げてていました。オーベロンに重なる社長役を演じた岩田裕耳は、どこかいい加減な感じを残しながらも、ゆとりを感じさせる芝居で物語を回していきます。

ハーミヤ役の石井舞にはキャリアを持つ女性の凛とした美しさがあり、ヘレナを演じた前園あかりからは恋に恋焦がれる女性からのナチュラルな実存感が感じられて・・。しかも、その雰囲気が会社にいる社員の姿とちゃんとリンクして二つの物語を縫いつけていく。

ヒポリタ役を演じた緑茶麻悠の芝居には華がありました。生粋の関西弁(京都っぽい)なのですが、それが彼女を注目させる武器にもなっていて、さらに王子の許婚の気品のようなものが出せる。いろんな引き出しを感じさせる女優さんで目を惹かれました。

タイテーニアに重なる社長の妻を演じた堀川炎は、今回もしたたかなお芝居。社長の妻のちょっとだけ世間知らずな感じが、ネットの世界にはまっていく説得力をしっかりと作り上げていく。それぞれのキャラクターから少しだけ引いた感じの立ち位置で物語の外堀をきちんと固めておりました。

この作品、人によって好みがわかれるのかもしれませんが、少なくとも私にとってはがっつりツボでした。

作り手の発想とウマが合うというか・・・。こういう感じでの惹きこまれ方ってここ1~2年、記憶にないほどの極上のもの。

観ていて、不思議な高揚がやってきて、すっかり虜になっていました。

まったく内容も質感もちがうジャンルの作品なのに、凄く上質なミュージカルを観ているのと同じような満たされかたをしていたり、なにか観る側の感性を解き放ってくれるような力を感じたり・・・・。

前回の作品も秀逸でしたが、今回はそれにもまして、堀川炎の才にがっつりやられてしまいました。

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