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F/T 覚書(H3/あの人の世界/花は流れて時は固まる/4.48 サイコシス)など

フェスティバル東京もいよいよ佳境にはいってきましたね。で、これまでに見た感想をばらばらと・・・。)

(ここからネタばれがあります。ご留意ください)

・H3/ブルーノ・ベルトラオ(Nov.10th ソワレ にしすがも創造舎)

10人の男性によるダンス・パフォーマンス。

体育館の雰囲気を残すにしすがも創造舎の雰囲気をそのまま借景にして、強さとたっぷりの力感が伝わってくる舞台でした。

前半、前方の光で演じられる動きに取り込まれて・・・。車の音なども聞こえてくるその場所はアメリカ大陸のどこか、都会の広場のようにも思える・・・。

仲間たちが序列でも作るように絡まり合っていく。互いが動きをからめ合うようにして関係性が生まれていきます。ちょっとウェストサイドストーリーの現代版にでも使えそうな感じもするのですが、これががっつりと見ごたえがあって。

シーンが進むにつれて、パワーが大きく広がっていく。まるで空間に流星の絵を描くようなシーンがあったりよりスピード感をもった開放感のあるムーブメントが出現したり・・。

いくつもバリエーションに、唖然とするほどの汗臭いフィジカルな表現の意思を感じる。単にあがくだけではなくまるでパチンコにはじき出されるように空間を疾走していくその動きの鋭さには、ぞくっと震えがくるほどの洗練があって。さらに私をつなぎとめている何かを凌駕するような勢いがあって。

しかも、ただ圧倒的に良いというだけではないのです。ダンサー間にはそれなりに優劣があったり見ていて素人目にもユニゾンの力がもっと引き出せるなと思ったり・・・。これだけの力に触れてこれが頂点であるというような感覚がないのもすごい。完成したダンスではなく、さらに埋められる余白を感じるところにも魅力を感じて。

あれやこれやで、観終わった後、良い意味でぼうっとしてしまいました。万人向けかといわれると、ちょっと違う気もするのですが、十分すぎるほどの見ごたえのあるパフォーマンスでありました。

演出・振付 ブルーノ・ベルトラオ

出演:ブルーノ・デュアルテ/ブルーノ・ウィリアムズ/ダニーロ・ダルマ/チャーリー・フェリックス/エデゥアルド・ハーマンソン/フィリピ・チ・モラエス/クレベルソン・ゴンサウベス/ルイス・カルロス・ガデーリャ/チアゴアルメイダ

・あのひとの世界/サンプル(Nov.11th ソワレ 東京芸術劇場 小1)

サンプルは過去に数作観ていますが、これまでとは比較にならないほど観る側にイマジネーションのふくらみを強いた作品だったかと。

それは作り手の心に去来するもののとても緻密なスケッチのようにも思えて・・・。

作者のイメージのなかにカップルがいる。その下にさらにいろんなもの広がっている。それを内包する「あの人」の内側に去来するさまざまなテイストや想いが具象化されて伝わってくる感じ。

爽快にというか心躍るイメージもあって。夢を観る。ビラに描かれた女性を探し求める。忘れないでいようとする欲望。ピュアなものと汚れたもの。捉われていく感覚。遠くから投げ入れたものがその場所に収まる確率。失われていくものへの感情。繰り返し・・・。などなど。

舞台の上部のブリッジ部分での出来事がが次第に舞台の世界とリンクしていきます。冒頭の端正な墓参りのシーンとはどこか裏腹に表層と深層が次第にボーダーを失って渾然一体と描かれていく。上部奥のスクリーンに映し出される女性が「あの人」一番外側にあたる源モラルのようにも思えて。

示唆に溢れた山ほどの表現たち。あやふやなミュージカルの完成。ビラを配ること。首輪で互いにつながれた目隠しの嫁と姑は男の家庭なのかも。結びつきながら互いにコントロールしあえない姿に女性の生活感が垣間見えたり。

思うもの、記録の積み重ね、忘却。

時間の経過の中で捨て去られたものと吊るされたそのぬけがら。そして痛み。

多分作り手が精緻に描きこんだ絵面の半分も理解していないのだと思います。もしかしたら1割以下かもしれない・・・・。にも関わらず、時間を忘れて心を強く繊細に共振させる実感を伴った風景が恐ろしいほどくっきりと舞台上に見えるのです。

一番近いのはダリの絵を見たときの感覚でしょうか。かかわりのないいくつものイメージがゆるく重なり合い一つの形に積み上げられていて。気がつけば絵の前で何十分も立ち止まってしまっていた時のようなあの感覚。

それはたぶん「あの人」の心に日々映し出されている風景の模写にすぎないのでしょうけれど、そこから見えてくる「あの人」自身には自らが「あの人」に置き換わったと錯覚してしまうほどのリアリティがあるのです。

役者たちの動きには切れがあり伝わってくる感情がすごく良質。満足とか不満足というような切り方で表現できないような不思議な満たされ方をしたことでした。

作・演出 松井 周

出演 : 古舘寛治・石橋志保・田中佑弥・深谷由梨香・芝博文・辻美奈子・古谷降太・奥田洋平・渡辺香奈・善積元・山崎ルキノ・羽場睦子

・花は流れて時は止まる/黒田育世[BATIK](Nov.16ソワレ にしすがも創造舎)

女性ばかり10人によるダンスパフォーマンス。

最前列には水がはねるとのことでビニールが配られていて・・・。冒頭の側転や拍手の音に、すごくシンプルな世界を見せてもらえるのかなとおもったらとんでもない。ボリューム感にあふれた表現たちに愕然・・・。

きっと、女性だからこそ共振し理解できるものが含まれていると思うのです。もしかしたら、手に溢れるような花びらを抱える女性の感覚にくらべると、男性のコアに降りてくる感覚は、前方に張られた水の底に沈む花びらの重さくらいのインパクトなのかもしれません。

でも、そうであっても、舞台からやってくる物には大きく揺すぶられました。

女性が生まれ、育ち・・・。幼い日や思春期までのルーティンの具象にも思える回転から、やがて、自由奔放な動きに広がっていく姿。そして初めての水とのふれあい。

集められ水に投げ入れられる蒼い花びら状のものは、哀しみや痛みにも思えて。一方で脚に鈴をつけて踊り、水に入るその姿に、女性のときめきを思う。泣きつづける子供をあやし疲れ、後方の空間が電飾に飾られるほどの享楽に身をおき、或いは再び花びらを水に流すほどに痛みを覚え・・・。生きる悦びと痛みをくりかえしていく姿のひとつずつが、洗練され、しかもあからさまなインパクトをもった刹那として観る側に伝わってきます。

ダンサーがシークエンスで表現する、鼓動を感じるようなひとときの力強さに心を奪われ、被り物によって具象化された世界のどこかシニカルな匂いに、表現の洒脱さを感じる。

その中で、水の底から鈴の鎖をひろい、首にかけて、青い花びらのない胸で水の中でのダンスを踊りつづける女性の存在にも目を奪われました。女性の悦びや哀しみの時間をいくつもいくつも跨ぐマラソンのようなダンスに、女性の人生分の業ようなものを感じて・・・。そしてダンスを止めた彼女の躯が、蒼い花びらの詰まった袋で打たれつづけるその響きにも息が詰まりました。

女性が一生をかけて生きる姿が示されて。でもそれだけでは終わらない・・・。

終盤の輪廻を思わせるような、数知れない女性のジェネレーションの俯瞰にも目を見張りました。誕生し、生きて、旅立つ。その抱えきれない程の刹那の連続が、曼荼羅のように広がっていく感覚に、もう胸が苦しくなって。終演のとき、舞台上に具象化された時間の表現の深さと豊かさに凌駕されつくしていました。

ダンサーたちの時間を背負いきるパワーと表現の意志に頭が下がる。照明(スピンするダンサーが作るシルエットには目を奪われた)や舞台装置にも創意がいっぱい。

3度のカーテンコールでは、足りないくらいくらい。

でも、これほど強く揺すぶられたにもかかわらず、この作品において、男はやはり観客の位置にいるのだと感じたり・・・。

神が創りし男と女のこと、そしてそれぞれがながめる水の感覚がきっと違うことなど、風に吹かれて歩く板橋駅までの道すがら、ずっと頭から離れませんでした。

構成・演出・振付 黒田育世

出演:BATIK

伊佐千明・植木美奈子・大江麻美子・梶本はるか・田中美沙子・寺西理恵・中津留絢香・西田弥生・矢島久美子&黒田育世

・4.48 サイコシス/  (Nov.18th ソワレあうるすぽっと)

この戯曲、少し前にDull-Colored Popが上演したのを観ていて、そのときに、徹底的に打ちのめされたのですが(谷賢一氏の演出力も役者もすごかった)今回は、戯曲の構造が少しはわかっていたので、その時よりはやってくるものをじっくり見つめることができたように思います。

「4.48 サイコシス」という戯曲自体がどのように書かれているのかは知りませんが、シーンがあって、その中で表現すべき物語があることは間違いないらしい。どう表現するかは演出家の裁量に委ねられているのでしょうけれど。

劇場の客席と舞台が真逆な空間。その高低差と広がりをながめながら開演をまちます。客電(?)もが消えず客入れすら終わらないうちに冒頭のボクシング。戦う自分、励まし、折れる自分・・・。

人間関係のこと、うまくコントロールできないこと。不安、脈絡のなさ。主人公の心に浮かぶもの奇異さと鮮やかさ。観る側は出口のない森に迷い込んだような気持ちになって。

音、虫の声。夜の静寂に過敏になったように聞こえてくる音。突然やってくる強いおと。雷鳴、叫び。常ならぬ音。

言葉、鎖を外されてさまよっているイメージ。リアリティを持った狂気の果てにその時間がやってくる。

バランスが比較的保たれた緩慢さを感じる時間、微妙な揺らぎや不安定さはいやされているのではなく薬によってコントロールされているのかもしれません。

その、冗長でどこか慰安に欠けた時間がじりじりと観るものを浸蝕していく。

7をひくのはシンプルかつ明快で、残酷なテスト。並んだ様々な意識が数字を刻んでいくシーンのコミカルさにコアにある意識の自虐的なウィットが伝わってくる。医師の言葉、統合されないつぶやき、つぶやき、つぶやき。機能しない電話、恐れ、リストカット、血の慰安、甘い死への誘い。

恐怖と慰安の混在した不思議ないごごちに浸潤されるなか、凄くクリアな画質で目の前に広がるもの。言葉がその空気を導くのではなく、導かれた空気のなかに言葉がちりばめられ、すごく澄んでいるのにどこかぼやけた風景に、いらだちが混ざる。

それらが、軋みを伴いながら一つのモラルに再び縛られていく姿には胸が締め付けられそうになりました。モラルが荒っぽくがしがしと積み上げられていく中で、詠唱とも祈りとも聞こえる声が心を揺さぶる。狂気のぬくもりから抜け出すような高揚が生まれ、でも、正気だからこそ見える凍えるような感覚と行き場のなさがあって。

心が肉体のなかに取り込まれていくようなラストシーン、さらにはその場所がステージであることを観客に示す終わりに愕然。観る側の心に浮かんだものの主観と客観が逆転するような、あるいは観客がその世界からサルベージされるような終幕に、ただただ息をのみました。

この秋に観たふたつのサイコシス、胸を突き刺すように作者の風景が伝わってくるDull-Colored Popヴァージョン、深く刷りこまれるように広がっていく飴屋ヴァージョン。一つの戯曲が見せる二つの表情に、お芝居というのは戯曲を受け取って育てる演出家のイマジネーションの賜物であることを、あらためて思ったり。観る者にとっては、どちらも印象に深く、またふたつの作品がそれぞれを浮かび上がらせることの同一性と質感の違いもとても興味深かったです。

作:Sarah Kane(翻訳長島 確) 演出:飴屋法水

出演:山川冬樹・安ハンセン・石川夕子・大井健司・小駒豪・グジェコシュ クルク・武田力・立川貴一・ハリー ナップ・シモーネ マチナ・宮本聡・村田麗薫

*****  *****  *****

F/T東京、まだもう少し見る演目があるのですが、もうすでにおなかがいっぱいになるくらい見ごたえ十分。芸術の秋とは、ほんとよく言ったもの。

別にフェスティバルでなくても良いから、年間かけてゆっくりと宴をすればよいのにとちょっと恨めしくもなりました。

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