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ブラジル「Future」、2つの空気感の重なり

2009年12月19日マチネにて、ブラジル「Future」を観ました。場所は下北沢駅間劇場。ブラジル自体はずいぶんと昔に公演を観たはずなのですが、実は記憶がほとんどありません。ただ、主宰のブラジリィー・アン・山田氏の作もしくは演出作品は何度も観ています。

(この先にはネタばれがあります。十分にご留意くださいませ)

脚本・演出:ブラジリィーアン・山田

舞台の上手と下手それぞれにしつられられた二つの部屋、個々にすすむ物語にはそれぞれの世界があって。でも観る側には、ある種の同期が感じられる。それは、単なるドアのノック音の共有だったり、物語の展開にどこか行き場がなかったりすることなのですが・・・。

よしんば、二つの世界に何の関連がなくとも、個々の世界の登場人物たちから染み出してくる部屋の主を取り巻く人々の行き詰まり感とその腐臭がしたたかに描かれていて・・・。それぞれのシーンの肌合いに惹かれているうちに、観る側になにかが刷り込まれいく。

醸し出される空気の秀逸さが物語の骨格をその質感の中に埋めてしまいます。その中で、二つの世界を繋ぐことになる女性の存在がボディブローのように効いてくるのです。

終盤、二つの部屋の主を演じた櫻井と高山が繊細に積み重ねた何かに淡白な性格のシンクロが、すっと一筋の時間の道筋として浮かんで、物語全体が観る側にのしかかってくる。欲望に理性が崩れていくような他の登場人物たちの表現も実にしっかりしているから、二人の追い詰められ具合ががっつりと腑に落ちて、形は違ってもその重なりになんともいえない血のつながりが質感として生まれてくる。その色の実存感がが観る側をがっつりと捕えてしまうのです。

物語のプロット自体はそんなに複雑ではなかったのに、終わってみれば観劇の心地よい疲れがあって。なんというか、役者たちの表現するキャラクターそれぞれの味わいを全部受け取ってしまったような満腹感を感じておりました

役者のお芝居がそれぞれにしたたか。櫻井智也はキャラクターの持つ中庸さのようなものに際立った存在感を与えていました。内側には生真面目さといい加減さが同居したりしている常なる人間臭さのようなものが観る側にあたりまえのごとくすごく自然につたわってくるのです。それが彼のお金や別れた妻に対する態度をしっかりと裏打ちする。高山奈央子も形は違っても同じにおいをしっかりと作り出していました。自分の祖母におれおれ詐欺的なお金のせびり方をするその生真面目さや、男の出ていく感じなどを観る側に納得させるだけの細かい表現があって、櫻井のキャラクターとのつながりを個々のシーンに埋め込んでいく。

高山の内縁の夫的なキャラクターを演じた西山聡のお芝居も秀逸でした。典型的なダメ男を演じているのですが、そのコアに女性をすっと寄りかからせるようなぬくもりがしっかりと生まれていて。それは、正直さからくる一瞬のとまどいや、言葉のためらいなどの緻密な表現の積み重ねなのですが、キャラクターのダメさ加減とのバランスをしっかり保ちながら醸し出すことで、二人の女性の幸の薄さのようなものまでも照らし出す力へと昇華しているのです。その西山を強請る男を演じた林修司が作る薄っぺらさも舞台に不思議ななじみ方をしていて。どこか突飛で理不尽な存在なのですが違和感がない。自らが直面している危機に対する切迫感の絶妙なゆるさのようなものが、物語に伸びしろというか現実感を与えていて。単なるチンピラの表現からもう一間奥まで踏み込んだような、底の薄さを表現する確かなお芝居力がキャラクターを舞台に存在せしめたように思います。

西山の女を演じた平間美貴は、女性としてのナチュラルさに前述の幸の薄さをすっと溶かし込んだお芝居。従順さの衣のほつれから時折見せるキャラクターの意思がしっかりとした切っ先として、ダメ夫を動かす力になっていました。そこからさらに派生するように彼女のコアにある芯の強さのようなものまでが浮かび上がってくる。高山の内心に潜む虚ろさまでを強調する演技力は半端ではない。

高山の従兄弟を演じた信國輝彦も、想いの歪みをけれんなく演じていました。やわらかな口当たりを表層に持ったお芝居なのですが、キャラクターの行いにぶら下がっているどろっとした独占欲が、いやな透明感とともに観る側を良い意味で凍てつかせる。高山の苛立ちに触れてその透明感が増し、やがて明らかな狂気へと変わっていくところもすごい。

櫻井の友人を演じた諌山幸治もとても印象に残りました。その演技から伝わってくるモラル瓦解の姿がなんとも言えずすごい。繕う表面の脆さが観る側にじわじわと不安感を植え付けていくのですが、その質感には観る側がすくんでしまうようないやらしさがあって。インテリとしてのプライドが現れれば現れるほど、観る側に伝わるキャラクター闇が深くなっていく。しかも闇の深さがそのまま鈍い熱を帯びていくのです。辰巳智秋が演じる自称主人公の小学校の同級生もぐわっとにじみ出る色で櫻井演じるキャラクターをぐいぐいと押し込みます。辰巳の間の取り方から漏れだす粘着質の空気が舞台を染め抜いて。その空気の色が櫻井と辰巳の演じるキャラクターの波長の合わなさに重なって静かで飽和するような密度をもった舞台を作り上げていくのです。

それらの雰囲気を生かしながら、物語にじわじわと足場を気づき、最後に一気に風穴を開けて見せる堀川炎は出色の出来。貫くような力を持って演じられるキャラクターは、二つの時間を渡るに十分な足腰を持っていて。奇異なキャラクターでもあるのですが、芝居が超然としていてぶれがなく、よしんば櫻井の突っ込みであろうともものともしないだけの底堅さがあるので、違和感が違和感としてどっかりとその世界になじんでしまうのです。しかも、表面のなめらかさが塗りつぶされたものではなく、その表皮を裏打ちする感情が地道に重ねられているのがすごい。

物語の骨格を隠す力と晒す切れ、その先に顕われる人の業の姿、舞台の二つの世界に時間の流れがはっきりと見える終幕に、いろんな感慨がやわらかくはっきりと降りてくる。その感覚、戯曲の秀逸さと役者の演技の確かさを肌で実感させられた舞台でありました。

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