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elePHANTMoon#8ブロークンセッション 毒の甘さ、

2009年11月19日ソワレにてelePHANTMoon,ブロークンセッションを観ました。サンモールスタジオにて。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出 :マキタカズオミ

舞台はとある家のダイニングキッチン。まったりとした時間とそこにひびくうめき声。

表立った説明はないのですが、舞台のトーンに織り込まれるように次第に物語の設定が明らかにされていきます。加害者のリベンジを賠償の一部に組み入れるという妙に納得できるというか説得されてしまいそうな設定のなかで、次第に状況が観る者の感覚をくわえ込んでいく前半。犯罪被害者の怒りや恨み、さらには許しまでもがリベンジのシステムに組み込まれていく。割り切れなさや、違和感を押し込めてしまう仕組みの不思議なナチュラル感が観る側を支配していきます。

リベンジも欲望なら加虐も欲望・・。それらが正義という服を着たシステムに押し込まれた時に滲みだしてくるものが、外部であるはずのビデオ作家たちを引き寄せていく。さらに、これからそのシステムに組み込まれるという母娘があらわれます。その雰囲気にただようどす黒い感覚や、かすかに漂う淫靡なテイストまでががっつりと描かれて。単に舞台上の設定から見えるものだけにとどまらず、登場人物たちがため込んでいる滓のような、何かを蝕んでいく甘さへの嫌悪や依存の感覚までが爪の間から伝わるように沁み込んでくるのです。

その感覚が、雫一粒でコップの水が溢れるがごとく堰を切って流れだす後半。愕然とするくらいに淡々と刺殺のイメージや自刃のシーンがやってくる。

中盤以降は、まるで魔物の鎖が外されたがごとくキャラクターの深層に醸し出された欲望のなすがままに物語は進んでいきます。何かが崩れた始めたあとの歯止めのかけようのなさ・・。旨い比喩ではないかもしれませんが、陥没が次々に周りの家を飲み込んでいくような感じ。役者たちの瞬き半分くらいの絶妙な間が、蟻地獄に落ちていく感覚にしなやかさな必然を織り込んでいくのです。

人がはけてブランクの舞台に、狂気の気配が流れる時間。くぐもった声。部屋に差し込む穏やかな光が見えない修羅場が不思議に折り合って。たとえば手首から流れ出した血を、脱力感を愛でるようにそのままにしておくような。なすがままに堕ちて染まっていく感覚に鈍く光る甘美さが含まれていて。

しかも、それだけではすまず、観客はさらに底がもう一段割れたような声を立ててしまうような鮮烈なエンディングに息をのむことになるのです。

観終わって一呼吸おいても、ハマカワフミエからやってきた、深くてどす黒いのに澄み切った質感がのこっていました。いくつもの彼女の舞台を観て、そのたびに彼女が開ける新しい引き出しに驚かされていましたが、今回は見えない部分の引き出しにもやられた。なんというのでしょうか、湧き出す色で観る側を染めるだけではなく観る側を後ろから絡め取るようななにかがあって。上からやってくるのではなく足元を崩して引き込んでいくようなその引力に震えがきました。

役者のことをさらに・・・。酒巻誉洋が表現する苛立ちには不確かな形状と確実な重さがありました。とらえどころのない感情が次第に明らかなボリュームになって前触れもなく溢れだす姿には時間軸を縦に貫くような強さがあって、唐突に立ち上がるカタストロフにしっかりと見る側をうなずかせる背景を与えるのです。松葉祥子は逆にそのいらだちの毒に侵食された姿をがっつりと表現して・・・。その依存のリアルさがとても生々しくて。本井博之は、強い立場であっても持つであろう常なる人のためらいをとても丁寧に演じていました。彼の演技はやがて舞台を染める狂気をより鮮やかに見せるための補色的役割にもなり、観客が物語の色を見失わないための安全弁の役割を果たしていたようにも思います。

菊地奈緒が見せた一閃の切れ味にも目を見張りました。娘を持て余し投げ出したような母親の雰囲気も秀逸なのですが、いなくなった娘に心乱すそのひとときの感情の出し方が本当に鋭くて。重さと切れ味が同時に舞台からやってきて、演じるキャラクターの内外を一気に晒してしまう。その鋭さに呆然として、一瞬遅れて観たものの鮮やかさにぞくっときました。

加害者の兄を演じる永山智啓が内側に隠す怒りの感情もうまいなぁと思う。物語のフレームを観る側に伝える役割を着実なお芝居でこなすと同時に、すこし卑屈さがまじったへりくだり方のなかに、行き場のない感情をすっと浮かびあがらせて物語に奥行きを作り出していきます。見せない想いが発する腐りきれない諦観のようなものもこの人の演技だから表せるものかと。真下かおるの達観したような淡さにも一番コアにくすぶる熱のようなものが垣間見えて。密度をもった淡い表情でのお芝居にキャラクターのかかえる感情をしなやかに表して。永山が醸す空気とのズレの作り方もとても効果的だったと思います。菊地佳南のお芝居にも安定感がありました。表情に現れる感情の正直さが永山や真下のお芝居にさらなる陰影を作って作り手が意図しているであろう味わいをしっかり伝えていく。

カトウシンスケにはキャラクター設定を具現化する力を感じました。相手が「すらっと受け入れてしまうような」キャラクターの質感に説得力があるのです。その場にいる他のキャラクターを一線を画すような、欲望に対する正直さの表現も終盤のシーンに観る側を引き込む力になっていました。江ばら大介が演じるキャラクターの実存感も物語を膨らませていました。どこにでもいそうな男を舞台の空気になじませて入れこんで、じわじわと、内側に踏み込む。その力加減に芝居のしたたかさを感じました。

小林タクシーのお芝居にも目をみはりました。舞台の流れに決してなじんでいるとは言えないトーンでの登場なのですが、やがてその存在が物語の歯ごたえのように変わっていく。違和感を作り出すようなお芝居の触感が実に効果的なのです。すべてが協調した音楽は心地が良いだけだけれど、不協和音があることでで印象が心に留まる。その不協和音がラストシーンで物語と重なる刹那に、研ぎ澄まされたなにかがやってくる。こういう質感を作れる役者さんって他にあまり思いつかないし、また、彼の存在がこの舞台の切れ味をしっかりと高めているように感じました。山口オンのプレーンな雰囲気も小林のお芝居をよく生かしていました。美しさを少しだけ艶消ししたような雰囲気がよい。実直なお芝居が物語を美しい広がりの中で崩していくための緩衝材的役割を果たしていたように思います。

それにしても、なんなのだろう・・・、明らかに何かが外れてしまった世界なのに、物語の流れを受け入れてしまう自分。甘い毒を舐めて、蝕まれていく感覚に抗わず身を任せるような怠惰な嫌悪感。

蠱惑感に苛まれる自分には否定する感情が降りてくるのですが、でも、自分をその場から動かさない未必の故意のようなものも生まれていて。

とても笑えないようなひどい話だとも思うのに、なぜかすらっと笑えてしまう部分すらいくつもあって・・・。

映像作家を「すらっ」とその場に受け入れてしまうみたいなシーンが前半にありましたが、その感覚って物語を受け入れる自分にもあるのです。好みが分かれる作品なのかもしれませんが、少なくとも私は、作り手側の魔力に囚われてしまったみたいです。

何気に私をその世界に絡めとり幽閉したマキタ作劇・演出には、出演者の方がブログに書いていたように、「美学」すら感じる。そしてそれを具現化させた役者達の力も半端ではないと思うのです。

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コメント

りいちろが説得するの?

投稿: BlogPetのr-rabi(ららびー) | 2009/11/28 14:28

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