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elePHANTMoon#8ブロークンセッション 毒の甘さ、

2009年11月19日ソワレにてelePHANTMoon,ブロークンセッションを観ました。サンモールスタジオにて。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出 :マキタカズオミ

舞台はとある家のダイニングキッチン。まったりとした時間とそこにひびくうめき声。

表立った説明はないのですが、舞台のトーンに織り込まれるように次第に物語の設定が明らかにされていきます。加害者のリベンジを賠償の一部に組み入れるという妙に納得できるというか説得されてしまいそうな設定のなかで、次第に状況が観る者の感覚をくわえ込んでいく前半。犯罪被害者の怒りや恨み、さらには許しまでもがリベンジのシステムに組み込まれていく。割り切れなさや、違和感を押し込めてしまう仕組みの不思議なナチュラル感が観る側を支配していきます。

リベンジも欲望なら加虐も欲望・・。それらが正義という服を着たシステムに押し込まれた時に滲みだしてくるものが、外部であるはずのビデオ作家たちを引き寄せていく。さらに、これからそのシステムに組み込まれるという母娘があらわれます。その雰囲気にただようどす黒い感覚や、かすかに漂う淫靡なテイストまでががっつりと描かれて。単に舞台上の設定から見えるものだけにとどまらず、登場人物たちがため込んでいる滓のような、何かを蝕んでいく甘さへの嫌悪や依存の感覚までが爪の間から伝わるように沁み込んでくるのです。

その感覚が、雫一粒でコップの水が溢れるがごとく堰を切って流れだす後半。愕然とするくらいに淡々と刺殺のイメージや自刃のシーンがやってくる。

中盤以降は、まるで魔物の鎖が外されたがごとくキャラクターの深層に醸し出された欲望のなすがままに物語は進んでいきます。何かが崩れた始めたあとの歯止めのかけようのなさ・・。旨い比喩ではないかもしれませんが、陥没が次々に周りの家を飲み込んでいくような感じ。役者たちの瞬き半分くらいの絶妙な間が、蟻地獄に落ちていく感覚にしなやかさな必然を織り込んでいくのです。

人がはけてブランクの舞台に、狂気の気配が流れる時間。くぐもった声。部屋に差し込む穏やかな光が見えない修羅場が不思議に折り合って。たとえば手首から流れ出した血を、脱力感を愛でるようにそのままにしておくような。なすがままに堕ちて染まっていく感覚に鈍く光る甘美さが含まれていて。

しかも、それだけではすまず、観客はさらに底がもう一段割れたような声を立ててしまうような鮮烈なエンディングに息をのむことになるのです。

観終わって一呼吸おいても、ハマカワフミエからやってきた、深くてどす黒いのに澄み切った質感がのこっていました。いくつもの彼女の舞台を観て、そのたびに彼女が開ける新しい引き出しに驚かされていましたが、今回は見えない部分の引き出しにもやられた。なんというのでしょうか、湧き出す色で観る側を染めるだけではなく観る側を後ろから絡め取るようななにかがあって。上からやってくるのではなく足元を崩して引き込んでいくようなその引力に震えがきました。

役者のことをさらに・・・。酒巻誉洋が表現する苛立ちには不確かな形状と確実な重さがありました。とらえどころのない感情が次第に明らかなボリュームになって前触れもなく溢れだす姿には時間軸を縦に貫くような強さがあって、唐突に立ち上がるカタストロフにしっかりと見る側をうなずかせる背景を与えるのです。松葉祥子は逆にそのいらだちの毒に侵食された姿をがっつりと表現して・・・。その依存のリアルさがとても生々しくて。本井博之は、強い立場であっても持つであろう常なる人のためらいをとても丁寧に演じていました。彼の演技はやがて舞台を染める狂気をより鮮やかに見せるための補色的役割にもなり、観客が物語の色を見失わないための安全弁の役割を果たしていたようにも思います。

菊地奈緒が見せた一閃の切れ味にも目を見張りました。娘を持て余し投げ出したような母親の雰囲気も秀逸なのですが、いなくなった娘に心乱すそのひとときの感情の出し方が本当に鋭くて。重さと切れ味が同時に舞台からやってきて、演じるキャラクターの内外を一気に晒してしまう。その鋭さに呆然として、一瞬遅れて観たものの鮮やかさにぞくっときました。

加害者の兄を演じる永山智啓が内側に隠す怒りの感情もうまいなぁと思う。物語のフレームを観る側に伝える役割を着実なお芝居でこなすと同時に、すこし卑屈さがまじったへりくだり方のなかに、行き場のない感情をすっと浮かびあがらせて物語に奥行きを作り出していきます。見せない想いが発する腐りきれない諦観のようなものもこの人の演技だから表せるものかと。真下かおるの達観したような淡さにも一番コアにくすぶる熱のようなものが垣間見えて。密度をもった淡い表情でのお芝居にキャラクターのかかえる感情をしなやかに表して。永山が醸す空気とのズレの作り方もとても効果的だったと思います。菊地佳南のお芝居にも安定感がありました。表情に現れる感情の正直さが永山や真下のお芝居にさらなる陰影を作って作り手が意図しているであろう味わいをしっかり伝えていく。

カトウシンスケにはキャラクター設定を具現化する力を感じました。相手が「すらっと受け入れてしまうような」キャラクターの質感に説得力があるのです。その場にいる他のキャラクターを一線を画すような、欲望に対する正直さの表現も終盤のシーンに観る側を引き込む力になっていました。江ばら大介が演じるキャラクターの実存感も物語を膨らませていました。どこにでもいそうな男を舞台の空気になじませて入れこんで、じわじわと、内側に踏み込む。その力加減に芝居のしたたかさを感じました。

小林タクシーのお芝居にも目をみはりました。舞台の流れに決してなじんでいるとは言えないトーンでの登場なのですが、やがてその存在が物語の歯ごたえのように変わっていく。違和感を作り出すようなお芝居の触感が実に効果的なのです。すべてが協調した音楽は心地が良いだけだけれど、不協和音があることでで印象が心に留まる。その不協和音がラストシーンで物語と重なる刹那に、研ぎ澄まされたなにかがやってくる。こういう質感を作れる役者さんって他にあまり思いつかないし、また、彼の存在がこの舞台の切れ味をしっかりと高めているように感じました。山口オンのプレーンな雰囲気も小林のお芝居をよく生かしていました。美しさを少しだけ艶消ししたような雰囲気がよい。実直なお芝居が物語を美しい広がりの中で崩していくための緩衝材的役割を果たしていたように思います。

それにしても、なんなのだろう・・・、明らかに何かが外れてしまった世界なのに、物語の流れを受け入れてしまう自分。甘い毒を舐めて、蝕まれていく感覚に抗わず身を任せるような怠惰な嫌悪感。

蠱惑感に苛まれる自分には否定する感情が降りてくるのですが、でも、自分をその場から動かさない未必の故意のようなものも生まれていて。

とても笑えないようなひどい話だとも思うのに、なぜかすらっと笑えてしまう部分すらいくつもあって・・・。

映像作家を「すらっ」とその場に受け入れてしまうみたいなシーンが前半にありましたが、その感覚って物語を受け入れる自分にもあるのです。好みが分かれる作品なのかもしれませんが、少なくとも私は、作り手側の魔力に囚われてしまったみたいです。

何気に私をその世界に絡めとり幽閉したマキタ作劇・演出には、出演者の方がブログに書いていたように、「美学」すら感じる。そしてそれを具現化させた役者達の力も半端ではないと思うのです。

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F/T 覚書(H3/あの人の世界/花は流れて時は固まる/4.48 サイコシス)など

フェスティバル東京もいよいよ佳境にはいってきましたね。で、これまでに見た感想をばらばらと・・・。)

(ここからネタばれがあります。ご留意ください)

・H3/ブルーノ・ベルトラオ(Nov.10th ソワレ にしすがも創造舎)

10人の男性によるダンス・パフォーマンス。

体育館の雰囲気を残すにしすがも創造舎の雰囲気をそのまま借景にして、強さとたっぷりの力感が伝わってくる舞台でした。

前半、前方の光で演じられる動きに取り込まれて・・・。車の音なども聞こえてくるその場所はアメリカ大陸のどこか、都会の広場のようにも思える・・・。

仲間たちが序列でも作るように絡まり合っていく。互いが動きをからめ合うようにして関係性が生まれていきます。ちょっとウェストサイドストーリーの現代版にでも使えそうな感じもするのですが、これががっつりと見ごたえがあって。

シーンが進むにつれて、パワーが大きく広がっていく。まるで空間に流星の絵を描くようなシーンがあったりよりスピード感をもった開放感のあるムーブメントが出現したり・・。

いくつもバリエーションに、唖然とするほどの汗臭いフィジカルな表現の意思を感じる。単にあがくだけではなくまるでパチンコにはじき出されるように空間を疾走していくその動きの鋭さには、ぞくっと震えがくるほどの洗練があって。さらに私をつなぎとめている何かを凌駕するような勢いがあって。

しかも、ただ圧倒的に良いというだけではないのです。ダンサー間にはそれなりに優劣があったり見ていて素人目にもユニゾンの力がもっと引き出せるなと思ったり・・・。これだけの力に触れてこれが頂点であるというような感覚がないのもすごい。完成したダンスではなく、さらに埋められる余白を感じるところにも魅力を感じて。

あれやこれやで、観終わった後、良い意味でぼうっとしてしまいました。万人向けかといわれると、ちょっと違う気もするのですが、十分すぎるほどの見ごたえのあるパフォーマンスでありました。

演出・振付 ブルーノ・ベルトラオ

出演:ブルーノ・デュアルテ/ブルーノ・ウィリアムズ/ダニーロ・ダルマ/チャーリー・フェリックス/エデゥアルド・ハーマンソン/フィリピ・チ・モラエス/クレベルソン・ゴンサウベス/ルイス・カルロス・ガデーリャ/チアゴアルメイダ

・あのひとの世界/サンプル(Nov.11th ソワレ 東京芸術劇場 小1)

サンプルは過去に数作観ていますが、これまでとは比較にならないほど観る側にイマジネーションのふくらみを強いた作品だったかと。

それは作り手の心に去来するもののとても緻密なスケッチのようにも思えて・・・。

作者のイメージのなかにカップルがいる。その下にさらにいろんなもの広がっている。それを内包する「あの人」の内側に去来するさまざまなテイストや想いが具象化されて伝わってくる感じ。

爽快にというか心躍るイメージもあって。夢を観る。ビラに描かれた女性を探し求める。忘れないでいようとする欲望。ピュアなものと汚れたもの。捉われていく感覚。遠くから投げ入れたものがその場所に収まる確率。失われていくものへの感情。繰り返し・・・。などなど。

舞台の上部のブリッジ部分での出来事がが次第に舞台の世界とリンクしていきます。冒頭の端正な墓参りのシーンとはどこか裏腹に表層と深層が次第にボーダーを失って渾然一体と描かれていく。上部奥のスクリーンに映し出される女性が「あの人」一番外側にあたる源モラルのようにも思えて。

示唆に溢れた山ほどの表現たち。あやふやなミュージカルの完成。ビラを配ること。首輪で互いにつながれた目隠しの嫁と姑は男の家庭なのかも。結びつきながら互いにコントロールしあえない姿に女性の生活感が垣間見えたり。

思うもの、記録の積み重ね、忘却。

時間の経過の中で捨て去られたものと吊るされたそのぬけがら。そして痛み。

多分作り手が精緻に描きこんだ絵面の半分も理解していないのだと思います。もしかしたら1割以下かもしれない・・・・。にも関わらず、時間を忘れて心を強く繊細に共振させる実感を伴った風景が恐ろしいほどくっきりと舞台上に見えるのです。

一番近いのはダリの絵を見たときの感覚でしょうか。かかわりのないいくつものイメージがゆるく重なり合い一つの形に積み上げられていて。気がつけば絵の前で何十分も立ち止まってしまっていた時のようなあの感覚。

それはたぶん「あの人」の心に日々映し出されている風景の模写にすぎないのでしょうけれど、そこから見えてくる「あの人」自身には自らが「あの人」に置き換わったと錯覚してしまうほどのリアリティがあるのです。

役者たちの動きには切れがあり伝わってくる感情がすごく良質。満足とか不満足というような切り方で表現できないような不思議な満たされ方をしたことでした。

作・演出 松井 周

出演 : 古舘寛治・石橋志保・田中佑弥・深谷由梨香・芝博文・辻美奈子・古谷降太・奥田洋平・渡辺香奈・善積元・山崎ルキノ・羽場睦子

・花は流れて時は止まる/黒田育世[BATIK](Nov.16ソワレ にしすがも創造舎)

女性ばかり10人によるダンスパフォーマンス。

最前列には水がはねるとのことでビニールが配られていて・・・。冒頭の側転や拍手の音に、すごくシンプルな世界を見せてもらえるのかなとおもったらとんでもない。ボリューム感にあふれた表現たちに愕然・・・。

きっと、女性だからこそ共振し理解できるものが含まれていると思うのです。もしかしたら、手に溢れるような花びらを抱える女性の感覚にくらべると、男性のコアに降りてくる感覚は、前方に張られた水の底に沈む花びらの重さくらいのインパクトなのかもしれません。

でも、そうであっても、舞台からやってくる物には大きく揺すぶられました。

女性が生まれ、育ち・・・。幼い日や思春期までのルーティンの具象にも思える回転から、やがて、自由奔放な動きに広がっていく姿。そして初めての水とのふれあい。

集められ水に投げ入れられる蒼い花びら状のものは、哀しみや痛みにも思えて。一方で脚に鈴をつけて踊り、水に入るその姿に、女性のときめきを思う。泣きつづける子供をあやし疲れ、後方の空間が電飾に飾られるほどの享楽に身をおき、或いは再び花びらを水に流すほどに痛みを覚え・・・。生きる悦びと痛みをくりかえしていく姿のひとつずつが、洗練され、しかもあからさまなインパクトをもった刹那として観る側に伝わってきます。

ダンサーがシークエンスで表現する、鼓動を感じるようなひとときの力強さに心を奪われ、被り物によって具象化された世界のどこかシニカルな匂いに、表現の洒脱さを感じる。

その中で、水の底から鈴の鎖をひろい、首にかけて、青い花びらのない胸で水の中でのダンスを踊りつづける女性の存在にも目を奪われました。女性の悦びや哀しみの時間をいくつもいくつも跨ぐマラソンのようなダンスに、女性の人生分の業ようなものを感じて・・・。そしてダンスを止めた彼女の躯が、蒼い花びらの詰まった袋で打たれつづけるその響きにも息が詰まりました。

女性が一生をかけて生きる姿が示されて。でもそれだけでは終わらない・・・。

終盤の輪廻を思わせるような、数知れない女性のジェネレーションの俯瞰にも目を見張りました。誕生し、生きて、旅立つ。その抱えきれない程の刹那の連続が、曼荼羅のように広がっていく感覚に、もう胸が苦しくなって。終演のとき、舞台上に具象化された時間の表現の深さと豊かさに凌駕されつくしていました。

ダンサーたちの時間を背負いきるパワーと表現の意志に頭が下がる。照明(スピンするダンサーが作るシルエットには目を奪われた)や舞台装置にも創意がいっぱい。

3度のカーテンコールでは、足りないくらいくらい。

でも、これほど強く揺すぶられたにもかかわらず、この作品において、男はやはり観客の位置にいるのだと感じたり・・・。

神が創りし男と女のこと、そしてそれぞれがながめる水の感覚がきっと違うことなど、風に吹かれて歩く板橋駅までの道すがら、ずっと頭から離れませんでした。

構成・演出・振付 黒田育世

出演:BATIK

伊佐千明・植木美奈子・大江麻美子・梶本はるか・田中美沙子・寺西理恵・中津留絢香・西田弥生・矢島久美子&黒田育世

・4.48 サイコシス/  (Nov.18th ソワレあうるすぽっと)

この戯曲、少し前にDull-Colored Popが上演したのを観ていて、そのときに、徹底的に打ちのめされたのですが(谷賢一氏の演出力も役者もすごかった)今回は、戯曲の構造が少しはわかっていたので、その時よりはやってくるものをじっくり見つめることができたように思います。

「4.48 サイコシス」という戯曲自体がどのように書かれているのかは知りませんが、シーンがあって、その中で表現すべき物語があることは間違いないらしい。どう表現するかは演出家の裁量に委ねられているのでしょうけれど。

劇場の客席と舞台が真逆な空間。その高低差と広がりをながめながら開演をまちます。客電(?)もが消えず客入れすら終わらないうちに冒頭のボクシング。戦う自分、励まし、折れる自分・・・。

人間関係のこと、うまくコントロールできないこと。不安、脈絡のなさ。主人公の心に浮かぶもの奇異さと鮮やかさ。観る側は出口のない森に迷い込んだような気持ちになって。

音、虫の声。夜の静寂に過敏になったように聞こえてくる音。突然やってくる強いおと。雷鳴、叫び。常ならぬ音。

言葉、鎖を外されてさまよっているイメージ。リアリティを持った狂気の果てにその時間がやってくる。

バランスが比較的保たれた緩慢さを感じる時間、微妙な揺らぎや不安定さはいやされているのではなく薬によってコントロールされているのかもしれません。

その、冗長でどこか慰安に欠けた時間がじりじりと観るものを浸蝕していく。

7をひくのはシンプルかつ明快で、残酷なテスト。並んだ様々な意識が数字を刻んでいくシーンのコミカルさにコアにある意識の自虐的なウィットが伝わってくる。医師の言葉、統合されないつぶやき、つぶやき、つぶやき。機能しない電話、恐れ、リストカット、血の慰安、甘い死への誘い。

恐怖と慰安の混在した不思議ないごごちに浸潤されるなか、凄くクリアな画質で目の前に広がるもの。言葉がその空気を導くのではなく、導かれた空気のなかに言葉がちりばめられ、すごく澄んでいるのにどこかぼやけた風景に、いらだちが混ざる。

それらが、軋みを伴いながら一つのモラルに再び縛られていく姿には胸が締め付けられそうになりました。モラルが荒っぽくがしがしと積み上げられていく中で、詠唱とも祈りとも聞こえる声が心を揺さぶる。狂気のぬくもりから抜け出すような高揚が生まれ、でも、正気だからこそ見える凍えるような感覚と行き場のなさがあって。

心が肉体のなかに取り込まれていくようなラストシーン、さらにはその場所がステージであることを観客に示す終わりに愕然。観る側の心に浮かんだものの主観と客観が逆転するような、あるいは観客がその世界からサルベージされるような終幕に、ただただ息をのみました。

この秋に観たふたつのサイコシス、胸を突き刺すように作者の風景が伝わってくるDull-Colored Popヴァージョン、深く刷りこまれるように広がっていく飴屋ヴァージョン。一つの戯曲が見せる二つの表情に、お芝居というのは戯曲を受け取って育てる演出家のイマジネーションの賜物であることを、あらためて思ったり。観る者にとっては、どちらも印象に深く、またふたつの作品がそれぞれを浮かび上がらせることの同一性と質感の違いもとても興味深かったです。

作:Sarah Kane(翻訳長島 確) 演出:飴屋法水

出演:山川冬樹・安ハンセン・石川夕子・大井健司・小駒豪・グジェコシュ クルク・武田力・立川貴一・ハリー ナップ・シモーネ マチナ・宮本聡・村田麗薫

*****  *****  *****

F/T東京、まだもう少し見る演目があるのですが、もうすでにおなかがいっぱいになるくらい見ごたえ十分。芸術の秋とは、ほんとよく言ったもの。

別にフェスティバルでなくても良いから、年間かけてゆっくりと宴をすればよいのにとちょっと恨めしくもなりました。

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15minutes made 7thの広がり方

2009年11月14日マチネにて15minutes made 7thを観てきました。で、メモを兼ねてそれぞれの作品の感想などを・・・。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

前回のような、派手な舞台転換もなくゆったりと6作品を鑑賞できました。途中、ちょっとだけ機材トラブルがありましたが、スタッフの対応も冷静かつ適切で、上演に影響はなく・・・。

それぞれの劇団のエキスをたっぷり含んだ作品を堪能することができました。

・ゲキバカ「   」

観客が楽しめる身体表現の連続。映画やアニメを取り込んでいくのですが、小道具を使うことなく、あくまでも体を使っていくところに彼らの演劇へのこだわりのようなものを感じて・・・。

なんというか、笑いに贅肉やいやな脂がついていないというか、おいしく笑えるのがとてもよい。

最初は笑っているだけでしたが、そのうち囚人服姿の彼らが捕まるまでのループのようなものに取り込まれて・・・。その奥にある逃げられない感のようなものが、すっとみえて。

そのセンスに瞠目しました。

作・演出:ゲキバカ四天王

出演:石黒圭一郎・西川康太郎・鈴木ハルニ・渡辺毅

・こゆび侍「汝、石化することなかれ」

物語のプロットは1行か2行で語れるのでしょうけれど、そこに編み込まれていく想いがなんとも切なく美しい。メデューサがカジュアルに生活を送る上での微妙なおかしさが、そのまま彼らの心の影として観る側に戻ってきます。

役者の目の使い方がすごくしなかやで巧み。メデューサ夫婦の見つめないようにという気づかいや愛情にこもるかすかな恐れが観る側をしっかりと浸潤していく。ナチュラルなお芝居の質感とあいまって、舞台の世界にある種のリアリティが生まれ、それが舞台の深さになっていくのです。隣人の夫婦のメデューサ夫婦に対する距離感も絶妙な密度をもって繊細に演じられていて、なにげないシーンに透明感と深さを与えていきます。

ラストのシーン、新婚夫婦のような雰囲気に心地よい広がりが生まれて、ふたりの見つめ合う立ち姿にちょいときゅんとなりました。成島さんの物語の運び、うまいなあと思うのです。

やはり「こゆび侍」、只者ではありません。

作・演出:成島秀和

出演:廣瀬友美・加藤律・福島崇之・丹波紋子

・モエプロ「三日月とライオン」

ある意味、どきどきしました。少女雑誌のコミックを凄くリアルに見せられている感じ。「萌え」の感覚もすごいけれど、きちんとその空間が成り立つことがもっとすごい。

なんというか、いろんなものがそぎ落とされて、二人のピュアな部分だけがちゃんとそこにあるのです。ちょっと気の強いキャラクター設定は高橋留美子っぽい感じもするのですが、その相手を蹴る姿が不思議に自然に思えて。とても、良い意味で「何だこれ!」という感じ。ヒロインのキャラクターに惹かれているじじいの自分に驚いたり。まあ、タッチのみなみちゃんあたりから、刷り込まれたものがあるのかもしれませんが。

バナナ学園純情乙女組と逆ベクトルのデフォルメなのかなとも思ったりするのですが、いずれにしても作り手が持つぶれないものって武器になるのです。

端正な部分をもつ、実はまっとうなお芝居だったりもして、このクオリティがあるから成り立つことなのでしょうけれど・・・。

作・演出:佐古田康之

出演:小野瀬太一朗・栃木彩理

<intermission>

・国分寺大人倶楽部 「ストロベリー -SHORT VERSION-」

前回の本公演を観ていて、その時の感覚がぐわっと戻ってきました。なんというか、凄く体に悪そうなのだけれど食べたくないわけではないみたいな感覚。

アフタートークで主宰が内容を漏らすなとおっしゃっていたので(次回本公演のショートバージョンらしい)コンテンツは書きませんが、人間の根底にある、嫌悪感を持って惹きつけられるような感覚がモロに舞台から流れ込んでくる。R18っぽいところもあるのですが、それよりもっと深い部分のいやらしさと純粋さに目を奪われました。指の間から眺めたくなるとトークショーで話がありましたが、非常に的をついた表現かと。

私的には、たぶんかなりの勇気を持って、でも間違いなく次回本公演を見に行くと思います。

脚本・演出:河西裕介

出演:大竹沙絵子・望月綾乃・志水衿子・加藤岳史・河西裕介

・夜ふかしの会 「コント」

上質のコントでした。無駄な遊びがなく、ぐいぐいと観客を引っ張っていく。エッジがしっかりと立った演技に笑いがまっすぐにやってきて、どんどん膨らんでいく。

パフォーマンスとしては、笑いの基本に忠実なのだと思うのですよ。発想も取り立てて突飛なものではない。それでもしっかりと高品質の笑いを構築していけるというのは笑いの仕入れに圧倒的な間口の広さを持っているということでもあるとおもうのです。

マリオネタもしっかり出し、何よりも他劇団を借景にしたワンショットには爆笑してしまいました。こういう広がりがびしっと決まるところに、この集団の底知れぬ力を感じるのです。

笑いもここまでくると「粋」の範疇に思えて。

理屈抜きで本当に面白かったです。

構成・演出:岡田幸生・内田崇文 作:夜ふかしの会

出演:鬼頭真也・鈴木ちるど・三宅知明・砂川禎一郎・大重わたる・原慎一

・Mrs.fictions「私は旅に出ることにした」

すっと物語にはいってそのまま観客を引き込んでいきます。言葉がそのまま感覚として入ってくる。

こうなにかをふっと投げ出してしまうような感覚が、そのまま渡されたような感じで、観る側が無抵抗で受け入れてしまう。

そこから旅にでる感覚も、なんかわかる。山の手線のループ感も、温泉に行ってしまう感覚も全部が観る側の手のひらに乗せられていく。

そして、「ただいま」の感覚にちょっとほっとしたりして。なんだろ、この感じ。

ちょっと心が軽くなるのがすごく不思議で、魔法をかけられたような感じがしました。

こういう感覚、結構好きです。

作・構成・演出:生駒英徳 作:Mrs.fictions

出演:岡野康弘・夏見隆太・松本隆志・宮嶋みほい・萱怜子

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前述のとおり、アフタートークは高円寺大人倶楽部の河西さんでしたが、こちらもなかなか聞きごたえがありました。

15分だから見える世界ってたしかにあって、回を重ねていくのもわかる気がする。

一度、ベテラン劇団大会みたいなこともやりませんかねぇ。創立10周年か本公演10回以上の劇団限定みたいな・・・。

けっこうおもしろい気がするのですが。

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MCR「リブラフレイン」どうしようもなさの先&10月末に観たものちょこっと

2009年10月30日、MCR「リブラブライン」を観ました。この作品、本当に楽しみにしていたのですよ・・・。Co-richの大賞をとったりしてどうなるかと思ったMCRでしたが、そんなプレッシャーなどどこ吹く風といった、実に秀逸な舞台でありました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出 櫻井智也

多分、物語のプロットだけを聞いたらとても笑えるようなお話ではないのですが、そこに、櫻井流の切り取り方や人の表し方が重なると、絶望感を蹴飛ばすような絶妙なおかしさがはぐくまれ心をすっと浸潤するような軽さと深さが生まれる・・・。

冒頭のシーンにいきなりやられて・・。姉と弟の会話からいきなり作品に取り込まれます。あの、ミルグセーキはやっぱり強烈で・・・。ほとんど落語の「茶の湯」にでてくる風流饅頭の世界ですから。でも姉には有無を言わせずそれを押し通してしまう力があって。物語のゲートウェイがぱっくりと開いて、まんまとその世界にとりこまれてしまいます。そこから友人との世界に移り、さらに姉と弟を取り囲む世界が浮かび上がってきて・・・。

姉妹とその周りを取り囲むもの・・・。

ガンの告知の場面にしても、両親のことにしても、お姉さんの恋のことにしても、1万円の巡り方にしても・・・・・。

厳然とした事実があって、どうしようもないようないき詰まりが生まれても、その先の時間が普通にやって来て、物事が糾える縄の如く進んでしまうことのおかしさ。その突き抜けた感じや、受け入れるしかないことへのペーソスがたまらなく良いのです。

痛みは包丁を振り回すほど深い痛みとしてそこにあって、でも、過ぎ去ってしまった時間や過ぎ去る時間の感覚がその色をしなやかに変えて。

キレよく突んでおいてその突っ込みを打ち砕くようなぼけの説得力にやられたり、しっかりと絞り取られたように見えたエピソードがさらに膨らんで、客側がしてやられた感を持って深く取り込まれたり。借金取りの「実は良い人」ぶりや、終盤に現れる幼いころの姉のイメージから、物語の世界観がしっかりと固まって。うまいなぁと思うのです。

役者たちも、ゆとりを持って絶妙な間を作っていきます。客席対面の舞台もすごく良く機能していて、腰の入った役者どおしの絡み方をとても自然な感覚で味わうことができて・・・。

石澤美和がとにかく圧倒的。櫻井智也によって持てる才能ををがっつりと引き出されておりました。内に抱えるものをとりあえず見せておいて、引き込む後ろ側にさらに外堀を掘るような強さや説得力がありました。決してユーティリティの広い役者さんではないかとも思うのですが、その分MCRの舞台にすばらしく映えるというか、共鳴する個性が内在されている感じがするのです。お芝居にもぶれがなく安心して演じるキャラクターに身をゆだねることができました。それを支える櫻井の繊細なお芝居と突っ込みの鋭さにも惚れぼれ。切っ先の鋭さとだだっと流れてしまうような感覚がちゃんと併存してつたわってくるのです。

木内コギト、小西耕一、小野紀亮の友人組には、個性を持ちながらひとつの空気をつくるだけの力量がありました。きちんとニュアンスを作らなければいけない役回りがしっかりと演じられていて。MCRの強みってこういう部分を担う役者たちのクオリティの高さというかがんばりにも支えられているような気がするのです。

病院のガン(?)患者役の北島広貴の生き延び方は個人的にすごくツボで・・・。ガンを告知される部分のいじめられ役的な部分もよいのですが、生きのびてしまったあとの雰囲気がさらに絶妙。奥さん役の大見遥も場をしっかり読んだ演技で北島が醸し出す雰囲気を支えて・・・。渡辺裕樹の後輩役の人を喰ったような感じも舞台の色に深みを作り出していたと思います。この人のお芝居って強弱いずれもMCRの色とのすごくよい相性を感じるのです。医者役の福井喜朗はある意味MCRのブランドを背負っているのかもしれません。彼がそのスタイルで現れると、もうMCRであるというような刷り込みがMCRのリピーターにはあって・・・。看護婦役の伊達香苗も、心得たというように自らのトーンを作りながら福井を際立たせていました。

看守役の二人、おがわじゅんや・江見昭嘉も渋いお芝居。姉弟を観ているうちに狂っていく何かの表現が絶妙なのです。巻き込まれ感とでもいいましょうか、崩れずにじわっと巻き込まれていくあたりがすごくよい。

姉の同僚、三瓶大介にはどこかつかみどころのない強さがあって好演。姉の子供時代を演じた上田楓子は、短い出番でしたが、印象という意味では強烈でした。物語のベース音が聞こえてくるような・・・。

借金取りを演じた中川智明にはお芝居の冴えを感じて。その実は良い人ぶり、彼でなければ成り立たないとさえ思えて。観ていてゾクっときた事でした。

ラストのパンとミルクセーキが醸し出す、逃げられない・・・、逃げたくもない、その時間のいとおしさに目が潤んでしまう。ふつう、感動するような絵面ではないのですけれど、観る側になにかがしっかりと刺さっているのです。

力むことなく深く、さらに磨き上げられたMCRの世界にますます惹かれてしまいました。

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その他、10月末から11月1週に観たものをメモを兼ねて・・。

*維新派 「ロジ式」

 維新派は初見。その時間軸のひろがりの足元がしっかりしている感じがまず魅力。それと歌の耳触りの豊かさにやられました。

くりかえし、統一感、編み込まれていくような感触。私の出身大学が和歌山だということもあるのでしょうけれど、言葉に懐かしさもあって。(和歌山弁のイントネーションが随所に出てきた気がする)

路地の風景がすっと自分の中から引き出されて、そこに吹いていた夏の風の感覚が魔法のようにそこにある。忘れていたものを導く力のさりげなさと強さ。

演者たちの独特の動きが、冒頭若干気になったのですが、終盤には逆にその動きに安定感を感じるようになって。

観終わった後しばらく、自分が透明な空気の中を泳いでいるような感覚にとらわれておりました。

*スパイラルムーン 「水になる郷」

核になる部分のイメージはしっかりと作られていたと思うのです。分岐点という概念や水・砂、その他現れるイメージは観ている側のストックするものと繋がっていく。ただ、つながりが膨らむための何かが足りないような気がするのです。

物語の世界と現実の表裏が観客を満たすためには、現実の部分のピースがかなり不足しているように思えて。だから一生に一度、掟破りをするような切迫感が、空回りをしているように思えてしまう。

正解を伝えないクイズ番組のようにも思えて。

秀逸なシーンも少なからずあったのですが、押されるにも引き寄せられるにも、舞台に示されるべきものが欠けているというか、観る側にゆだねられ過ぎているような気がしてなりませんでした。

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時間堂「smallworld'send」何かを超えた5作品

ロングラン公演をしていることにかまけて、書き込みが遅れましたが、10月25日に時間堂、「smallworld’s end]を観ました。場所は王子スタジオ1。元々は普通の商店だったところを改造して演劇用のスペースにしたとのことで、シャッターを下ろさない限り、通りからでも公演の風景が見えてしまうという、不思議なスペースです。

長編が2本、中短編が3本。

長編についてはWIPを拝見しておりました。

(ここからネタばれがあります。お読みいただく際には十分にご配慮をいただきますようお願いいたします。)

演出は黒澤世莉

5つの作品の上演オーダーは決まっているのですが、その順番をどちらからたどるかが日によって異なるという趣向。私が観た日の順番に従って感想などを・・・。

・星々を恐れよ(長編) アゴタ クリストフ作

主人公を演じる佐野功のお芝居が淡々とペースメークをして、他の出演者たちが彼のリズムをベースにお芝居をしていく感じ。登場する個々のキャラクターの想いが佐野の色の上でしなやかにくっきりと浮かび上がり、そこから今度は佐野のキャラクターが緩やかに強く伝わってくるのです。佐野の折れないしなやかさをもった淡々さに観る側が安心して身をゆだねられる感じ。彼をとりまく女性たちもテンションをもって個性を演じきっていました。

ある種の達観がもたらす不思議な軽さがすっと作品全体の色を染めて、義父の死にも説得力が生まれて・・・。大竹悠子が醸し出す度量のようなものが安定しているから戸谷絵里の繊細さがしっかりと浮かんでくる。小安光海が醸し出す艶には観る側をじわっと揺らすような空気があって。

百花亜希は芯の強さと繊細さの二層をそれぞれに操りながらキャラクターの質感を作り出していきます。そこには佐野が演じるキャラクターとの時間を、設定や言葉ではなく、空気として観る者に伝えきるような力があって。出水由起子から滲み出る想いの表現も観る者を浸潤していきます。ベクトルの幅と方向があって、それをしなやかにコントロールするセンスがとても魅力的。

男優陣はそれぞれにキャラクターの色がかっつりと作られている感じ。鈴木浩司のお芝居からは欧州人からみたアメリカ人のニュアンスが見事に伝わってくる。笠島清剛の醸し出すちょっと鼻もちならない軽さもすごくしたたかにデザインされていて。浜野隆之の刑事にはその職業が持つ凄味のようなものが織り込まれているので、キャラクターが持つ人間味のようなものが不必要に甘くならない。結果として物語に重くなり過ぎない深さを与えていたように思います。

坪内悟の義父役には佐野の芝居に収めどころをつくるような深さがありました。キャラクターの内側にある空洞のような部分が観る者にしっかりと伝わってくる。主人公の行動の種明かしも義父の死も、彼のお芝居によってすっと通っていく。

登場人物それぞれの想いがすうっと消え、て一つの色に変わるような終盤に瞠目。

WIPの時と比べても、しっかりと統一感が作品にあり、それゆえ個々のキャラクターにしっかりした実存感が生まれていて・・・。その密度の高まりに目を見張りました。

・工場でのもめごと(短編)ハロルド・ピンター作

冒頭の押さえた感じや雰囲気作りがしっかりと効き、後半の力技に圧倒的なグルーブ感が生まれました。

大川翔子百花亜希の相性が凄く良いのでしょうね・・・。互いが互いの力をぐいぐい引き出すような感じ。完璧に決まっていく台詞が観ている側はもちろん演じている側にとってもすごく心地のよさそうな熱を醸成していく。

この面白さって理屈じゃないのだと思うのですよ。ある境地までひたすら演技が磨きこまれているからこそ、戯曲に内包しているニュアンスがパンチラインで解放される。戯曲が求める「演技の卓越の領域」に二人ががっつりと足を踏み入れて・・・。

なかなか体験できないような突き抜け感に、観終わって拍手をしながら心が躍っておりました。

・熊 (短編)アントン・チェーホフ作

境宏子が冒頭からしっかりとキャラクターを演じ上げます。自らを律し支える女性の艶や内心までがひとけた違う解像度で現出した感じ。ロシア人女性の自尊心がしなやかな演技から沸き立つよう。そこにやってくる白鳥光治の愚直さや頑固さにもぐぐっと実存感があって、その不器用さにしっかりと筋金が入っている感じがする。そんな感じでも、二人のお芝居にはキャラクターの内側に満たされた資産家としての教養や知性がしっかりと折り込まれているのです。

それぞれの言動が相手の怒りの触媒になっていく姿が本当に面白くてぐいぐいと惹きこまれました。舞台のテンションというか質感が奥行を持ってしなやかに増していく感じ。で、観る側がちゃんと頂きまで連れてきてもらっているから、怒りの対象が憧憬に変質していく終盤にも不自然さがない。ここがまた実に面白いのです。チェーホフのお芝居の面白さって物語をここまで引っ張り上げる役者のクオリティが前提なのかも・・。

双方の中間にある戸谷のお芝居の間がすごくよくて、随所で場の雰囲気に豊かさを付け加えて。見ごたえたっぷりのひと品を拝見することができました。。

・かんしゃく玉(短編)岸田國士作

百花亜希がいきなりロシアから日本に舞台をトリップさせてしまいました。この人がつくる、その国のその時代の色が本当に秀逸。観る側が何かを考える前に、舞台の雰囲気に染めてしまうようなしなやかな力があって。で、貞淑さにちょこっと世渡りの器用さを持ち合わせ、でも、その気持ちが揺らいだ時伝法な気持ちをかんしゃく玉にゆだねる空気がすごくよい。その、ちょっと息詰った内心の気配にかんしゃく玉の炸裂音(擬声)がほんとうにあうのですよ。

主人や主人の友達との関係にも、暖かさとペーソスがバランスよく配されて、ヘチマコロンの瓶の使い方が絶妙におかしい。笠島清剛から伝わってくる恋慕と誤解されかねないようなタッチも秀逸。浜野隆之坪内悟のコンビネーションがすごくよく研がれていて、そのウィットが時代の色をさらに深くする。

小安光海のちょっと下世話さを残した艶にも目を奪われて。

かんしゃく玉の破裂音から伝わってくる溢れそうな想いから、夫婦間の機微を演じる役者の繊細な表現力を感じて。伊坂沢の惚れられるダメさのようなものもその時代だと絵になるのです。

空気感に浸り、物語の肌触りに魅了されてしまいました。この作品、大好きです。

・奴隷の島 ペール・ド・マリヴォー作/坂井三喜訳

実は、WIPを観た時にはけっこう不安を感じた作品。

その時には、なにか箍を失ったような印象があって、なんというか個々のお芝居が、キャラクターの個性を頼りに、あちらこちらにふらふらと観客を引っ張っているようにすら感じて・・。パーツの良さはあったのですが、物語全体を包むだけの膨らみが決定的にかけている感じがしました。

でも、本番では、作品に物語の枠組みと広がりがしっかりと生まれていて。一番の違いは大川翔子の突っ込みのよさ。WIPの時にあったためらいが消えて、抜群のクオリティとタイミングで突っ込みを差し込んでいきます。それが、大川演じるお姫様がもつある種の無神経さというか傲慢さを現わすだけではなく、他のキャラクターの独善性を際立たせていくのです。

奴隷たちと島の住人を演じる3人には、独演会に近いシーンが用意されていて、役者たちもすべてを解き放ったような大迫力のお芝居を展開していきます。大竹悠子のおしゃべりパワーにぐいぐい押される。とてもきれいな女優さんなのですが、話を聞いていくうちに、こうおばさんっぽく腰がどっかり座ったような感じがしてくるほど。鈴木浩司のマイペースぶりも半端ではなく、しかも不思議に理を説く力を与えられているから、彼の世界にと引き込まれてその色にべとっと染められてしまう。小田篤史は渾身のお芝居、グルーブ感が場を突き抜けてそれでも飽き足らず引っ張り続ける力に鳥肌が立つほどの力があって。、

伊坂沢が演じる王子様からやってくるノーブルさや若さ、さらには子供っぽさというかひ弱さにもだっぷりの実存感があって。どこか無駄に強気だったり、戸惑いとためらいが内包されている感じが細かい演技からやってくる。

それぞれのお芝居が枠を外れて突き抜けそうになるところを、大川の突っ込みがうまく一つの箍の内側に収めるから、ラストの大団円の常ならぬ高まりが唐突にならないで、まっすぐに膨らんでいくのです。

まあ、観た回からさらに昇華させることのできる部分もあるとは思うのですが、それでも、観た会のクオリティにまで古い物語をよくここまで運んだなと思うし、それを具現化させた役者の力もそれぞれに半端じゃない気がするのです。

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観ているときには疲れなど感じなかったのですが、6時に始まったお芝居が終わってみれば10時近く。作り手の真摯さが、観る側の時間間隔を失わせたような舞台でありました。

この公演は11月3日までとのこと。どこまで進化しているカ、本当はもう一度みたいのですが、時間が取れないのがすごく残念なことでした。

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余談ですが、「工場でのもめごと」については公演の映像が劇団のHPにアップされていて、けっこううれしい。

ただ、「生を観てしまうとねぇ」みたいなところもあったりして、お芝居というのは絵を味わうだけではなく空気をたくさん味わっているのだなぁとあらためて痛感したことでした。
(リンクに問題があるようでしたらご指導ください。対処いたします。)

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