ロロ「Love」、べたなふりをした斬新な表現
2010年1月3日ソワレにてロロ第二回本公演、「LOVE」を観ました。会場は王子小劇場。ロロについては、前回新宿眼科画廊での公演を観ており、今回の公演も楽しみにしておりました。
(ここからネタバレがあります。十分ご留意ください。)
【脚本・演出】 三浦直之
会場に入るとは長辺側に舞台が切ってあります。広いスペースと中央にどんとそそり立つ壁。
物語はとてもシンプル。なんというか「愛」のショーケースを観るような感じ。
プロローグがあって、本編に・・・。ロロ的な舞台の仕切りに最初はちょっととまどう。しかしすぐにその表現の実直さに気がつきます。
いくつもの「愛」の形状が提示されていきます。それは献身の姿であったり、プラトニックな輝きであったり、三角関係であったり・・・。一方で物語を浮かび上がらせる手段や枠組みが素敵に露骨でいい加減なのです。愛の経過を模造紙をつないだ年表で済ましてしまう・・・。想いを伝え続けることがシャウトするような歌であったりひたすら渡され続けるラブレターであったり、愛の証が舞台の背景的な構築物に埋め込まれた電球の明かりであったり・・・。
でも、それが茶番に終わらないのは、表現が愛の形の具現としてぞくっとくるほど的を得ているから・・・。
その身にコードがついてどんどん光りだすという感覚。200年生きて、相手が結婚し子供を産んでもなおかつ手紙を書き続ける想い。本当に愛することができる人とそうでない人がいること。愛する人への献身の気持ち。舞台にあらわされる「愛」のアスペクトには、その具象化を支えるに足りる正確な観察力と震えがくるほどの表現センスが漲っているのです。
そのデフォルメは、自由で、ウィットにあふれ深遠で・・・。まるでMOMAで秀逸な表現に出会ったような感じすらする。遊牧民が国境という概念など関係なく生きているように、演劇と美術の端境を感じさせないような舞台上の表し方に取り込まれてしまう・・・。
一度死んでご都合主義のように蘇ったり、想いがその身を滅ぼすほどの光にまで昇華したり、あるいは三角関係の敵役が「私の出番はこれで終わりです。ありがとうございました」と、劇の枠を踏み越えて礼をするニュアンスも、彼らが構築する世界の内側だと、茶番ではなく凜としたリアリティを持って感じられるのです。
役者は以下の通り、
亀島一徳 篠崎大悟 北川麗 熊谷利大 望月綾乃 森本ハナ 山田亜沙 玉利樹貴 崎浜純 鳥養友美 坂本もも キラキラヒカル
役者たちのここ一番でグっと踏んばるような力を感じるお芝居も印象にのこりました。舞台に荒さがないとは言わないのですが、そんなことより次のシーンに何を見せてくれるのだろうとわくわくさせてくれるような魅力がはるかに勝っていた。
観ているときにはまったく感じなかったボリューム感が、観終わってからやってきました。終演時には表現された「愛」の質量が観る側にきちんと載せられている。
しかも、この表現力、どんどん進化していく予感があって・・・。
次回公演もすごく楽しみになりました。
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コメント
きのうは大悟した。
それで模造しなかったよ。
投稿: BlogPetのr-rabi(ららびー) | 2010/01/10 14:24