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ろばの葉文庫「僕らの声のとどかない場所」のライブ感

ちょっと遅くなりましたが、2010年1月13日ソワレにてろばの葉文庫「僕らの声のとどかない場所」を観ました。場所はArt Complex Center of Tokyo。

LeDecoを横にしたような施設だという説明を受けましたが、確かに入口から会場にたどりつくまでに展示室を幾つも通ります。

作品は、空想組曲の上演でいちど観ています。その時の牛水里美さんや中田顕史郎さんのお芝居につよい印象があって、今回どんな感じで再演がされるのかも楽しみでした。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作:ほさかよう

演出:詩森ろば

空想組曲の公演を観たときには明らかに物語を外側から眺める感じがしました。物語を舞台の上でしっかりと膨らませてそれを客席に届ける感じ。舞台自体がキャンバスの上に置かれていて、そこには、観客が外側から向かい合うからこそ伝わってくるような洗練や個々のキャラクターの想いの昇華がありました。

一方今回は、観客を空間の内側に置く感じで物語が描かれていきます。キャラクターたちと同じ空気感に満たされるなかで物語が展開していく。

会場にいたる廊下の微かな匂い、いくつもの部屋に飾られたアートたち、その建物自体が秀逸な舞台装置の役割をはたして。

どこかシンプルで手作り感のある舞台や照明・・・。キャラクターたちの想いが瞬時に観る側を浸潤するのではなく、役者達の肌合いの中から滲み出してくるもので次第に観る側が染めあげられていく感じ。登場人物たち自身の想いはもちろん、よしんば演じられるものが人物ではなく記憶や想いが具象化されたものであっても、観る側が立ち向かってその意味を理解するのではなく、その存在がしだいに寄り添いながら時間をかけて深く観る側の腑に落ちてくれるように感じて。

良い意味でとても生々しい感覚が伝わってきます。高揚や孤独や焦燥・・・、舞台から伝わってくるそれらの切っ先は、空想組曲版の方が研ぎ澄まされているのですが後に残る感覚は今回の方が深い・・・。

でも、その違いは優劣としてではなく、全く異なる質感として、観る側の物語に対する思いを広げてくれるのです。

今回、主人公の二人にはそれぞれに、言葉だけではなくその場の雰囲気を支配するようなある種のオーラで芝居を形作る力がありました。名村を演じた北川義彦には、見えるべきものをきちんと観客に見せるだけの芯が演技にあって。物語の様々なアスペクトにおいて、揺れてもぶれない貫きのようなものが熱をもった太い線として描かれていく。それはハマカワフミエから沸き立つ繊細で一途な想いに形を与えていきます。北川が構築した柱を支点にして、彼女の内心が観る側に形作られていく。二人のどこかかみ合わないような会話がやがて観る側をがっつりととりこんでいくのは、それぞれの醸し出す異なる空気に重なりがしなやかに作られていくから。

児島役の佐藤幾優や桜坂を演じた三原一太からやってくる感情の機微も秀逸、会話のやり取りがロジックとしてだけではなく温度として観る側に入ってくる感じ。実直に重ねてられていくシーンが、互いの本音がぶつかる部分に解像度の高さを与えてくれる。その解像度が名村が抱える才能をもくっきりと描いていくのです。

しずかを演じた佐々木なふみにはキャラクターの幾つもの側面をすっとひとつの色に編みこむような力があって。そのドライな部分も、絵を見る一瞬のテンションが呼吸のように揺れることで、彼女自身が内包する深さとして伝わってくる。見せない感情にも想いが丁寧に封じ込まれている感じ。だから言葉の棘も妄想の中にとりこまれた彼女の存在も、薄っぺらにならないのです。こういう役者がいると舞台が本当にふくよかになる。

みどりを演じた清水穂奈美の演技には明るいテンションに立体感があるというか、感情の揺れがその場の空気を温めてくれるように感じられました。彼女の色には作られるのではなく持ち合わせているようにすら思えるナチュラルな感触があって。冒頭にあったちょっとしたアクシデントを見事に場の雰囲気に隠してしまうことができたのも、セリフの機転というより彼女自身の醸し出す空気の秀逸さの証明のように思えるのです。

関根信一の剛腕ぶりも目を引きました。この人からからやってくる空気は、当初舞台上にちょっと異質な色を振りまくのですが、ゆっくりとあらわれてくるその内心はしっかりと舞台のベーストーンへと定着していく。お芝居の底力でキャラクターの色を舞台に根付かせてしまうのですが、その色が物語の骨格を舞台にしっかり縛り付けていく。

これらの空気感の重なりが皆木正純が演じる夜虫のしなやかで広がりをもった演技に居場所を作ってくれるのです。強いニュアンスがありながら、実はその色を伝えるのがすごく難しいロールだとおもうのですよ。でも、セリフを封じられてもその色を支える深い技量が皆木にはあって、しかもそれを浮き立たせる力がこの舞台にはあって。この人の演技をを観る側が受け取れることこそが、この芝居の秀逸さの何よりの証のようにも思えるのです。

今回に関しては、公演二日目で、まだほんの少し硬さが残る舞台だったようにも思いました。でも、そのことが公演を重ねるにしたがってより深い熟成を促していくようにも感じたことでした。

良い芝居を見た後には、よしんば寒さがつのるちょっと遠い駅までの道のりも、心地よく感じて。

詩森ろば氏の作品、もっとたくさん見たくなりました。

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コメント

りいちろが展開したの?

投稿: BlogPetのr-rabi(ららびー) | 2010/01/24 14:49

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